第52話 見透かすお嬢様


 一限目が終わった後の休み時間。

 改めて、俺は天王寺さんと話し合った。


「放課後を一緒に過ごすって、どういうことですか?」


「わたくしが貴方に勉強を教えます」


 天王寺さんは続けて意図を説明する。


「以前、わたくしは貴方が企画した勉強会に参加しましたが……実を言うと、誰かに勉強を教えたのはあれが初めてでしたの」


「そうだったんですか」


「ええ。ですから、あの時、初めて気づいたのですけれど……どうやら、人にものを教えるという行為は、わたくし自身のためにもなるようです」


 というと……どういうことだろうか。

 首を傾げる俺に、天王寺さんは告げる。


「要するに、人に勉強を教えることで、わたくし自身の学力も向上したということですわ。その結果が先程の試験結果です。わたくしは此花さんを相手に、差を埋めることができました」


 成る程。

 話が見えてきた。


「つまり天王寺さんは、ああいう勉強会のようなことを今後も続けてみたいということですね?」


「そういうことですわ」


 話を理解した俺は首を縦に振る。


「でも、どうして俺を協力者に?」


「わたくしの身近にいる人で、貴方の成績が一番低いからですわ」


「ぐ……っ」


 悔しいが、何も言い返せない。


「とはいえ、これだけでは貴方に面倒をかけてしまうだけですわね。何かこちらも手伝えることがあればいいのですが……」


「……勉強を教えていただけるなら、それだけでも俺にとってはありがたいですよ」


「いいえ。貴方に勉強を教えるのはわたくしの都合なのですから、わたくしも何か対価を支払わねば、フェアではありませんわ」


 律儀な人だ。

 俺の気持ちというより、天王寺さん自身が納得できないのだろう。


「貴方、勉強以外で苦手なことはありませんの?」


「苦手なことですか……」


 お世話係になってから、しでかした失敗の数々を思い出す。

 勉強も運動も屋敷での仕事も護身術も、完璧とは程遠いが、やはり一番苦手なのは……。


「……マナー、ですかね」


 そう答えると、天王寺さんは満足気な笑みを浮かべた。


「では、わたくしが直々にマナーを教えてさしあげますわ! 天王寺家は礼儀作法を重んじる一家。マナーは得意分野ですの!」


 胸に手をやり、「任せなさい!」と言わんばかりに天王寺さんは溌剌とする。

 正直、それは非常に助かる。非常に助かるが、放課後を費やすとなれば俺の一存では決められない。


「話はとてもありがたいんですが……少し考えさせてください」


 そう言うと、天王寺さんは不思議そうな顔をした。


「何故ですの? 貴方も乗り気だったではありませんか」


「その、家の都合で、勝手にスケジュールを組むことが許されていませんので」


「成る程。難儀な家みたいですわね」


 難儀と言えば、確かに難儀かもしれない。なにせ天下の此花グループである。

 最近は慣れてきたとはいえ、偶に肩身が狭い思いをする。

 日々の苦労を思い出して軽く溜息を吐くと……天王寺さんに、無言で睨まれていることに気づいた。


「西成さんは、家にいる時も今と同じように振る舞っているのですか?」


「今と同じようにと言いますと……?」


「自信の欠片もなく、どこかオドオドしているように見える態度という意味です」


 相変わらず手厳しい指摘だった。

 しかし、今の俺がオドオドしているというなら、きっと屋敷にいる時の俺も同じだろう。


「多分……家でも、こんな感じだと思います」


 そう答えると、天王寺さんは嘆息した。


「わたくしが貴方を誘ったのは、成績以外にもうひとつ理由があります。それは貴方の、学院での振る舞いについてです」


 天王寺さんは、真っ直ぐ俺の目を見据えて続ける。


「ズバリ訊きます。――貴方、周りの人たちに劣等感を覚えていますわね?」


 一瞬、心臓が鷲掴みにされたのかと思った。

 それは、隠していた真実が見透かされた衝撃というわけではなく……俺自身ですら気づいて・・・・・・・・・・いなかった・・・・・心理を見抜かれたことによるものだった。


 俺は貴皇学院で唯一の庶民だ。周りの生徒と比べれば、頭のできも家柄も、何もかもが劣っている。


 普段はそこまで深刻に考えることもないが、ふとした時にその事実が脳裏を過ぎる。俺は本来なら貴皇学院に入学を許されない身分であり、此花家の力で籍を置いているだけに過ぎないのだ。劣等感を覚えない方が難しいだろう。


 ――俺は、コンプレックスを抱いているのかもしれない。


 今更ながら、そう思う。

 押し黙る俺の心情を見抜いてか、天王寺さんは続けて言った。


「貴皇学院の生徒で、その手のコンプレックスに陥る方は決して珍しくありません。しかし幸いなことに、貴方には向上心があります。わたくしの指導を受ければ、そのコンプレックスから脱却できることを約束しますわ」


 ありがたい。

 思わず、今すぐに承諾してしまいそうなくらい、ありがたい提案だった。


 お世話係として雛子に貢献したい。その気持ちが強くなればなるほど、課題と直面する回数も増えていた。安直な考えかもしれないが、天王寺さんに勉強やマナーを教わることができれば、それらが一気に解決するような予感がする。


「そろそろ教室に戻らなくてはいけませんわね。返事はなるべく早めに聞かせてくれると嬉しいですわ」


「……分かりました。明日、返事をします」


 放課後になったら、すぐに静音さんに相談してみよう。


「声を掛けていただき、ありがとうございます。……天王寺さんは、本当に人を見る目がありますね。正直、ここまで見透かされるとは思いませんでした」


「世辞は結構ですの。大したことではありませんわ」


「いえ、本当に凄いと思います」


 感心して告げると、天王寺さんは視線を逸らした。


「本当に、大したことではありません。……わたくしも、経験者というだけの話ですわ」


 後半の台詞は殆ど独り言だったため、殆ど俺には聞こえなかった。

 しかし、いつも気丈に振る舞っている天王寺さんにしては、珍しく暗い表情を見せていたことだけは記憶に強く残った。


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