第48話 信じるお嬢様


「確保」


 静音さんが短く告げた直後、四方から一斉に使用人が迫った。


「く――っ!?」


 同時に掴まれると身動きができない。

 一番、体格が細い使用人の方へ自ら接近し、振り抜かれた拳を避けながら包囲網から外れる。


 今までの使用人たちとは体捌きが違った。皆、冷静で、連携も取れている。静音さんが連れてきたということは、徹底的に訓練された使用人なのだろう。


 四人中、必ず一人以上が俺の死角に回り込もうとしていた。その動きを察知して、俺は振り向くことなく背後へ回し蹴りを繰り出す。足裏が使用人の胸を捉えた。蹴飛ばされた使用人が悲鳴を上げ、目の前にいる残る三人は驚愕の声を漏らす。その隙を突いて手前にいた使用人へ肉薄し、背負い投げで倒す。


 だが、次の瞬間。

 俺は背後から掴まれた。


「しま――っ!?」


 音もなく接近していた五人目の存在に、今、気づく。最初に襲ってきた四人は、全員が囮だったらしい。


 全力で拘束から逃れようとするが、ビクともしない。

 歯を食いしばる俺に、静音さんは悠々と歩み寄ってきた。


「短期間でよくここまで成長しました。飲み込みが早かったので、私もつい本気で鍛えてしまいましたが……期待以上の進歩です」


「……褒めてくれるなら、そこを退いて欲しいんですけど」


「それはできません」


 きっぱりと言われた。


「……静音」


 雛子が、小さな唇を開く。


「私……これからは、演技を徹底する」


 身動きできない俺の傍に、ゆっくりと近づきながら雛子は言う。


「もう二度と、演技をやめない。いつでも、どこでも、完璧に演じてみせる。だから……お願い。伊月と一緒にいさせて」


 雛子が口にしたその要望に、静音さんは無言で驚いた。

 今までの雛子の態度を考えると、その要望は有り得ないものだった。演技をする負担は雛子自身が一番理解している筈。ただでさえ自由でいられる時間が限られているのに、雛子はその全てを捨ててまで俺と一緒にいようとしてくれている。

 

 だからこそ――俺はそれを否定しなくてはならない。


「雛子、それは違う」


 はっきりと俺は告げた。


「俺は雛子に無理をしないで欲しい。そのために、傍にいたい。他の皆が駄目でも、せめて俺だけは――雛子が無理をしなくてもいい相手になりたいんだ」


「いつ、き……」


 無理をしてまで一緒にいて欲しいわけじゃない。

 先程の、雛子の考えは……俺にとっては本末転倒なのだ。


「だから頼む。俺が守りたいものを、自分から捨てようとしないでくれ」


 雛子にとっては、よほど想定外の言葉だったのか。

 目の前に佇む少女は、いつも眠たそうな眼を見開いていた。


「……ん」


 小さく、しかし間違いなく、雛子は頷いて、


「私……伊月を信じる」


 呟くようなその声音は、確かに俺の耳へ届いた。


 雛子は真っ直ぐこちらを見つめている。その瞳には、同じように雛子を見つめる俺の姿が映っていた。


 不思議な感覚だ。言葉を交わさなくても、雛子と気持ちが通じ合っているような気がする。


「盛り上がっているところ、申し訳ございませんが……」


 静音さんが口を開く。

 問題はここからだ。俺は抵抗の意志を示すべく、静音さんを睨んだが――。


「伊月さん。心配しなくても、貴方が思うような結末にはなりません」


「……え?」


 溜息混じりに告げる静音さんに、俺は目を丸くした。


「貴方がお世話係として成し遂げた功績は、すぐに華厳様の耳へ届くでしょう。それまで、暫しお待ちください」


「ま、待つって……」


 静音さんが何を言っているのか分からない。

 その時、静音さんの方から電子音が聞こえた。静音さんはメイド服のポケットから携帯電話を取り出し、画面を見る。


「いいタイミングですね」


 そう言って静音さんは携帯電話を耳元にあてた。

 暫く誰かと通話した後、静音さんは俺の方を見る。


「華厳様に呼ばれましたので、私はこれで失礼します。お二人とも、もう少しだけこの場でお待ちください」


 厳しい表情を崩して、静音さんは普段の恭しい様子に戻る。


「静音さん。……貴方は、誰の味方なんですか」


「私は華厳様に雇われる身です」


 続けて、静音さんは告げる。


「ですが……私はお嬢様の味方です」




 ◆




 華厳に呼び出された静音は、執務室の扉をノックした。


「失礼します」


 扉を開き、静音は執務室に入る。

 華厳は大きな机の向こうに座っていた。


「華厳様、ご用件は――」


「――来い」


 短く告げる華厳に、静音は小さく頷いて従う。


「なんだ、これは?」


 そう言って華厳が見せたのは、机の上に重ねられた複数の書類だった。


「此花家が主催する社交界の招待状……その返事ですね。暫くこちらの屋敷に滞在するとのことでしたので、本邸に届いたものを取り寄せておきました。華厳様も、なるべく早く目を通したいと思いましたので」


「その判断に間違いはない。が……」


 書類の束を崩しながら、華厳は言う。


「この、四人の招待客について説明してくれ」


 華厳は四枚の招待状を静音に渡した。

 静音は「承知いたしました」と頷き、説明を始める。


「旭可憐様は、ジェーズホールディングスのご令嬢です。ジェーズホールディングスは、家電量販店としては国内上位五社に食い込む企業であり、此花グループにとっても大きな取引先となっています」


 一人目の説明が終わる。


「大正克也様のご実家は、引っ越しのタイショウで有名な大手運輸業者です。こちらも業界では上位に食い込む企業であり、此花グループの中でも銀行や不動産関連が提携先として選んでいます」


 二人目の説明が終わる。


「都島成香様のご実家は、日本最大手のスポーツ用品メーカーを営んでおります。現在、此花グループは、スポーツ用品業界にはあまり参入していませんが、ここでコネクションを得ることができれば取っかかりになるかもしれません」


 三人目の説明が終わる。


「そして、天王寺美麗様は、知っての通り天王寺グループのご令嬢です。此花グループとは競合関係にありますが、同じ規模のグループとして非常に重要なコネクションになるかと。手を組めば、確実に大きな利益となります」


 四人目の説明が終わる。

 全員の説明を終えた静音は、最後に一言だけ付け加えた。


「なお、この四人は――――いずれもお嬢様のご学友です」


 静音の説明を聞いて、華厳は額に手をやった。

 その表情は、明らかに戸惑いを浮かべていた。


「……旭も、大正も、今まで招待こそしていなかったが悪くない取引先だ」


 呟くように、華厳は言った。


「都島は社長と面識を持っていたが、社交界にはあまり参加してくれなかった。しかし、つい先程、その社長から『娘が参加するなら私も是非』という理由で、社交界への参加が決定した」


 僥倖である。静音は内心でそう思いながら頷いた。


「天王寺にいたっては……当然、当主との面識は持っているが、娘の参加はこれが初めてだ。今までは良くも悪くも表面上の付き合いだったが……これを機により強固な信頼関係を築けるかもしれない。天王寺家は、数字よりも人間を重視する……上手くいけば他グループを出し抜けるぞ」


 後半は独り言のように、華厳は言う。

 四枚の招待状に改めて目を通した華厳は、深く息を吐いてから静音を見た。


「どれも貴重な人脈だ。……この全てを、雛子が招待したのか?」


「そうなります」


「今までは誰も招待しなかったというのに……ここにきて急に、これほどの繋がりを得るとは」


 戸惑いの色を強くして、華厳は呟くように言う。


「僭越ながら申し上げます」


 黙り込む華厳に対し、静音が言った。


「もし、お嬢様の変化を喜ばしいと思っておられるのであれば……その功労者を、ここで手放すのは得策ではないかと」


「……功労者か」


 静音の意図を、華厳は察する。


「提携中とは言え関わりが薄い造船会社と、今後重要なコネクションと成り得る大手四社……」


 失ったものと得たものを、華厳は比較する。

 ほんの一ヶ月前に知り合ったばかりの、試験的に雇っただけの少年のことを思い出す。その少年に対する感情は、いつの間にか――驚愕から感心・・へと変わっていた。


「……どちらを優先するべきかは、明白だな」


 答えはすぐに出た。

 溜息を零し、華厳は言う。


「伊月君を呼び戻せ」



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