第78話 ただならぬ関係


 翌日の放課後。

 俺は天王寺さんとダンスのレッスンをするために、体育館に向かった。


「あ……天王寺さん」


 更衣室で運動着に着替えて体育館に出ると、そこには丁度、俺と同じく着替えたばかりの天王寺さんの姿があった。


 天王寺さんは俺の顔を見た後、キョロキョロと視線を左右に移して、


「伊月さん」


 合図をする。

 今、この場には俺たち以外に人がいない。

 よって俺は、素の態度に戻ることができるが――なにせ今までは丁寧な口調で話しかけていたのだ。天王寺さんが許可を出しても、俺の調子が狂う。


「ええと……今日もレッスン、よろしく頼む」


「何を緊張しているんですの」


 ぎこちなく挨拶をすると、天王寺さんはクスリと笑った。

 恥ずかしい気分になるが、おかげで俺の緊張も解れる。


「昨日、此花家に電話してくれたんだよな? ……助かった。あれがなかったら、退学になっていたかもしれない」


「気にする必要はありませんわ。わたくしが責任を感じているのは事実ですし」


 神妙な面持ちで天王寺さんは告げた。


「実は今日、貴方のことをこっそり観察させていただきましたが……成る程、確かに貴方は此花雛子の従者らしい振る舞いをしていましたわ。常にさり気なく傍にいて、何かがあったらすぐに駆けつけられるよう準備している。……全く、此花雛子は恵まれていますわね」


「そう言ってくれると安心する。まあ正直、いっぱいいっぱいだけどな」


「謙遜する必要はありませんわ。恐らく、此花家の使用人に相当仕込まれているのでしょう。貴方は、少なくとも使用人としては、十分に優れていますわ」


 そう言って、天王寺さんは少し視線を下げる。


「全く、本当に………………羨ましい。これなら、わたくしの従者になってくれてもいいのに……」


 天王寺さんはブツブツと何かを呟いた。


「何か言ったか?」


「いいえ、何も」


 若干、不機嫌そうな態度で天王寺さんは言った。

 俺は何か、機嫌を損ねるような発言をしてしまっただろうか……?


「ところで、伊月さん。……貴方、昼休みはいつも此花雛子と何をしているんですの? お二人とも、旧生徒会館にいることは知っていますが……」


 天王寺さんが俺を睨んだ。

 本日の昼休みに俺がしたことと言えば、雛子に弁当を食べさせ、雛子が昼寝するために膝枕をしてやったことくらいだが……言えるわけがない。


「普通に、食事をしているだけだぞ」


「食事だけなら教室でもできるではありませんか。他に何かしているのではなくて?」


 流石、天王寺さんだ。

 勘がいい。なので、俺は仕方なく――。


「……黙秘する」


「……ほぅ」


 天王寺さんの目が、スッと細められた。


「念のためお尋ねしますが……何か、やましいことをしているわけではありませんわね?」


「ああ、それは……」


 不意に俺は、雛子を膝枕したことを思い出した。

 あれは世間的には不純異性交遊に該当するのではないだろうか。いや、しかし……お互いそのつもりがないから、きっと問題ないだろう。


「……それは、してないと思う」


「なんで今、言い淀んだんですの?」


「してない」


 頭の中にあった不安が、言葉に表われてしまったようだ。

 咄嗟に断言するが、少し遅かったらしく、天王寺さんは一層訝しむ。


「や、やはり、貴方と此花雛子は、何か特別な関係があるような気がしてなりませんわ……っ!!」


「そんなことを言われても……何を根拠に疑っているんだ?」


「勘ですわ!!」


「勘って……」


 つまり根拠は全くないらしい。


「さあ、答えなさい。貴方は本当に、ただの使用人なんですの? ……以前も言いましたが隠し事はなしですわよ? そしてここで黙秘なんてすれば……それは実質、肯定を意味しますわ」


「そんな搦め手を……」


 天王寺さんって偶に暴走するなぁ……。


「強いて言うなら……多分、普通の使用人と比べると、ちょっとだけ親密だと思う」


「し、親密……?」


 天王寺さんが眉を潜める。


「……それは、どのくらいですの?」


「どのくらい、とは?」


「ですから! どのくらい親密なんですの!? ちょっと会話するくらいとか、すれ違えば声を掛ける程度とか、色々あるでしょう!!」


 それは親密どころか、赤の他人が相手でもすることだ。

 どうして俺はこんな質問をされているのだろうか。不思議に思いながら、答える。


「例えば、二人で軽く雑談するとか」


「ま、まあ、そのくらいなら問題ありませんわね。わたくしも、していますし」


「あとは、さっきも言ったけど、一緒に食事をするとか」


「……も、問題ありませんわね。わたくしも、していますし」


「偶に……頭を撫でたり」


「それはしていませんわ――っ!!」


 天王寺さんが怒鳴る。

 しまった。二連続で許容されたので、つい口が滑ってしまった。


「頭を撫でる!? ――頭を撫でる!? どういうシチュエーションですの!?」


「い、いや、その、なんというか、偶にそういう空気になるというか」


「どういう空気ですの!?」


 ダン! と天王寺さんは強く床を踏んだ。

 その空気を説明するのは難しい。回答に迷っていると、天王寺さんが顔を真っ赤にして、俺に言った。


「わたくしの頭も……撫でなさい」


「……はい?」


「わたくしの頭も! 撫でなさい! この、わたくしが――天王寺美麗が! 此花雛子に先を行かれるわけにはいきませんわ!!」


 先って……。

 天王寺さんは、雛子と何を争っているつもりなんだろうか。


「じゃあ……」


 このまま撫でないと更に怒られそうなので、俺は天王寺さんの頭に手を伸ばす。


「ふぁ……」


 頭を撫でると、天王寺さんが変な声を零した。

 天王寺さんの気丈な性格とは裏腹に、その髪は絹の如く柔らかかった。雛子の髪とはまた違った感触である。天王寺さんのつむじは、中心からほんの少しだけ逸れていた。


 そのまま暫く、小さな頭を撫で続けていると……天王寺さんは頬を真っ赤に染めて沈黙した。その様子に、俺は恐る恐る声を掛ける。


「……天王寺さん?」


「は――っ!?」


 天王寺さんは、我に返ったように目を見開いた。

 手を離すと、天王寺さんは態とらしく咳払いをする。


「コホン。失礼……少し考え事をしていましたわ」


「考え事……?」


「何か?」


 とてもそうは見えなかったが……口にすると藪蛇になりそうなので黙っておこう。


「あ、貴方は、こういうことを……此花雛子としているのですか?」


「……まあ」


 肯定すると、天王寺さんは眉間に皺を寄せた。


「ふ、ふふふ……やはり、わたくしと此花雛子は、相容れぬ関係のようですわね……!!」


 天王寺さんは拳を握り締めて、呟く。


「……レッスン、を始めますわ」


「え?」


「レッスンを始めますわっ!!」


「は、はい!!」


 何故か天王寺さんは、物凄く怒っていた。




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