第69話 気づかないお嬢様


 放課後を天王寺さんと過ごすようになって、二週間が経過した。

 この勉強会は次の実力試験まで行う予定なので、丁度、今日が折り返し地点となる。


「本日から、ダンスのレッスンも始めますわ!」


 実力試験まで残り二週間を切ったその日。

 俺と天王寺さんは、体育館で向かい合っていた。


「すみません。わざわざ体育館まで借りていただいて」


「お安いご用ですわ」


 学院指定の体育着を身に付けた天王寺さんに、俺は礼を伝える。

 テーブルマナーの練習を一通り終えたので、今日からは社交ダンスの練習が始まった。一応、静音さんから簡単な手ほどきは受けているが、こちらはテーブルマナーと比べても圧倒的に知識・経験が足りない。正直、自信のない分野だ。


「では、まずはスローワルツから始めましょうか」


 そう言って天王寺さんが、体育館の隅に置いたスピーカーから音を鳴らす。

 ワルツの曲が流れた。


「ほら、何を突っ立っていますの。早くわたくしの傍へ来てください」


「は、はい」


 社交ダンスは男女が向かい合い、密着して行うものだ。

 今更ながら、それを意識してしまって身体がぎこちなくなってしまう。


「もっと近くですわ」


「も、もっと、ですか……?」


 既に天王寺さんとの距離は50cmにも満たないが、更に半歩近づく。すると天王寺さんも半歩近づいていた。身体が密着し、柔らかい感触と、甘い香りを感じる。


「左手で、わたくしの右手を取ってください。その後、半身ほど身体をずらして……」


 必死に煩悩を抑えながら、天王寺さんの指示に従って体勢を整えた。

 右手を天王寺さんの肩甲骨に添えると、天王寺さんが左手を俺の二の腕に添える。


「これがホールドと呼ばれる基本的な姿勢です。……では、この姿勢を維持しながら、ゆっくりと踊りますわよ」


「え、でも俺、まだ踊り方がよく分からないんですが……」


「習うより慣れよという言葉もありますわ。わたくしが足を引きますから、西成さんは慎重について来てください」


 天王寺さんが右足を素早く引いた。

 その動きに釣られるように、左足で踏み込む。似たような応酬を繰り返しながら、ゆっくり、体育館を反時計回りに動いた。


「ここで右回りに半回転。……いいですわね、そのままもう一度、半回転して……」


 身体の密着を解かないように意識すると、いつの間にか天王寺さんの動きに引き寄せられるように踊っている自分がいる。


 体育館に流れる曲のループが終わったところで、一度、踊りを止めた。


「どうです? 案外、踊れるものでしょう?」


「そうですね。……なんとなく、全体の流れが分かったような気がします」


「わたくしがリードしているとは言え、西成さんも適応が早いですわね。……運動神経がいいのでしょうか」


 確かに俺は本来なら、マナーや勉強よりも身体を動かす方が得意だ。

 スポーツに苦手意識はないし、社交ダンスは向いている分野なのかもしれない。


「ではもう一度、ホールドから始めますわよ」


 先程と同じように、天王寺さんのリードに従って踊る。

 社交ダンスは本来なら男性がリードするものだ。天王寺さんは踊りづらい筈だが、そんな感情を一切表情に出すことなく、ひたすら俺の身体を引っ張り続けた。


「……思ったより、体力を使いますね」


 一時間ほど踊り続けた後、俺は体操着の襟で顎先から垂れる汗を拭いながら言った。


「そうですわね。……まあ本来なら、適度に息抜きを挟みつつ行うものですから」


 そう言って、天王寺さんも汗を拭う。


「さあ、練習を再開しますわよ。西成さん、ホールドを」


「はい」


 背筋を伸ばして両手を広げると、天王寺さんが近づいてくる。

 教わった内容を思い出し、ホールドの姿勢を整えようとした時――ふと、気づいてしまった。


 ――透けてる。


 風が通らない室内でずっと踊っていたせいか、天王寺さんも少なくない汗を掻いていたようだ。白い運動着に、薄らと黄色の下着が透けている。


 これは……直視してはならない。

 ダンスを指導してくれる天王寺さんへの敬意を払う。できる限り視線を逸らしながら、俺は構えを保った。


「ちょっと、どこを見ていますの?」


 明後日の方向を見ていると、天王寺さんに指摘される。


「ちゃんとわたくしの方を見てください。ダンスは身体の動かし方だけではなく、視線や表情も重要ですわよ?」


「いや……それは、そうかもしれませんが……」


 見るに見られない事情があるのだ。しかしそれを伝えるのも難しい。

 どうすれば察してくれるのか、考えていると――天王寺さんに顔を掴まれ、無理矢理正面に向けられた。


「ほら、こうやって、ちゃんとわたくしを見てください」


 目と鼻の先に、天王寺さんの顔が広がっていた。

 そのすぐ下には、汗ばんで肌に張り付いた運動着がある。


「あの……天王寺さん。非常に、言いにくいんですが……」


 流石にこのまま見続けるわけにはいかない。

 そう思い、俺は覚悟を決めて白状することにした。


「その…………服が、汗で透けています…………」


「服? …………ッ!?」


 漸く状況を理解したのか、天王寺さんは両手で胸を隠した。


「どどど、何処を見ているんですのッ!?」


「すみません!」


 そっちが見ろって言ったのに。


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