第67話 誘いにくいお嬢様
月曜日の放課後。
食堂の隣にあるカフェで、いつも通り勉強していると、天王寺さんのペンが止まっていることに気づいた。
「天王寺さん?」
「え? ……あ、ああ、すみません。少し考え事をしていましたわ」
天王寺さんにしては珍しい、気の抜けた様子だ。
今に限った話ではない。先程から天王寺さんは、どうも意識が他のことに向いているような気がした。
「どうかしたんですか? 今日は少し、調子が悪そうですが」
「……いえ、お気になさらず。体調に問題はありませんわ」
そう言って天王寺さんは、俺が記入した解答用紙を赤ペンで採点する。
「小テストの採点が終わりましたわ。点数は98点……応用問題に気合が入った分、基礎的な問題の見直しが甘かったようですわね」
数学の小テストを採点し終えた天王寺さんは、すぐに俺のミスを解説した。
天王寺さんの解説を、俺は黙々とノートに取る。
「次はテーブルマナーの実践練習ですわね。……その前に一度、休憩としましょう。わたくしはお手洗いに行ってきますわ」
天王寺さんが立ち上がり、校舎の方へ向かう。
その後ろ姿を見届けた俺は、改めて首を傾げた。
「……やっぱり、天王寺さんにしては元気がないな」
本人は何もないと言っていたが、それはきっと嘘だろう。
顔色は特に悪くないし、歩いている姿に不自然な点もなかった。だから体調に問題はないかもしれないが、何かに悩んでいるのは間違いない。
しかし、本人が秘密にしたがっていることを、わざわざ詮索するのも失礼な気がする。優しさの押し売りにならない程度に、力になりたいところだが……。
そんなことを考えていると、見知った人物が目の前を横切った。
結った黒髪を太腿の辺りまで伸ばしたその女子生徒に、俺は声を掛ける。
「成香?」
「む? ……伊月! 伊月ではないか!」
こちらの存在に気づいた成香は、目を輝かせながら近づいてきた。
軽く呼びかけるだけで、こうも嬉しそうにしてくれるとは……まるで人懐っこい犬のようだ。成香の背中にぶんぶんと揺れる尻尾を幻視する。
「呼んだか、伊月!」
「いや、呼んだというより、声を掛けただけなんだが……こんな時間まで学院に残って何をしてるんだ?」
「なに、大したことではない。うちで開発した製品を学院で使用できないか、打診していたのだ。我が家はスポーツ用品を作っているからな。学院はお得意様だ」
成香の実家である都島家は、スポーツ用品メーカーを営んでいる。
恐らく体育の授業で使用する道具の売り込みをしていたのだろう。
「……そんなことをしていたんだな」
「まあ、これでも都島家の娘だからな。褒めてくれてもいいぞ」
「凄い凄い」
「……ちょっと投げやりではないか?」
そうは言いつつも成香は嬉しそうにしている。
「ところで伊月こそ、何をしているんだ?」
「天王寺さんと勉強会をしてるんだ。実力試験の対策と、あとはマナーの実践練習だな」
「む、そうだったのか。中間試験が終わった後も勉強を続けるとは、伊月も天王寺さんも真面目だな」
「まあな。……と言っても、俺と成香はそんなに成績が変わらないだろ」
「……確かに、私も勉強した方がいいかもしれない」
本当のところを言うと、成香の成績は俺より下である。
体育と歴史は満点に近いが、それ以外の科目は赤点こそ回避していたが、平均以下だった筈だ。
話の接ぎ穂を失ったところで、お互い沈黙する。
成香は何故かソワソワとしていた。もしかするとまだ用事が残っているのかもしれない。
「ええと、呼び止めて悪かったな。それじゃあ、また」
「ちょ、ちょっと待て! 今のは私も勉強会に誘ってくれる流れじゃないのか!?」
「いや……だって、成香が何も言わないし」
「察してくれると思ったんだ!」
成香が叫ぶ。
そんなこと言われても……。
「そ、それともなんだ……やっぱり私は、誘いにくい相手なのか……?」
「別に、そういうわけじゃないが……」
「いいんだ、気を遣わなくても。……この前、クラスメイトたちがそんな噂をしているのを、聞いてしまったからな」
「……それは、辛かったな」
「ああ。………………とても、辛かった」
成香は泣きそうな顔をした。
神様。もう少しだけ成香に、優しい人生を歩ませてもいいんじゃないでしょうか……?
「その……今日の勉強はもう終わったが、これから天王寺さんにマナーを見てもらう予定なんだ。よければ成香も一緒にどうだ?」
「い、いいのか? こんな、誘いにくい人間が参加しても……?」
「少なくとも俺は誘いにくいなんて思ってないし、天王寺さんも成香ならいいと思うぞ」
「い、伊月ぃ……! やはり、私の味方は伊月だけだぁ……!!」
できれば俺以外の味方も積極的に作って欲しいが……儚い希望だろうか。
とは言え今日に限っては、成香が勉強会に参加してくれてありがたいと思う。
やはり、天王寺さんの様子が気になった。もし天王寺さんが、俺には解決できない問題を抱えて苦しんでいるのであれば、成香を仲間に入れることで事情を打ち明けてくれるかもしれない。
「あら、都島さん?」
トイレから帰ってきた天王寺さんが、成香の存在に気づく。
「天王寺さん。これから行うマナーの練習に、成香も参加させていいでしょうか?」
「それは構いませんが……」
天王寺さんが、成香の方を見る。
成香は慌てた様子で口を開いた。
「きょ、今日だけでいいんだ! 私もここ最近は、家の仕事で忙しいし……た、ただ、その、偶には私も、学生らしい一時を過ごしたいというか……」
要するに、寂しいので仲良くして欲しいということである。
天王寺さんも、前回の勉強会やお茶会を経て、なんとなく成香の性格を把握しているのか、優しい笑みを浮かべて頷いた。
「構いませんわよ。それでは今日は軽めのディナーとしておきましょうか」
成香の表情がパァっと明るくなる。
俺と再会するまで、成香はどういう生活をしていたんだろうか……。気になったが、訊くのも怖いので、その疑問は心の奥底に封印した。
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