第49話 エピローグ:すれ違うお嬢様
お世話係の解任が急遽、取り消しになってから、一週間が過ぎた頃。
俺は、此花家が主催する社交界へ参加することになった。
「着心地はどうですか?」
「大丈夫です」
静音さんが丁寧に衣装をチェックしてくれる。
天下の此花グループが主催するだけあって、社交界は煌びやかなものになるらしい。既に会場には大勢の客が集まっており、いつでも社交界が始められる状態だ。
「今回、伊月さんは表向きの立場として……つまり中堅企業の跡取り息子として、社交界へ招待している体裁です。マナーに自信がないようでしたら、せめて目立たない行動を心掛けてください」
「分かりました」
淡々と業務をこなす静音さんに、俺はふと、口を開く。
「静音さん。改めて、ありがとうございます」
こちらに振り向く静音さんに、俺は続けて言った。
「会食での一件を不問にして、俺を再びお世話係として雇うよう華厳さんに打診したのは、静音さんですよね?」
「……確かに、そう打診したのは私ですが、それを可能にしたのは伊月さんの功績です」
俺の首に巻かれたネクタイをきゅっと締めながら静音さんは言う。
「とは言え、あの日は少々肝を冷やしました。華厳様を説得するには、言葉だけでは不十分だと判断し、本邸から取り寄せた招待状を直接見せてから説得を試みるつもりでしたが……まさかその前に、伊月さんがあんな大胆な行動に出るとは」
「……すみません」
あの日、静音さんが口にした言葉を、俺は今も覚えている。
私は華厳様に雇われる身ですが、お嬢様の味方です。――静音さんはそう告げていた。きっと静音さんも、俺の知らないところで雛子のために奔走してくれていたのだ。
「それでは、私は仕事に戻ります」
衣装のチェックを終えた静音さんが言う。
「社交界の間は、気を抜かないことは勿論ですが、余裕があれば周りにいる方々の様子を観察してみるのもいいでしょう。勉強になるかと思います」
「分かりました。……俺にとっては、この社交界も修行みたいなものですね」
「当然です」
静音さんは言う。
「伊月さんには、今後も成長してもらわなくてはなりませんから」
そう言って静音さんは踵を返した。
数分後、社交界が始まった。
政界の大物や、大企業の社長や役員たち、およびその関係者たちが一堂に会する。華やかなその会場に足を踏み入れた俺は、瞬時に居たたまれない気持ちになった。
「……場違いだなぁ、俺」
静音さんにも目立つなと言われていたし、大人しくしておこう。
視線を避けて壁際まで移動する。
「やあやあ、西成君!」
突然、背後から声を掛けられて、俺は肩を跳ね上げた。
振り替えると、そこには見知った人物が二人いる。
「旭さんに、大正君ですか……」
「よっ」
元気が有り余っている旭さんの隣で、大正も気軽に挨拶をした。
二人は俺と違って社交界の空気に慣れているのか、堂々とホールを歩いて近づいてくる。
「お、西成、いいスーツ着てるな。それイタリアのブランドだろ?」
「はい。この日のために用意したものです。正直、着慣れませんが……」
「あー……俺も似たような感じだ。まあ、今回は此花家の主催だからな。下手な衣装で恥を掻くわけにはいかねぇし、気を遣っといて損はないと思うぜ」
大正の言う通りだろう。
頷いた俺は、旭さんの衣装にも注目する。
「旭さんも、華やかなドレスですね」
「でっしょー!? どう、見惚れたっ!?」
「え、ええ、見惚れました……」
くるりと身体を一回転させて胸を張る旭さんに、俺は苦笑しながら答えた。
若干、背伸びしている感じはするが、皆まで言うまい。
「西成、正直に言っていいぜ。馬子にも衣装だってな」
「あはは! 大正君、面白いこと言うね。ちょっとこっち来ようか?」
大正が、旭さんに耳を引っ張られてどこかへ消えた。
二人の背中を見届けると、すれ違うように金髪の少女が近づいてくる。
「相変わらず、騒がしい方々ですわね」
溜息混じりにそう呟いたのは、天王寺さんだった。
「ですが、どのような環境でも気ままに過ごせるというのも、ひとつの才能かもしれませんわね」
「……そうですね」
会場の隅の方で萎縮している俺にとっては、強く突き刺さる言葉だった。
「い、伊月ぃ……」
背後から、聞き慣れた声がする。
「……成香か」
「うぅ……助けてくれ。なんだこの、華やかな空間は。眩しい……眩しすぎるぞ……」
青褪めた顔で弱音を吐く成香。
その様子に、天王寺さんは嘆息した。
「都島さん……貴女、そんな調子ではこの先やっていけませんわよ」
「そ、それはそうだが、こればかりは性分というか……」
「まったく。……いい機会です。一度、荒療治してみればどうですか?」
「あ、荒療治?」
「わたくしと一緒に挨拶回りへ行きましょう。幸い、この会場にはあらゆる業界の大物がいらっしゃいますから、話しているうちに度胸もつく筈ですわ」
「い、嫌だ! そんなことをしたら死んでしまう!」
半泣きになっている成香を、天王寺さんは強引に何処かへ連れて行った。
旭さんたちに負けず劣らずの騒がしさである。
「皆、楽しんでるなぁ……」
遠ざかる少女たちの背中を見届け、俺は呟く。
少し喉が乾いたので、飲み物を取りに行く。
その途中で、俺はスーツを見事に着こなした男性を見つけた。
意を決し、こちらから声を掛ける。
「華厳さん」
こちらに振り向く華厳さんに、俺は頭を下げた。
「この度は、便宜を図っていただき、ありがとうございます」
「……ほぅ」
華厳さんは、少し意外そうな顔をした。
「てっきり、恨み言のひとつやふたつ、言われるかと思ったが」
「言ったところで意味はありませんし……折角、俺にとってはいい結果になったんですから、ここで自分の首を絞めるような真似はしませんよ」
この状況で華厳さんの機嫌を損ねるメリットはない。
そう告げる俺に、華厳さんは落ち着いた眼差しを注いだ。
「君はもっと直情的な人間かと思っていたが、それなりに頭を回すことはできるんだな。……それでもあの日は、私のもとまで駆けつけようとしたわけか」
華厳さんはそう呟いて、踵を返す。
ワイングラス片手に歩き出した華厳さんは、俺を手招きした。場所を変えたいらしい。
向かう先は、ホールと繋がっているバルコニーだった。少し歩いて角を曲がると、人の耳目がない落ち着いた場所に出る。華厳さんはそこで立ち止まり、手すりに肘を置いて一息ついた。俺は無言でその隣に立つ。
「雛子は天才だ」
不意に、華厳さんが言った。
「貴皇学院でも、一番の成績みたいですからね」
「そういう次元の話ではない」
口元でグラスを傾けて、華厳さんは語る。
「雛子は、性格こそ問題だが、実務に関しては天賦の才を持っている。……ああ見えて、あの子は此花家の血筋に相応しい才能を受け継いでいるんだ」
遠くを見つめながら、華厳さんは言った。
「だからこそ、私は雛子に家を継いで欲しい。無論、表向きは婿養子が継ぐことになるが……あの才能を活用しない手はない。学院を卒業すれば時間の束縛からは解放されるし、仕事用の個室でも与えれば負担もぐっと減るだろう。今を乗り越えれば、活路が開ける」
華厳さんが見ている未来が、少しだけどんなものか理解できたような気がした。
もっとも、理解したところで共感はできないし、納得もしたくない。
「……どうしても、雛子じゃないと駄目なんですか?」
「ははっ、代わりがいるなら私の方から飛びつくさ」
華厳さんは笑みを浮かべる。
「ただ、此花家は重い」
笑みをすぐに消した華厳さんは、神妙な面持ちで言った。
「グループ全体の従業員数、凡そ八十万人。その全ての人生を背負うには、生半可な才能では足りないんだ。たったひとつの失敗で、多くの従業員が犠牲になることもあるし……重圧に押し潰されて、大切な人を失うこともある」
そう言って、華厳さんは薬指に嵌めた指輪を撫でる。
以前、静音さんから聞いた話によると、此花家では当主だけでなくその妻も仕事に関わるらしい。しかし……華厳さんの妻は、既に亡くなったと聞いている。
きっと華厳さんは過去に、何かあったのだろう。
しかし、だからといって雛子を蔑ろにしていいわけじゃない。
「華厳さんは、雛子のことをどう思っているんですか?」
ずっと訊きたかったことだった。
華厳さんは、視線を下げて答える。
「私は、娘よりも家を優先した。その時点で、私にとっては娘も息子も、此花家の歯車としか見ていない」
手すりに置いていた肘を持ち上げ、華厳さんはホールの方を向く。
「勿論……私自身もね」
小さくそう呟いて、華厳さんはバルコニーを後にした。
肌寒い夜風が頬を撫でる。ホールの熱気も、ここには届かない。
ゴチャゴチャになった頭を冷やすために、暫くバルコニーに留まることにした。
「伊月」
誰かに声を掛けられる。
「……雛子」
琥珀色の髪をした、可愛らしい少女がそこにいた。
白い綺麗なドレスを身に付けた雛子は、小さな歩幅で近づいてくる。
「どうしてここに?」
「パパが、伊月はここにいるって、言ってたから……」
「……そうか」
周囲に人の目はない。だから雛子も今は素の自分に戻っている。
「お世話係……続けてくれて、ありがと」
バルコニーの手すりに触れながら、雛子は言う。
「あの時、伊月が言ってくれたこと……凄く、嬉しかった」
それはきっと、静音さんの前で啖呵を切った時のことだろう。勢い余って色んな思いをぶちまけてしまったため、俺にとっては若干、恥ずかしい記憶だが……雛子が嬉しく感じているなら、問題ないかもしれない。
「私……これからも、伊月を信じるね」
純粋無垢な瞳で見つめられる。
その態度が、表情が、言動が、俺の感情を強く揺さぶった。
「……おう」
動揺を押し殺して返事をする。
偶に――忘れてしまいそうになる。
雛子は俺のことを異性として見ているわけではない。そんな雛子の期待に応えるためには、俺も必要以上に雛子を異性として見てはいけないのだ。
「ふぃー…………」
手すりに顎を載せた雛子が、気の抜けた声を漏らす。
「大丈夫か?」
「いっぱい挨拶して、疲れた……頭撫でて」
「……はいはい」
頭を差し出してくる雛子に、俺は苦笑する。
やはり、俺に求められているのは家族代わりの温かさなのだろう。その期待に応えるべく、俺はできるだけ優しく雛子の頭を撫でた。
「……む?」
いつも通りに撫でると、雛子が奇妙な声を漏らす。
「……む? ……む?」
頭を撫で続けると、その顔はみるみると紅潮していき――。
「……むっ!?」
耳の先まで真っ赤に染まった雛子は、途端に大きく後退った。
目を見開いて、雛子は困惑している。
「あ、れ……?」
「どうした? 急に顔が赤くなったが……」
「……なんでも、ない」
自分でも何が起きたのか分からない様子で、雛子は戸惑っていた。
体調を崩したのかもしれない。心配になった俺は雛子に歩み寄る。
「体調が悪いなら、無理しない方が――」
「な、なんでも、ない、から……っ!」
妙に焦りながら、雛子はまた後退る。
――あれ?
まさか、俺……避けられてる?
俺の知る限り、雛子がここまで分かりやすく動揺したのは初めてのことだ。……そんな、はっきりと感情を吐露するくらい、俺から離れたいのだろうか。
馴れ馴れしかったか?
いや、でも頭を撫でるくらいのことは、今まで何度もしてきた筈だ。
「……変」
真っ赤な顔を隠すように、雛子は両手で頬に触れながら、不思議そうに呟く。
「私……なんか、変……」
※ ※ ※
【書籍情報】
本作はHJ文庫様にて書籍化しています。
現在3巻(成香編)まで発売中です。
書籍版はweb版と比べて大量に加筆しており、最高に美しいイラストもついていますので、是非そちらもお読みください!!
カバー見たら分かりますが、本当に綺麗なイラストを描いていただいています!
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