第54話 恥ずかしいお嬢様


 雛子の部屋にある風呂場にて。

 俺は、湯船に浸かりながら棒アイスを食べる雛子を見守っていた。


「うんまー……」


 学院にいる時と違って、だらけきった姿を見せる雛子に、俺は苦笑する。


「これで許してくれるか?」


「んー……まだ、ちょっと物足りない」


「勘弁してくれ。静音さんにバレないよう、アイスを持ってくるのは大変なんだぞ」


 溜息混じりに言うと、雛子は視線を落として口を開く。


「ほんとはまだ嫌だけど……私のためなら、許す」


 改めて、天王寺さんと一緒に過ごす許可をもらう。

 道場でこの話をしてから今に至るまで、雛子はずっと反対していたが、説得の決め手になったのはアイスを用いた買収だった。最近はお世話係の解任騒ぎや社交界などのゴタゴタで忙しかったため、久々に息抜きができて嬉しいのかもしれない。


 しかし、それでも雛子はどこか不満気だ。

 拗ねるように水面を見つめる雛子へ、俺は声をかける。


「別に雛子が嫌なら、俺はこの件を断ってもいいんだが……」


「…………伊月の邪魔には、なりたくない」


「……そうか」


 こちらを気遣ってくれているのだろうか。

 本来なら、それはお世話係である俺の役割だが……少し嬉しい。


「正直、ちょっと安心した」


「安心……?」


「最近、雛子に避けられていると思っていたから」


「……なんで、そう思ったの?」


「いや、だって、朝は俺に起こして欲しくないみたいだし、それ以外にも、偶に俺と距離を置くことがあっただろ?」


 そう言うと、雛子は頬を膨らませた。


「別に、距離を置きたいわけじゃない」


「じゃあ何か理由があったのか?」


「……むぅ」


 複雑な表情で、雛子は小さく呟く。


「……言いたくない」


 気になるが、本人に言うつもりがないなら、俺も詮索するのはやめておこう。


「ところで、雛子」


「……何?」


「暑くないか、その格好?」


 目の前にいる雛子は、学院が指定するスクール水着を身に纏っていた。

 貴皇学院らしい上品なデザインだ。しかし、風呂場でそれを見ると少々暑苦しい。


「……別に」


「今まではビキニタイプの水着だっただろ。なんで急にスクール水着にしたんだ?」


「……そういう、気分だから」


 非常に答えにくそうに、雛子は言った。

 視線を逸らし、こちらに背中を向ける雛子に、俺は内心で思う。


 ――やっぱり避けられているんじゃないだろうか?


 そのわりには、こうして一緒に風呂に入るし、放課後はなるべく一緒に過ごしたいといった話もされるが……今の俺は、雛子が何を考えているのか分からなかった。


 お世話係として、もう一ヶ月以上も雛子の傍で過ごしている。雛子の考えていることも、少しずつ分かるようになってきた筈だが、最近になってまた考えが読めなくなってしまった。これは一体どういうことだろうか。


「いいから、髪洗って」


「……ああ」


 落ち込むのは後にしよう。雛子の頭に手を伸ばす。

 少しのぼせているのか、雛子の耳は赤く染まっていた。


「んふー……」


 雛子が満足気な声を漏らす。

 まあ、少なくとも嫌いな相手に髪は触らせないだろう。


「……伊月」


「ん?」


 シャンプーで雛子の髪を洗っていると、雛子が小さな声で言った。


「こういうの……天王寺さんとは、しないように」


 何を言うかと思えば。

 軽く吹き出してしまった俺は、どこか安心した気持ちで答える。


「するわけないだろ」


 俺がこの状況に慣れるまで、どれだけ苦労したと思っているんだ。

 今でこそ意識せずにいられるが、お世話係になったばかりの頃は大変だった。


「ん?」


 ふと、雛子の髪が水着の肩紐に挟まっていることに気づく。


「ちょっとだけ肩紐をずらすぞ」


「……ぇ?」


 左の肩紐をずらして下げると、変な声が聞こえたような気がした。


「髪が長いと、こういうところが大変だな」


「い、つき……?」


「もうちょっと待ってくれ。すぐ終わらせるから」


「……っ!」


 不意に、雛子がぴょんと飛び跳ねて湯船に入った。

 水面にプカプカと泡が浮かぶ。その中心で雛子は、真っ赤な顔をしながらこちらを睨んでいた。


「む……っ!」


「む?」


「む、無神経……っ!!」


 雛子は恥ずかしそうに、両肩に手を置いて自分を抱き締める。


「無神経って……」


 自分から水着を脱いでいた人物とは、思えない台詞だった。



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