2章 天王寺美麗は指導したい
第50話 プロローグ:お嬢様の様子がおかしい
此花家の社交界が終えた二日後。
月曜日の朝。俺は学生服に着替え、使用人たちのミーティングに出席した後、雛子の部屋へ向かった。
「……ぐっすり寝てるな」
昨日は休日で特に用事もなかったので、朝は起こしに行かなかった。
ここ最近、お世話係の解任騒ぎで色々とごたついていたが、この幸せそうな寝顔を見ると自分が日常に帰ってきたのだと実感する。
とはいえ、のんびりとしているわけにもいかない。
布団を蹴っ飛ばし、臍を出しながら寝ている雛子の身体を揺らす。
「雛子、朝だぞ」
「んぅ………………いつ、き?」
「ああ」
部屋のカーテンを開き、日光を入れた。
上半身を起こした雛子が、眠たそうに目を擦る。
「……おはよ」
「おはよう」
挨拶を交わしながら雛子の方を向く。
日光が差し込み明るくなった部屋で、雛子は大きなあくびをしてから、溜息を吐いた。
「学院……行きたくない」
「我儘言うな」
演技は大変なことかもしれないが、学院に通うのは決して無益ではない。
いずれ雛子には、自分から学院に通いたいと思うようになって欲しい。そしてそれは、お世話係である俺の使命なのだろう。
お世話係を解任されそうになったことは、忘れてはならない。
俺も気を引き締めねば。
そんなことを考えながら、ふと俺は雛子の口元に注目した。
「雛子、ちょっと顔上げてくれ」
「んぅ……?」
不思議そうに顔を上げた雛子へ、俺はポケットから取り出したものを近づけた。
「何、それ?」
「ハンカチ。涎が垂れてるから、拭こうと思って」
「よ、だれ…………」
頭が回っていないのか、雛子は俺の言葉を繰り返す。
次の瞬間、雛子は急に焦った様子で顔を下に向けた。
「どうした? 急に顔を伏せて」
「自分で拭くから…………顔、見ないで」
差し出された掌にハンカチを載せると、雛子はすぐにゴシゴシと口周りを拭いた。
俺が雛子の涎を拭くことは、お互いとっくに慣れている筈だが……どうしたのだろうか、今日に限って。
「着替えを持ってきたぞ」
「……ん」
雛子が小さな頭を縦に振る。
雛子を起こしたら、次は着替えの手伝いをしなくてはならない。最初は刺激的で頭がクラクラしたが、最近は理性を保つことができるようになったため、苦手意識はすっかりなくなっていた。
「……出ていって」
「え?」
「早く、出ていって」
着替えを両手に抱えたまま、雛子が言う。
その言葉は、俺にとって信じられないくらい衝撃的だった。
「……………………え?」
驚きのあまり再度訊き返すと、雛子は顔を赤く染めながら、俺を部屋の外まで押し出した。
背中からパタリと扉の閉じられる音がする。
「……うーむ」
流石にこれは、気のせいではない。
どうも先日の社交界から、雛子の様子が変だ。
厳密には、俺に対する態度が以前と違う。今までならもっと、素直に甘えてきたというのに……どういう心境の変化だろうか。
「暫くすれば元に戻るか……?」
扉の傍で待つこと十分。部屋から雛子が出てきた。
案の定、一人では上手く着替えられていなかったため、結局、俺が手伝うことになった。シャツのボタンは掛け違えており、スカートファスナーも真ん中辺りで生地を噛んでいる。いつもと違うのは、俺がそれらを直している間、雛子が恥ずかしそうにずっと視線を逸らしていたことだ。
雛子を食堂まで案内してから、俺は自分の部屋へ、教科書の入った鞄を取りに行く。
その途中で、静音さんと顔を合わせた。
「伊月さん。お嬢様と何かありましたか?」
「何か、ですか? ……いえ、特に何もなかったと思いますが」
強いて言うなら雛子の様子が変だったことだが、何かがあったというわけでもない。
「お嬢様が、明日からは伊月さんに起こされたくないと仰っていました」
「えっ」
「もう一度訊きます。何かありましたか?」
犯罪者を見るような目で睨まれる。
流石にその誤解は解いておきたいので、俺は社交界以降の雛子の様子について説明した。静音さんに話せば何かヒントが得られるかもしれない。
「お嬢様の様子が変、ですか……」
「あの。俺、雛子に嫌われるようなことをしたでしょうか」
「いえ、寧ろ先日の一件で、お嬢様が伊月さんのことをかなり気に入っていると分かったのですが……」
そう言われると嬉しいような、恥ずかしいような。
「体調不良というわけではないようですが、私も少し様子を見てみます。何か分かれば報告してください」
「はい」
静音さんと分かれ、雛子がいる食堂へ向かう。
そろそろ、学院に向かわなくてはならない。
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2章、デスワ系お嬢様の回、開始です!
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