第75話 信じる


「うおっ!?」


 竹刀が振り下ろされる。

 とても女性のものとは思えない、力強い一撃だ。間一髪で竹刀を避けると、鼻の先を竹刀が掠める。


「ま、待ってください、天王寺さん!」


「待ちませんわッ!!」


 再び頭を狙った振り下ろしが迫る。

 今の俺たちは、袴を身につけているだけで防具はない。このままではお互い怪我をしてしまうかもしれない。


 慌てて竹刀を横に構え、防御しようとすると――天王寺さんが手首を切り返して竹刀の軌道を変えた。


「小手ェッ!!」


「い……っ!?」


 手首に鋭い痛みが走る。

 天王寺さんは本気だ。……だからと言って、こちらも本気で応戦するわけにはいかない。相手は天王寺家のご令嬢。怪我でもさせようなら、大問題に発展してしまう恐れがある。


「貴方は……!」


 竹刀を振りながら、天王寺さんは言う。


「あ、貴方は……っ! わたくしを、からかっていたのですね……っ!!」


 その目は、涙に潤んでいた。


「わたくしが、此花雛子に競争心を燃やす一方で……貴方は、わたくしに協力するフリをして……陰ではずっと、笑っていたのですね……!!」


 震えた声で告げられたその言葉を聞いて、俺は気づいた。

 天王寺さんは――誤解している。


「ち、違います!」


 俺は竹刀を受け止めながら、言った。


「確かに俺は、此花家で世話になっています! それを黙っていたことは謝罪します! ですが、俺が天王寺さんと一緒に過ごしているのは、俺がそうしたいと思っているからです! 雛子は関係ありません!!」


「減らず口を……ッ! 貴方の言葉は、信用できませんわ!! この裏切り者!!」


 天王寺さんに竹刀を押し返される。

 一体その細腕のどこに、これほどの力があるのか。ぶわりと冷や汗が吹き出した。


 俺は天王寺さんに嘘をついた。それは……確かに、裏切りかもしれない。

 身分を騙り、経歴を騙り、本音を隠してきた。天王寺さんは俺のことを信頼して、自分が養子であることまで打ち明けてくれたのに……俺はその真剣な想いを裏切ってしまったのだ。


「天王寺さん……違うんです。俺は本当に、天王寺さんのことを笑ってなんかいません」


「言い訳無用ですわ!」


 その通りだ。俺の口から出る言葉は全て言い訳だ。

 どうして天王寺さんが、これほど怒っているのか、俺には理解できる。

 それだけ彼女は、俺のことを信じてくれていたのだ。


 一方の俺はどうだ?

 裏切っていないとか、雛子は関係ないとか言いながら……結局、嘘をついている時点で天王寺さんを信じていない。


 天王寺さんは信用できない人間だろうか?

 そんなことはない。寧ろ、天王寺さんほど信用できる人間なんて殆どいないだろう。彼女はきっと、俺がどんなことを言っても、常に正しい態度を取り続ける。


「嘘を、ついたことは認めます」


 俺は天王寺さんの竹刀を受け流しながら言った。


「隠し事があったことも、認めます。でも……それは、天王寺さんを傷つけるためではありません」


「言い訳無用と、言った筈ですわ!」


 今の天王寺さんは混乱している。だから言葉が届かない。

 きっと天王寺さんも、冷静になれば分かる筈だ。陰湿な、いじめのようなものを疑っているのだろうが……たかがその程度のために、毎日一緒に放課後を過ごしたり、厳しいレッスンを受ける人がいるだろうか。


「これだけは、本当なんです」


「ですから、信じられないと言って――」


 天王寺さんが竹刀を振り下ろそうとする。

 その寸前、俺は右腕を前に出し、天王寺さんの竹刀を握って止めた。


「……本当なんだ」


 の自分で、俺は告げる。

 竹刀を握り締めながら、覚悟を決めた。


 言おう、全部。

 天王寺さんが、俺を信じてくれたように――俺も天王寺さんを信じたい。



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