第53話 悩むお嬢様


 放課後。

 此花家の屋敷に戻った俺は、いつも通り静音さんから指導を受けていた。


「本日のレッスンはこれで終了です。お疲れ様でした」


「お疲れ様でした」


 予習、復習、マナー講座、そして護身術。

 それぞれのレッスンが終了したことで、漸く一日の終わりを実感する。


 以前はこの時間になると体力が底を尽き、ろくに喋ることすらできなかったが、今は少しだけ余裕がある。俺も心身ともに成長できているということだろうか。


 この後は雛子の部屋に向かい、風呂に入らねばならない。

 汗を軽く拭って静音さんの方を見ると、何やら難しい顔で手元の書類に目を通していた。


「何の書類ですか?」


「伊月さんの指導に関するスケジュール表です。思ったよりも伸びが早いので、再調整しようかと」


 静音さんは真剣な表情で書類を読み進める。

 ……丁度いいかもしれない。


「静音さん。少し相談したいことがあるんですが……」


 そう言って俺は、今日、天王寺さんと話したことについて静音さんに説明した。

 放課後、天王寺さんから勉強とマナーを教わる話だ。


「……成る程。天王寺様とそのような話を」


 話を聞いた静音さんは、一度書類を下ろして熟考した。


「伊月さんは、どうしたいのですか?」


「個人的には受けたいと思っています。天王寺さんの教え方は上手いですし……色々と頼りになりますので」


 静音さんの教え方も上手いが、天王寺さんは同級生なだけあって、同じ視点でのアドバイスをしてくれる。


 それに――天王寺さんは言ってくれた。


『貴方、周りの人たちに劣等感を覚えていますわね?』

『わたくしの指導を受ければ、そのコンプレックスから脱却できることを約束しますわ』


 あの言葉は、胸に強く響いた。

 天王寺さんはいつも堂々としており、まさに貴皇学院に相応しい生徒と言えるだろう。今まではあまり自覚していなかったが、俺はきっと天王寺さんに憧れを抱いている。


「天王寺さんの指導を受ければ……俺はもっと、雛子に相応しくなれるような気がするんです」


 雛子の息抜きにいつでも付き合えるような。そして、いざという時は完璧に支えられるような。そういうお世話係になるためには、まだまだ足りない点が多すぎる。その足りない点を天王寺さんから吸収できればと思う。


「私は問題ないと思います」


 静音さんは続けて言う。


「天王寺様なら私よりも上手にマナーを教えることができるでしょう。それに……華厳様から伝言を預かっています。伊月さんには、お嬢様にかわって、此花家のコネクションを積極的に作っていただきたいそうです」


「……華厳さんが?」


「はい。都島様や天王寺様たちを社交界に招待した時と同じように、お嬢様の顔を立てる形で、それとなく意識していただければと」


 正直、意外だった。

 俺はあの人に、あまり信用されていないような感触だったから。


 華厳さんの俺に対する考え方が変わったとすれば、きっとその切っ掛けは、あの社交界だ。あの夜、俺は初めて華厳さんの本音を聞いたような気がした。


「分かりました。そういうことなら、俺も善処してみます」


「よろしくお願いいたします。ただ、あくまで自然に……学生らしい範疇でお願いいたします」


 あくまで学生同士として。あくまで友人として。

 そのような範囲内での人脈なら、自由に作っても構わないということだろう。最終的にはそれを雛子と結びつければいい。


「……伊月?」


 その時。道場の扉が開き、雛子の声が聞こえる。


「お風呂……まだ?」


「悪い、少し静音さんと話をしていて」


「……話?」


 首を傾げる雛子に、俺は説明する。


「雛子にも相談するつもりだったが、暫く放課後は一緒に帰れなくてもいいか?」


「……ぇ」


 雛子は微かに驚いた。


「華厳さんにも改めて雇われたわけだし、今一度、気を引き締めて色んなことを勉強したいと思ってな。学院の成績も上げたいし、社交界で馬鹿にされないようマナーも身に付けたい。そのために暫く放課後を使わせて欲しいんだ」


「外部の人に教わるということ? ……静音じゃ駄目なの?」


 その問いには、静音さんが答えた。


「私も他の仕事がありますので、伊月さんのレッスンに集中できない時があります。特にここ最近は、先日行われた社交界の影響で仕事が増えていますので……暫くはレッスンに時間を割けなくなるかもしれません」


「……むぅ」


 どちらかと言えば、雛子は不満気だった。

 三十秒ほど何かを考えた雛子は、やがてその小さな唇をゆっくりと開く。


「それは……私のためなの?」


「雛子のためというと、少し違うかもしれないが……雛子のお世話係を、ちゃんと務めるためだ」


 恩着せがましい気持ちはないが、今まで以上に雛子の力になりたいからこそ、俺はこの話を引き受けようと思っている。


 雛子は「んぅぅ」と悩ましそうな声を漏らした後、溜息を吐いた。


「なら、仕方ない。……許す」


「ありがとう」


 雛子からも許可が出た。

 明日、天王寺さんに、この件について引き受けることを伝えよう。


「でも……勉強とか、マナーとか、誰に教わるの……?」


 その問いに、俺は答える。


「天王寺さんだ」


 微かに目を丸くしたような気がする雛子に、俺は改めて告げた。


「放課後は暫く、天王寺さんと一緒に過ごすことになると思う」


「…………………………は?」




※  ※  ※


雛子、キレた!!


【ご報告】

才女のお世話、書籍化が決定いたしました!

これも読者の皆様に応援していただいたおかげです! 本当にありがとうございます! 引き続きよろしくお願いいたします!


書籍の詳細やその他、進捗などはTwitterで呟くことが多いので、よろしければフォローお願いいたします(どちらかと言えば意味のないことを呟く方が多いですが……)。

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