第73話 曲者


 天王寺さんが縁談の相手と会食をするという話を聞いてから、三日後の月曜日。

 この日も俺はいつも通り、雛子と一緒に学院へ向かおうとした。


「伊月ー……」


「どうした、雛子?」


「天王寺さんとの、勉強会……どんな感じ?」


 屋敷を出て、日に当たりながら門の方まで歩いていると、雛子が訊いてきた。


「順調だ。この分なら成績も高くなるだろうし……それに天王寺さんみたいな人と接していると、色んな意味で度胸もついてきた」


 天王寺さんは独特な雰囲気を持つが、貴皇学院を代表する上流階級の生徒である。そんな彼女との交流に慣れたことで、他の上流階級の人との交流にも抵抗がなくなりつつあった。次の社交界は、きっと前回よりも上手く振る舞えるだろう。


「天王寺さんも、勉強がうまくいっているみたいだし……次の実力試験では雛子が負けるかもしれないな」


「……む」


 雛子が少し不機嫌そうな声を零した。

 しかしまだ眠いのか、特に何かを言うことはない。


「お二人とも、雑談は結構ですがちゃんと歩いてください」


「すみません」


 少しだけ歩幅を広げて車へ向かう。

 黒塗りの車に近づくと、待機していた運転手が粛々と頭を下げた。俺も軽く会釈する。


「そう言えば雛子。前はよく、おんぶとか抱っことか言ってきたけど、最近言わなくなったな」


 不意にそんなことを尋ねると、雛子は動揺したのか一瞬だけ身体を硬直させた。


「あれは……もう、卒業……」


「卒業って、何かあったのか?」


「むー……」


 悩ましげな声を発した雛子は、やがてゆっくり告げる。


「……伊月がして欲しいなら、する」


 その返答は予想していなかった。

 どうなのだろうか……正直に言うと悪い気はしなかった。しかしやはり、本来なら安易にするべきことではないだろう。過度なスキンシップは色んな意味で危険だ。


 静音さんの反応が気になり、そちらを振り返る。

 すると、静音さんは眦鋭くどこかを睨み――。


「――曲者ッ!!」


「えっ!?」


 唐突に屋敷の外を指さした静音さんに、俺は驚愕する。

 すぐに此花家の警備が、静音さんの指さした場所へ駆けつけた。

 一分後、警備の一人が静音さんに近づき、「異常なし」と伝える。


「……気のせいですか」


 訝しむような様子で、静音さんは言った。


「失礼しました。視線を感じましたので」


「そ、そうなんですか……」


 まさかこの現代日本で、曲者なんて言葉を聞くとは思わなかった。


「しかし不思議ですね。私のこういう勘は当たることが多いんですが……」


 静音さんは呟く。


「……気のせいでなかったとしたら、かなりの手練れですね」


 不穏なことを告げる静音さんに、俺はゴクリと唾を飲んだ。

 一体、俺は何に巻き込まれているんだろうか。




 ◆




 車から下りて学院に向かう。


「西成さん」


 下足箱で靴を履き替えていると、天王寺さんに声を掛けられた。


「天王寺さん、おはようございます」


「ええ、おはようございます」


 こんな場所で会うのは珍しい。

 そう思って天王寺さんの方を見ると、何やら真剣な面持ちをしていた。何か話したいことがあるのだろうか。


「西成さん。単刀直入にお訊きいたします。――わたくしに何か、隠し事はありませんか?」


 その問いに、俺は心臓を鷲掴みにされたような衝撃を受けた。

 激しく動揺する。しかしそれを表に出してはならない。


 天王寺さんに対する隠し事は二つある。

 ひとつは俺が、身分を偽って貴皇学院に通っていること。そしてもうひとつは、俺が此花家の世話になっていることだ。


 どちらも知られるわけにはいかない。


「……ありません」


「……そうですの」


 天王寺さんは、ほんの少しだけ残念そうな顔で頷いた。


「分かりました。変なことを言ってしまい、申し訳ございません」


「い、いえ。大丈夫ですけど……」


 どうして急にそんなことを訊いたのだろうか。

 気になったが、詮索すると藪蛇になるような気がして質問できなかった。


「ああそれと、本日のレッスンはお休みにさせていただきますわ。急用が入りましたので」


「分かりました。……また、縁談の関係ですか?」


「いえ、今回は違います」


 どこか、怒りのような感情を灯した瞳で、天王寺さんは言った。


「それよりもっと大事なことですわ」




 ◆




 その日の放課後。

 下足箱のロッカーを開けた俺は、とんでもないものを目にした。


 ロッカーに入っていたのは、ひとつの封筒だった。

 その表面には達筆でこんな文字が書いている。



 ――果たし状。


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