第59話 抜け目がないお嬢様


 天王寺さんと共に放課後を過ごすようになってから、早一週間が経過した。


「おはようございます」


 教室のドアを開けて、朝の挨拶を済ませる。

 近くにいた生徒たちが人当たりの良い笑みを浮かべて挨拶を返してくれた。少し温かい気分になりながら、自分の席に座る。


 最近……ほんの少しではあるが、貴皇学院の空気に適応できている実感があった。慣れもあるのだろうが、恐らく天王寺さんにマナーを教わったことが切っ掛けだろう。マナーに詳しくなればなるほど、この学院の生徒たちがどれだけマナーに気を遣っているのかがよく分かる。そうした彼らの努力に応えたいという気持ちが、いつの間にか俺自身の向上心に繋がっているようだった。


「よぉ、西成」


「おはよー西成君」


 大正と旭さんが近づいてくる。


「そういえば西成。お前、最近、天王寺さんと何かやってるのか?」


 不意に大正が訊いた。 


「ふっふっふ……目撃情報は結構あるよ~? なんでもここ最近、放課後になると毎日会ってるみたいだね」


 旭さんも面白そうに言う。

 なんだか的外れな推測を立てられているような気がしたため、説明することにした。


「実は最近、天王寺さんにマナーを教わっていまして」


「マナー?」


 訊き返す旭さんに、俺は頷く。


「以前やった勉強会の延長みたいなものです」


「なーんだ、てっきり私は西成君が逆玉の輿を狙っているのかと思ったよ」


「残念ながら違います」


 とんでもない邪推をしていた旭さんに、俺はきっぱりと言う。


「お、噂をすればだな」


 大正が教室のドア付近を見て言う。

 釣られて見れば、そこには天王寺さんの姿があった。


 天王寺さんはこちらを――というより俺に視線を注ぎながら、手招きしている。

 何かあったのだろうかと思い、俺は天王寺さんのもとへ向かった。


「天王寺さん、おはようございます。どうかしました?」


「おはようございます。実は少し相談したいことがありますの」


 相談?


「わたくしも今日まで忘れていましたが、普段、わたくしたちが利用しているカフェには定休日がありますの。それが本日なのですわ」


「あ……そうなんですね」


 普段、俺たちは放課後になると、食堂の隣にあるカフェで勉強会を行っている。あのカフェには様々な国のメニューがあるため、テーブルマナーの実践練習をするためにも重宝していた。


「それじゃあ今日は他の場所で勉強会をして……マナーの授業は休み、ですかね」


「それも考えたのですが、ひとつ提案がありますわ」


 天王寺さんが言う。


「わたくしの家に来ませんか?」


「……はい?」


 唐突な提案に、俺は首を傾げた。


「マナーを身に付けるにあたって、大敵となるのは慣れ・・ですの。最初はどれだけ緊張感を持って勉強していても、状況や環境に慣れると誰だって自然に落ち着いてしまいますわ。……ですがその落ち着きは、あくまで状況に慣れただけであり、決してマナーを身につけたことで得たものではありません」


「それは、そうかもしれませんね」


「ええ。ですから西成さんの慣れ・・を防止するためにも、定期的に場所を変えたほうがよいと考えたのです。いい機会ですから一度わたくしの家で勉強会をしてみませんか?」


 理路整然とした説明を、天王寺さんはする。

 その提案に、俺は――。




 ◆




「……というわけなんだが、どうだろうか」


 昼休み。

 いつも通り旧生徒会館で雛子と合流した俺は、天王寺さんから受けた提案を雛子に共有した。


 学院内での人間関係は自由にしていいと言われているが、それでも俺は雛子のお世話係である。まずは雛子の意見を聞くのが筋だろう。


「……む」


「雛子?」


「むむむむ……」


 珍しく雛子は真剣に考えていた。

 正直、そこまで深刻に悩む必要はないと思うが……雛子は腕を組み、非常に難しい顔をしている。


「……伊月」


「ん?」


「…………………………………………………………泊まるの?」


 何故か視線を合わさずに、雛子は恐る恐る訊いた。


「いや、日帰りのつもりだけど」


「…………なら、いい」


 そう口では言いつつ、雛子はまだ複雑な表情をしていた。


「伊月。……天王寺さんとの勉強会、楽しい?」


「まあな。天王寺さんは知人が相手でも妥協を許さないタイプだから、俺も自然と身が入るというか……」


「……ふぅん」


 知人が相手でも厳しく接することができる人は貴重だ。普通、知人が相手になるとどうしても「嫌われたくない」という気持ちが先行してしまいそうだが、天王寺さんにはそれがない。恐らく自分に絶対的な自信があるから、相手にどう思われるかよりも、自分がどう行動するかに重きを置くことができているのだろう。


 あのような堂々とした振る舞いは、今の俺の立場を無視しても素直に憧れる。

 そんな風に考えていると、雛子が制服の裾を引っ張ってきた。


「……私の、お世話係だから」


「え?」


「伊月は……私の、お世話係だから」


 至近距離で真っ直ぐ見つめられる。

 端整な顔立ちが鼻先に広がっており、少し動揺した。同じ屋敷で暮らしているのに、何故か雛子からはいい香りがする。


 ゆっくりと息を吐くことで動揺を押し殺す。

 それから俺は、手元の弁当箱に視線を注いだ。


「取り敢えず……こっそり俺の弁当に野菜を入れるのはやめてくれ」


「…………ばれちった」


 抜け目がないご主人様である。

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