第51話 2位じゃ駄目なお嬢様


「では、行ってきます」


 車を降りて、俺は静音さんと運転手に頭を下げた。

 雛子は十メートルほど前方を歩いている。俺はその距離を保ったまま、学院へ向かった。


「此花さん、おはようございます」


「あら、西成さん。おはようございます」


 下足箱で雛子と合流して、互いに挨拶を交わした。

 本当は今朝、雛子の部屋で挨拶を済ませているが……公にはこれが一度目の挨拶である。


 完璧なお嬢様を演じている雛子は、人当たりがよく、それでいて高嶺の花らしい風格を醸し出しているため、異性であれば誰でも動揺してしまうほどの魅力を放っている。


 しかし俺は、それが本性でないと知っているからか、いつもの――本来の雛子の方が好きだった。


「……毎回、めんどくさいね」


「……何がだ?」


 雛子が小さな声で本音を吐露したため、俺は周囲の耳目に注意しながら、小声で訊き返した。


「朝、一緒に来てるのに……わざわざ一度離れてから、後で合流するなんて」


「……仕方ないだろ。同じ場所で暮らしていることが、誰かにバレるとマズいからな」


 窮屈ではあるが、これでもマシになった方だ。

 お茶会や勉強会を経て、俺と雛子が友人の間柄であることは既に学院内で周知の事実となっているらしい。そのため最初の頃と比べて、雛子とは必要以上に距離を空ける必要がなくなった。教室では普通に会話できるし、放課後を一緒に過ごしているところを目撃されても、大抵は誤魔化せるだろう。


「でも……偶には、一緒に登校したい」


「途中まで同じ車に乗ってるだろ? 最後が分かれているだけで」


「そうじゃなくて……」


 雛子が視線を下げながら、言う。


「二人で……一緒に、外を歩きたい」


 そういうことか。

 確かにそうだなと思う一方で、残念ながら簡単には実現しないなとも思う。……今度、静音さんに相談してみるか。


「あ! 二人とも!」


 下足箱で靴を履き替え、雛子と一緒に教室へ向かっていると、その途中でクラスメイトの旭さんと遭遇した。


「おはようございます」


「うん、おはよ! あのね、今、職員室の前に中間試験の結果が張り出されているらしくて、よかったら一緒に見に行かない?」


 旭さんが俺と雛子の顔を見ながら言う。

 貴皇学院では、定期試験を行う度にその席次が発表される。ただし公に発表されるのは上位三十名までで、恐らく俺は含まれていないだろう。


 雛子と顔を見合わせ、俺たちはほぼ同時に頷いた。


「いいですよ」


「私もご一緒させていただきます」


 授業開始までまだ時間に余裕がある。

 教室にいても暇なだけだし、それに正直なところ、俺はその席次発表に興味があった。前の高校ではそんなイベントなかったからな……。


 三人で職員室の方へと向かう。

 その途中、見知った男子生徒を発見した。


「あ、大正君」


「おお。皆、来たのか」


 大正が俺たちの存在に気づき、軽く笑みを浮かべる。


「大正君はどうせ載ってないでしょ」


「うるせぇ。載ってなくても見たいもんは見たいんだよ」


 そう言って大正は、掲示板に張り出された席次を見た。

 俺たちもその視線を追うように、掲示板に目を向ける。

 真っ先に目に入る順位である一位には、俺たちのよく知る名が記されていた。


「今回も此花さんが一位かー。流石だね!」


「ふふ、ありがとうございます」


 お嬢様らしい上品な笑みを浮かべる雛子。その美貌に、周囲にいる生徒たちの視線は吸い寄せられていた。


 素の性格を知っている俺は偶に忘れそうになるが、雛子は文武両道の才女である。

 本当に……能力だけは優秀なんだな。

 能力だけは。


「いてっ」


 唐突に、雛子に足を踏まれた。


「……なんか、失礼なこと考えてる」


 何故分かった。

 頬を膨らませる雛子に、俺は視線を逸らす。


 以前と比べて、雛子は感情表現が豊かになった気がする。

 それも、演技ではなく本性・・の方だ。これはいい傾向だと思う。何が切っ掛けで変化したかは知らないが。


 雛子の変化も、悪いことばかりではないかもしれない。

 そんなことを考えながら、ふと視線を横に動かすと、人集りの中でも一際目立つ金髪縦ロールの少女が見えた。


 少女は顎に指を添え、何やら難しい顔をしている。

 その様子が気になった俺は声を掛けた。


「天王寺さん?」


「あら、西成さんも来ていたのですね」


 天王寺美麗。

 此花グループに匹敵するほどの財閥系である、天王寺グループのご令嬢だ。

 俺は彼女が先程まで見ていた掲示板を一瞥して、口を開く。


「二位、おめでとうございます」


「……一位にあの憎たらしい名前がある限り、喜ぶことはできませんわ」


 素直に賞賛したつもりだったが、天王寺さんは悔しそうな顔をした。

 思えば、天王寺さんは初対面の頃からずっと雛子に競争心を燃やしていた。自分の上に雛子の名が記されている時点で、彼女は満足しないのだろう。


「ですが今回は、有意義な結果となりました」


 有意義な結果?

 首を傾げる俺に、天王寺さんは説明した。


「前回と比べて、此花さんとの差が埋まっていますの。此花さんの点数が落ちたわけではありません。つまりこれは、紛れもなくわたくし自身の成長……! ふふふ、漸く勝機が見えてきましたわ……!」


 天王寺さんは、瞳の内側で炎を燃やしながら呟いた。 


「ところで、貴方は何位だったんですの?」


 あまりにも当然のように訊いてくるので、少し返事が遅れる。


「俺は載ってなかったです。多分平均か、それより少し下くらいだと思います」


「はい?」


 微かに怒気を発しながら、天王寺さんは訊く。


「今、なんと?」


「ええと、その、平均かそれより少し下くらいかと……」


「このわたくしから、直々に指導を受けたにも拘わらず……平均以下?」


 天王寺さんの額に青筋が浮かぶ。


「て、天王寺さんに教わった科目は、手応えあったんですけど……」


「お黙りなさい!」


 ピシャリと告げられる。


「相変わらず貴方は、意識が低い! どれだけ真面目でも、目標が低ければ成長できませんわよ?」


「うっ」


 その一言は俺の胸に強く突き刺さった。

 俺としては、身の程を弁えた上で少しずつ成長していくつもりだったが、それは卑屈な考え方だったかもしれない。


「猫背」


「は、はい」


 指摘され、いつの間にか丸まっていた背筋をピンと正す。


「まったく……以前から思っていましたが、貴方は感情が態度に表われやすいタイプですわね」


「そ、そうなんですか……」


 全く自覚がなかった。


「しかし逆に言えば、確固たる自信さえつければ、貴方はもっと堂々とした佇まいができる筈ですわ」


 そう言って天王寺さんは、考える素振りを見せた。

 次は何を言われるのか。恐る恐る待っていると……。


「提案があります。これから暫く、わたくしと一緒に放課後を過ごしませんか?」


 予想の斜め上となる言葉を、天王寺さんは告げた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る