第65話 家を背負うお嬢様


 翌朝。

 天王寺家で朝食を済ませた俺は、屋敷の外で黒塗りの車に迎えられた。


「では、お世話になりました」


 わざわざ見送りに外まで出てきてくれた雅継さんと天王寺さんに、俺は深々と頭を下げる。花美さんは仕事があるそうで見送りには来ていないが、屋敷を出る前に軽く挨拶を交わしていた。


「またいつでもいらしてくださいまし」


「うむ! 待っておるぞ!」


 二人の見送りを受けながら、車に乗る。

 勿論、この車は此花家が用意してくれたものだ。天王寺さんたちは、俺がこれから自分の家に帰ると思っている筈だが、実際は雛子や静音さんがいる此花家の別邸に向かう。


 運転手が「出します」と一言告げて、車が走った。

 静音さんは、天王寺さんに此花家のメイドとして顔を覚えられている可能性があるため、今回は同伴していない。


 それにしても……有意義な一日だった。

 天王寺さんにはまた後日お礼をしよう。窓の景色を眺めながら、そう思った。




 ◇




 客人が車に乗って屋敷から出ていくのを見届けてから、雅継は美麗の方を見た。


「美麗。彼とは仲がいいのかね?」


「ええ。クラスこそ違いますが、交流は深いですわ」


 父の問いに、美麗は肯定する。


「それに……西成さんには、お世話になったこともありますから」


 美麗は先月のことを思い出す。

 天王寺家の威光は強い。それ故に学院でも、尊敬されることは多いが、同じ立場として肩を並べて談笑するといった機会にはあまり恵まれていなかった。


 そんな状況を変えてくれたのが伊月だ。伊月は美麗をお茶会や勉強会に誘ってくれた。更に、ライバル視する一方で、できれば交流を持ちたいと思っていた此花雛子との接点も与えてくれた。


 ここ最近の勉強会も、発端は伊月である。

 勉強会を経て、美麗の成績は向上したし、仲が良い友人を作ることもできた。今でこそ、伊月は美麗に頭が上がらない様子を見せているが、美麗も内心では伊月に大きな感謝を抱いている。


 それに――。


『天王寺さんと一緒に仕事をするのも、楽しそうですね』


 まさか、あんな嬉しいことを言ってくれるとは思わなかった。

 常に自信満々に見える美麗も、将来に一切不安がないわけではない。雛子に対抗意識を燃やしているのも、学院で彼女に負ければ、将来も負け続けるかもしれないという不安の現れである。


 だから、先日の伊月の言葉は嬉しかった。

 毅然とした態度を保つ一方で、心の奥底に隠し持っていた不安を、伊月は見つけ出して拭ってくれたのだ。


(わたくしも……西成さんが一緒なら、どんな仕事でも乗り越えられる気がしますわね)


 そんな風に、美麗が物思いに耽っていると。

 雅継は「ふむ」と小さな声を漏らしながら、顎髭を指で撫でた。


「それは、男女の関係かね?」


「へぁっ!? だ、だから、そういう不純な関係ではありませんわ!!」


 美麗は顔を真っ赤にして否定する。

 唐突に冗談を告げられたと思い、美麗は「まったく」と唇を尖らせたが――。


「ふむ。……ならよかった」


 雅継は、真面目な顔で頷いた。


「実は美麗に相談したいことがあってな。……そろそろ、お前にも婚約者を用意するべきかもしれない」


 唐突な提案だった。

 美麗は目を丸くして訊き返す。


「婚、約者……ですか?」


「うむ。以前から検討はしていたんだが、美麗にはまだ早いと思ってあまり伝えていなかった。しかし先日、社交界で此花家の代表と話す機会があってな。その際、娘の婚約について話題になったのだが、あちらは積極的に考えているらしい。娘に悪い虫を寄せ付けないための措置だそうだ」


 真剣な表情で、雅継は続けた。


「この先、天王寺家の威光を求めて、多くの者が美麗に近づこうとするだろう。中には勿論、悪意を持って近づく者も現れる筈だ。そういう未来のことを考えると、此花家の言い分にも一理あるように思えてな。私としては、やはりまだ時期尚早な気もするが……美麗が乗り気なら構わないだろうと判断した」


 どうやら婚約者が決定したという報せではないらしい。

 天王寺グループの令嬢として育てられている以上、いつかは誰かと婚約を結ぶのだろうと考えていた。しかしそれは、もう少し後の予定だったと美麗は記憶している。


 もっとも、美麗にとって大切なのはタイミングではない。

 大切なのは――。


「天王寺家の……ために、なりますか?」


 何故か、声が震えてしまう。

 先程の弱々しい声音をかき消すかのように、美麗は改めて父に訊いた。


「わたくしが婚約することで、天王寺家に貢献することはできるでしょうか」


「……うむ。まあ、プランは立てやすくなるだろうな」


 上流階級にとっての婚約は、既存のコネクションの強化に使える。懇意にしている企業の子息と婚約すれば、今後の取引は今まで以上に円滑に進むだろう。相手が将来の身内ともなれば、企業間の不和というリスクも比較的避けやすいため、買収や合併など大規模な話にも発展しやすい。


「でしたら、勿論――」


 美麗はいつも通り。

 曇りのない、堂々とした笑みを浮かべて答えた。


「――お受けいたしますわ」



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