第64話 えいえいおう! なお嬢様


 風呂場で一騒動あった後、俺は客室に戻って勉強していた。


「……取り敢えず、今日のノルマはこれで終わりだな」


 静音さんに与えられた予習・復習のノルマを終える。最近は天王寺さんからも勉強を教わっているため、静音さんのノルマは少し抑えめになっていた。とはいえ集中して臨まねば長々と時間を費やす羽目になるため、気を抜くことはできない。


「……もう少しだけ、頑張ってみるか」


 いつもと違う環境で勉強しているからか、よく集中できている。適度な緊張は、気の緩みや睡魔を遠ざけてくれるようだった。


 気合を入れ直し、教科書のページを捲る。

 その時、ドアがノックされた。


「失礼しますわ」


 開いたドアから現れたのは、部屋着姿の天王寺さんだった。


「天王寺さん?」


「ハーブティーを淹れましたので、よろしければご一緒にと」


 片手にトレイを持った天王寺さんが言う。

 トレイに載せられた二つのカップのうち、手前にある方を受け取った。


「ありがとうございます」


 カップの表面から立つ湯気が鼻に触れる。

 落ち着く香りがした。


「本当に、熱心ですわね」


 天王寺さんが、机に広げている教材を見て、呟くように言う。


「熱心というほどでは……いつもこういうスケジュールで過ごしているので、勉強していないと落ち着かないだけですよ」


「……やはり貴方には、実績が必要ですわ」


 ハーブティーを一口飲んで、天王寺さんは言う。


「それだけ努力しているのに、未だに自信を持てないのは、自分自身が納得する成果を出せていないからでしょう。……来月の実力試験、なんとしても上位に食い込んでもらいますわよ」


「が、頑張ります」


 雅継さんにも実績を作るべきだと言われたばかりだ。確かに、貴皇学院で成績上位者になれば、胸を張ってもいい実績になるだろう。


 やる気が満ちると同時に、俺は天王寺さんに尊敬の念を抱いた。

 きっと天王寺さんは、常日頃からそういう意識を持って行動しているのだろう。普段の堂々とした佇まいは、無から生まれたものではない。今までの頑張りが、日頃の態度を生み出しているのだろう。


 そんな風に考えつつ、改めて天王寺さんの方を見ると……いつもとは違う印象を受けた。


「どうかしまして?」


「いえ、その……髪を下ろしている姿は、初めて見たので」


「そう言えば、そうですわね。学院で下ろすことは滅多にありませんし……今はお風呂上がりですから」


 本当は風呂場に駆けつけてきた時にも、髪を下ろした姿は目撃しているが、あの時は格好が格好なだけにすぐ目を逸らした。


 改めて見てみると、髪を下ろした天王寺さんはいつもより大人っぽく感じる。気の強さが前面に出ているいつもの姿と違って、理知的な印象だ。そのギャップがどうにも魅力的で、思わず視線が釘付けになる。


「はは~ん。もしかして……このわたくしに見惚れていますの?」


 天王寺さんはニヤニヤと嫌な笑みを浮かべて言った。

 図星を突かれて言葉に詰まる。否定したかったが、もう遅いだろう。


「……俺は天王寺さんと違って、こういう状況に慣れていませんので」


 視線を逸らし、負け惜しみのような言葉を口にする。 


「……それは、こっちも同じですわ」


 天王寺さんが、小さな声で言った。


「先程は、強がってみただけです。……その、私とて、多少は動揺します。異性を家に泊めるのは、これが初めてですし……お、お風呂での一件も、ありますので」


 頬を赤く染めながら天王寺さんは言う。

 日頃の堂々とした佇まいからはまるで想像できないような、乙女らしく恥じらうその姿に、俺は無意識にゴクリと唾を飲み込んだ。


 ――いけない。


 なんだかとても気まずい空気になってしまった。

 よくわからない緊張が押し寄せる。数時間前、雅継さんと一緒に食事をした時よりも落ち着かない。


 頭が真っ白になったその時、俺は机の上に置いてあるハーブティーを見た。

 これを飲んで落ち着こう。そう思い、カップを口元で傾け――。


「熱ぅ――ッ!?」


 慌ててハーブティーを飲もうとした結果、舌先が燃えるような痛みを訴えた。


「だ、大丈夫ですの!?」


 天王寺さんも慌てて心配する。

 火傷するほど酷かったわけではない。舌がうまく動かないので、視線で「大丈夫です」と伝えようとしたら、天王寺さんと目が合った。


 お互い、まん丸に見開かれた目を見て、思わず吹き出す。

 気まずい空気はいつの間にか霧散していた。


「まったく……こんな気分になったのは、久しぶりですわ」


 天王寺さんが微笑を浮かべながら言う。


「思えば、貴方は出会った当初からわたくしの心を乱してきましたわね。此花グループを知っているくせに、天王寺グループは知らなかったり……わ、わたくしの髪が、染められたものなどと妄言を口にしたり」


「いや、それは今でも疑問に思っているんですけど」


「おだまりなさい」


 ピシャリと言われ、口を噤む。

 雅継さんも花美さんも金髪ではなかった。一般的な日本人の特徴を考えると、やはり天王寺さんが髪を染めているのだろう。


「こんなことを言う機会は滅多にありませんので、今のうちにお伝えしておきますが……貴方には感謝しています。お茶会や勉強会など、貴方と出会ってから、わたくしの学生生活は一層充実しました」


 声音から感謝の念が伝わる。

 見惚れるような笑みを浮かべながら、天王寺さんは続けた。


「それに、貴方は見かけによらず根性があるようなので、一緒にいるとわたくしのやる気も上がりますの。……貴方が次の実力試験で、上位一桁の点数を取ることができれば、卒業後はわたくしの右腕としてスカウトしてあげますわ」


「それは……流石に、望み薄ですね」


「今から弱気になっているようでは、確かに望み薄ですわね」


 苦笑する俺に対し、天王寺さんは冗談交じりに告げた。


「でも、天王寺さんと一緒に仕事をするのも、楽しそうですね」


 そんな風に思ったことを口にすると、天王寺さんは目を丸くした。


「そ、そうでしょうか?」


「はい。ここ最近、天王寺さんのおかげで楽しく勉強できていますので、こんな風に仕事もできればいいなと思います」


 将来のことなんて何も考えていないが、天王寺さんの部下として働くなら、それなりに楽しく生きていけるだろう。バイトの経験が豊富な俺には分かる。きっと天王寺さんは、いい上司になる筈だ。


「ふ、ふふふ……っ!! そうでしょう! そうでしょう! このわたくしについて来ていただけるなら、人生の充実を保証しますわ!」


 天王寺さんは思いっきり胸を張って言う。

 よほど嬉しかったのか、頬は軽く紅潮しており、目はキラキラと輝いていた。


「ま、まあ現実問題、西成さんがわたくしのもとで働くには、天王寺グループの採用試験に合格する必要があり…………い、いえ、ですが貴皇学院の推薦さえ取ることができれば…………或いはいっそ、わたくしの婚約者になれば秘書の地位が確約されて……」


「婚約者?」


「なななな、なんでもありませんわ! すす、少し、未来を先読みしすぎただけですの!!」


 狼狽する天王寺さんに、俺は首を傾げた。


「……っと、長居してしまいましたわね」


 天王寺さんが時計を見て呟く。


「では最後に、わたくしたちのスローガンを決めましょう!」


「スローガン、ですか?」


「ええ。古来より合戦の際は、軍団の士気を高めるための言葉――ときがありました。『えい! えい! おう!』や『敵は本能寺にあり!』などが有名ですわね」


「なるほど、そういうものを作るわけですね」


 えい! えい! おう! と言った天王寺さんはちょっと可愛かった。


「では、わたくしの後に続いてください」


 頷くと、天王寺さんはカッと目を見開き、俺たちのスローガンを告げる。


「打倒、此花雛子!!」


「打倒、此花――――えっ!?」


「どうしましたの?」


「いや、その……それでいくんですか、スローガン?」


「ええ! わたくしたちにピッタリではありませんか!」


 俺がそれを口にしたら、今の仕事をクビになりそうなんですが……。

 いや、仕方ない。事情を説明するわけにもいかないし、ここは合わせるしかないだろう。


「では、いきますわよ」


 天王寺さんが、スッと息を吸った。


「打倒、此花雛子!!」


「だ、打倒、此花雛子!!」


 ごめん、雛子。



※ ※ ※ ※ ※


新連載はじめました!


攻撃範囲特化で異世界を勝ち抜く ~ゲームの世界で行われるプレイヤー同士のバトルロイヤルに巻き込まれましたが、どうやら最強の力を引き当てたらしい~


https://kakuyomu.jp/works/1177354054922786946


300人の地球人が、MMORPGの世界に転移し、そこで好き勝手に暴れ回るお話です。

ヒロインちょっと雛子っぽいです。

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