第71話 責務を果たそうと


 天王寺さんとのダンスのレッスンにも慣れてきた。

 社交ダンスは男女が身体を密着させて行う。おかげで最初は随分と情けない姿を見せたような気もするが、天王寺さんの真剣な姿勢を見ているうちに、俺の中にあった邪な感情は消え去った。


「本日は、これで終了ですわ」


 そう言って天王寺さんが軽く汗を拭う。

 時計を見ると、まだ一時間しか練習していなかった。


「いつもより早いですね」


「ええ。本当はもう少し続けたいところですが……今日は用事がありますの」


「用事?」


 気軽に訊き返すと、天王寺さんは何故か表情を曇らせた。


「……以前、お話した縁談の件ですわ。本日はその相手と顔合わせをいたしますの」


 そう告げる天王寺さんの表情は、やはり曇ったままだった。


「あの……天王寺さんは、その縁談を受け入れたくないんですか?」


「何故、そう思ったんですの?」


「あまり乗り気には見えなかったので」


 俺は今まで、天王寺さんが縁談に乗り気だと思っていたから応援するつもりだった。一時は不安気な様子を見せていたが、それは縁談という未知の経験に対して気後れしているだけで、縁談そのものに不安があるような態度は取っていなかったと記憶している。


 しかし、違ったのかもしれない。

 今一度、俺は天王寺さんの本心を訊いたが――。


「心配なさらなくても、わたくしは縁談に対して前向きに考えていますわ」


 天王寺さんは、誤魔化すような笑みを浮かべて答える。


「それに……わたくしは立場上、縁談を受け入れなくてはいけません」


「立場……?」


「ええ。折角なので、西成さんにはお話しておきましょう」


 天王寺さんは改まった様子でこちらを見つめた。


「わたくしは、養子なのですわ」


 その発言に俺は目を見開く。

 天王寺さんは冷静に話を続けた。


「養子と言っても、天王寺家に引き取られたのは赤ん坊の頃ですから、あまり実感はありませんが……わたくしは天王寺家の、実の娘ではありません」


 僅かに、負い目を感じているような表情で、天王寺さんは語る。


「お父様もお母様も、わたくしのことを実の娘のように扱ってくれますわ。しかし、それでも紛れもない事実として、わたくしには天王寺家の血が流れていません。……なればこそ、わたくしは一層、天王寺家の娘に相応しい行動を心掛ける必要があります。血を継いでいないのですから、せめて成果を継がねばなりません。これは、わたくしの義務ですわ」


 混乱してしまいそうな頭をどうにか働かせ、俺は天王寺さんの話を整理した。

 つまり天王寺さんは、養子という立場であるがゆえに、天王寺家の期待を裏切ってはならないと思っているのだ。そして天王寺さんは、これこそが自分の義務だと考えている。


「ちょ、ちょっと待ってください」


 話を整理した俺は、今まで抱えていた前提がひとつ崩れた予感がした。


「天王寺さんは……義務・・で、婚約をしたんですか?」


 その問いに、天王寺さんは薄らと笑みを浮かべて首肯する。


「ええ。ですがこれは、わたくしたちのような階級の人間ならばよくある話です」


 確かにそうかもしれないが……。


 ――いいのか?


 本当にそのままで、いいのだろうか。

 咄嗟に思い浮かべたのは雛子のことだった。親の言いなりになっていれば幸せになるとは限らない。俺はそれを、雛子との関わりでよく理解している。


 しかし今回は、天王寺さん自身が今の境遇に納得しているのだ。

 外野が何かを言うべきではない。そう分かっていても気に掛かる。


「わたくしの事例は少々特殊ですが……他ならぬ貴方なら理解してくれますわね?」


「え……?」


「だって、貴方も養子なのでしょう?」


 不意に訪れたその言葉に、俺は口を開けたまま硬直する。


「以前、此花さんたちも参加していた勉強会で、わたくしが言ったことを覚えていますか?」


 その言葉を聞いてから、俺は思い出した。

 勉強会の休憩中、天王寺さんは俺に『貴方、本当に中堅企業の跡取り息子ですの?』と訊いた。


「……確か、俺のマナーが付け焼き刃で、跡取り息子として教育を受けているものではないと言っていましたね」


「ええ。あの時点でわたくしは、貴方の身分を察していました。恐らく貴方は……わたくしと同じ、家名を守るために、責務を果たそうとしている者なのだと」


 天王寺さんはその結果、俺を養子だと判断したらしい。

 だが――残念ながら違う。


 途中までは正解だ。俺も天王寺さんと同じように、家名を守るために責務を果たそうとしている。


 但し、俺が守る家名は此花家のものだ。

 俺は養子ではなく、此花家に雇われているだけの使用人である。


 これを天王寺さんに説明するわけにはいかない。それは俺と此花家の契約に違反する。

 大して出来がいい頭を持っているわけではないが、それでも俺がここで正体を明かした場合、此花家にどれだけの迷惑が掛かるのかくらいは想像できた。


「……ご内密に、お願いします」


「勿論ですわ。……ふふ、やはり、わたくしの目に間違いはありませんね」


 天王寺さんが楽しそうに笑みを浮かべた。


 ズキリ、と胸が痛む。

 それは俺が、今までずっと見て見ぬ振りをしてきた……罪悪感だった。



※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ 


新作始めました~!!


迷宮殺しの後日譚 ~正体を明かせぬままギルドを追放された最強の探索者、引退してダンジョン教習所の教官になったら生徒たちから崇拝される~


https://kakuyomu.jp/works/1177354054938392993


【あらすじ】


「迷宮殺し。申し訳ないが、君が持つ探索者の資格を剥奪させてもらう」


 かつてダンジョンは、モンスターの巣として人々に恐れられていた。

 しかし近年、そこに眠る資源が重視され、人々はダンジョンと共存共栄を図ることになる。


 その結果、これまで無数のダンジョンを『完全攻略』によって破壊してきた、最強の探索者――《迷宮殺し》のレクトは、ダンジョン運営によって利益を得る貴族たちに切り捨てられ、探索者協会を追放されてしまった。


 現役を引退したレクトは、知人の紹介でダンジョン教習所の教官を務めることになる。

 腐っても仕方ないと思ったレクトは、これを機に正体を隠し、第二の人生を楽しむことにしたが……。


「なんで教習所の先生がこんなに強いんだ!?」


 生徒たちは最初こそ、若くして引退したレクトを見下していたが、いつの間にか崇拝するようになったり、


「アンタが引退したせいでダンジョンが活性化してるんですけど!?」

「ダンジョンと共存共栄とか無理に決まってんだろ!! 国の上層部は分かってない!!」


 現場をよく知る探索者たちからは、現役復帰を懇願されたりと、まだまだ平和には過ごせそうにない。


 探索者協会からの追放。

 それは最強の力を持つレクトを、かえって自由にしてしまった。


 貴族の陰謀。変化するダンジョン。

 自由となったレクトは、気まぐれに顔を出し、それらに影響を与えていく。


 これは、自分の役目はもう終えたと思い込んで平穏な日々を求める英雄が、無自覚のうちに世界へ大きな影響を与え続ける、なんちゃって後日譚。


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