第68話 変な気持ちのお嬢様
「えっ!? い、伊月……天王寺さんの家に泊まったのか!?」
カフェで軽食を楽しみながら、これまでの経緯を成香に説明すると、成香は目を見開いて驚いた。
「まあ、成り行きでな」
「な、成り行きで片付けられる相手ではないぞ……! ま、前から思っていたが、此花さんといい、天王寺さんといい、何をしたらそんな大物ばかりと仲良くなれるんだ……!」
都島家の娘である成香も、その大物に含まれている筈だが、本人はそれでも雛子と天王寺さんを別格のように感じているらしい。
「西成さんがわたくしの家に泊まった際、父が西成さんのマナーを確認しましたが、及第点は取れているとのことでした。なので、テーブルマナーの練習は本日で一旦終了とさせていただきますわ」
「分かりました」
天王寺さんのプランに、俺は賛同する。
今日の実践練習は最終確認のようなものだ。ここで粗相をすればまたマナーの勉強をし直す羽目になるのだろうが……天王寺家で雅継さんとの会食を経験したからか、多少の緊張なら跳ね除けられる度胸がついたような気がする。
「しかし……」
食事をしながら、俺は成香の方を見た。
天王寺さんほどではないが、成香も食事の所作が丁寧だ。ナイフとフォークを軽やかに使いこなし、スープを飲む際も余計な音を全く立てない。
「成香、お前……ちゃんとマナーができているんだな」
「お、お前! 馬鹿にしているのか! さっきも言ったが、私はこれでも都島家の娘なんだぞ!」
成香は顔を真っ赤に染めて怒った。
「ぷっ」
その時、天王寺さんが笑みを零す。
「失礼しました。……お二人が、あんまりにも楽しそうでしたので」
天王寺さんが目尻の涙を指で拭う。
多分、訊くなら今しかない。――そう思い、俺は天王寺さんを見つめて質問した。
「あの、天王寺さん。今日は何かあったんですか? ……天王寺さんには色々と恩がありますし、俺でよければいくらでも相談に乗りますよ」
そう訊くと、天王寺さんは明らかに表情を暗くした。
だが、やがて意を決したように、視線を落としながら口を開く。
「実は、縁談の話が来ておりますの」
ポツリと告げられたその一言に、俺と成香は目を見合わせる。
俺は平凡な庶民として育ってきたため、その手の話には疎い。しかし雛子の――此花家の事情を通して、多少は理解しているつもりだ。
縁談は必ずしも悪いものではない。
しかし、天王寺さんの表情が優れていないことから察すると……。
「天王寺さんは、その縁談に乗り気じゃないということでしょうか……?」
「いえ、そういうわけではありませんわ」
予想に反して、天王寺さんは否定した。
「わたくしは天王寺家の娘ですから、縁談については幼い頃から覚悟していましたわ。ただ、少し急なものでしたので、驚いているといいますか……実感がなくて、戸惑っている状態ですわ」
天王寺さんにしては本当に珍しく、困惑している様子だった。
「まあ……私たちにとっては、宿命と言っても過言ではない悩みだな」
成香が複雑な表情で言う。
「成香も、縁談の話がきたことはあるのか?」
「いや、私はまだない。いずれくるとは聞いているが…………んあッ!? ま、待て!! 誤解はしないでくれ!! 私はどちらかというと、恋愛結婚がしたいというか……と、とにかく、私は縁談を受けないからな!!」
「お、おう……」
急に熱弁する成香に、俺は戸惑いながら相槌を打った。
「それに私の場合、親もあまり縁談には乗り気でなくてな。一度、そういう話題になったこともあるが、父も母も『お前にはまだ早い』の一言で終わらせてしまった」
「それは……成香のことをよく見ているご両親だな」
「どういう意味だ!?」
心外な! とでも言わんばかりの成香に、俺は目を逸らした。
成香のお見合いを想像してみる。……一言も声を交わさず、ずっと地蔵のように硬直しているイメージしか湧かない。
「西成さんは……わたくしの縁談について、どう思いますか?」
天王寺さんが、こちらを見つめながら訊いた。
少し考えてから答える。
「俺の家では、縁談の話なんてしたことがありませんので……正直に言えば、よく分かりません。ただ、天王寺さんにとっていい話なら、その時は応援します」
本心からの言葉だった。
天王寺さんには恩がある。だからできるだけ彼女の力になりたい。
「お二人とも、ありがとうございます。……おかげさまで少し吹っ切れましたわ」
天王寺さんが視線を上げて言う。
「冷静に考えたら、縁談を受けたところで今までの人間関係が一変するわけではありませんし……わたくしは、必要以上に身構えていたのかもしれませんわね」
元気を取り戻した天王寺さんの言葉に、俺は首を縦に振った。
「俺も、こうして天王寺さんと一緒に過ごすのは楽しいので、仮に縁談が決まったとしても、この関係は続いて欲しいと思います」
「わ、私もだ!」
成香も同意する。
その後、元の調子に戻った天王寺さんと食事を終えて、俺たちは解散した。
◇
伊月たちと別れた美麗は、学院の前に停められている天王寺家の車に乗った。
「お疲れ様です、美麗お嬢様」
「ええ」
使用人が後部座席のドアを開き、美麗は車に乗る。
走り出した車の中で、美麗は移りゆく景色を眺めながら、先程の会話を思い出していた。
(まったく……鈍い方ですわね)
誰にも気づかれることなく、小さな溜息を零す。
(縁談が成立したら、もう今みたいに、放課後を一緒に過ごすことはできませんわ……)
婚約者ができれば、婚約者以外の男性と必要以上に会うことは躊躇われる。
学院の行事ならともかく、プライベートで同じ時を過ごす機会は必然と減るだろう。少なくともここ最近のように、毎日顔を合わせることはできない。
(しかし……西成さんも、思ったより淡白といいますか……もう少し、何か言ってくださってもいいのに……)
当人にとって良い話であるなら応援する。そんな伊月の言葉は、誠実でもあるが……どこか他人行儀にも聞こえた。
(先日は、あんなことを言ってくれたくせに……)
一緒に働けたら楽しいかもしれないと、伊月は言ってくれた。
それは――学院を卒業した後も、自分と一緒にいたいという意味ではないのか?
そこまで考えて、美麗はふと、胸中の違和感に気づく。
「……変、ですわね」
自分は、
それこそが、自分にとって最大の幸福であると思っていたのに。
(何でしょうか、この気持ちは……?)
不思議と。
この縁談の末に、自分の幸せがあるとは全く思えなかった。
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