第47話 ぶらんぶらんお嬢様


 一ヶ月ほど此花家で働いていた俺は、屋敷の構造をある程度、把握していた。

 正門を超えると同時にすぐ茂みの裏に隠れて、足音を立てずに屋敷の裏へと回り道する。使用人たちの巡回コースを頭に浮かべ、彼らの位置を推測しながら俺は此花家の敷地を移動した。


「くそっ、何処にいった!?」


「もう一度、正門の方を探せ!」


 遠くから使用人たちの声が聞こえる。

 彼らが離れているうちに、俺は窓から屋敷内に侵入した。


「……大騒ぎになってしまったな」


 しかし退くつもりはない。

 どうせ華厳さんも俺と話すつもりはないのだ。なら、こっちだって押し通る。


「いたぞー!!」


「げっ」


 黒い服を着た此花家の使用人たちが、廊下の向こうからやって来る。

 慌てて踵を返して二階へ繋がる階段を上った俺は、そこでまた別の使用人たちと遭遇した。


「捕まえろ!」


 容赦ないタックルが繰り出される。


「捕まって――たまるかッ!!」


 俺は斜め後方に跳んでタックルを避け、その背中を蹴飛ばした。


「お、おおっ、うわぁぁっ!?」


 背中を蹴られた使用人はそのまま勢い余って階段を転げ落ちた。

 短い階段であるため、大した怪我はしていない。


「こ、こいつ! 手強いぞ!」


「囲んで抑えろ!」


 男たちが接近する中、俺は冷静に、静音さんの教えを思い出す。

 相手が腕を振りかぶれば――。


「なっ!?」


 拳が繰り出されるよりも早く、こちらから懐へ潜り込み、クリンチを維持しながら背後へ回る。相手の行動を封じながら、すかさず膝を足裏で叩いて跪かせた。


「この、大人しくしろ!」


 突き出された拳を避け、その腕を掴む。

 手首を外側に捻って関節を決めると――相手はその痛みから逃れるように、自ずと転倒する。


「ぐうっ!?」


 小手返しという技だ。

 背中から床に転がった使用人の上を跨ぎ、俺はすぐに四階まで駆け上がる。


「静音さん……ありがとうございます」


 護身術は、相手を倒す技術ではなく、自分の身を守るための技術だ。

 つまりその真髄は――敵から逃げること。今の俺にはうってつけの技だった。


「確か、執務室の方向は……」


 華厳さんがいる部屋へと向かう。

 執務室は、俺が初めて華厳さんと話した場所でもある。細かな道はうろ覚えだが、方角くらいは記憶していた。


「……ん?」


 その時、視界の片隅に変なもの・・・・が映ったような気がした。

 立ち止まって、俺はその正体を確認する。


「……んん?」


 窓の外に、細長い布のようなものが吊るされていた。

 その布は……カーテンだ。何故かカーテンが上の階から吊るされており、ぶらんぶらんと揺れている。


 洗濯物を干しているのだろうか? とてもそんな風には見えないが……。

 不思議に思い、首を傾げていると――そのカーテンを伝って一人の少女が下りてきた。

 雛子だった。


「んんんん――――――――ッ!?!?!???!?」


 何やってんだ、あいつ!?

 慌てて止めようとしたが、その前に雛子は下の階まで下りてしまった。


 マズい――もし落ちたら大変だ。


 後少しで執務室まで辿り着けたが、今はそれどころではない。

 無我夢中で階段を駆け下り、屋敷の外に出た俺は、頭上にいる雛子へ声を掛けた。


「雛子! 何してるんだ!」


 紐状に結んだカーテンにぶら下がりながら、雛子がこちらを見る。


「危ないから、早く――」


「……限界」


「は?」


 嫌な予感がする。 


「受け、止めて……」


「ちょっ」


 雛子がカーテンから手をはなす。

 華奢な身体が、宙に投げ出されたて落下した。

 思わず両手を広げた俺は、雛子を胸元で受け止めて――。


「――ぐえっ!?」


 強い衝撃に、肺の酸素を全て吐き出す。


「……ナイスキャッチ」


「お、お前、何してるんだ……本当に……」


「伊月に会いたかったから」


 そう告げる雛子は、安心したような笑みを浮かべていた。

 そんな顔で、そんな台詞を言われたら……怒るに怒れない。


「提案が……ある」


「提案?」


 雛子の言葉に首を傾げる。

 その内容を聞こうとしたところ、


「お、お嬢様が攫われたぞーーー!!」


 屋敷の窓から、俺たちの姿を目撃した使用人が叫ぶ。


「く、くそっ!」


 今回ばかりは不本意だが……雛子をこの場に放置するのも忍びない。

 提案というのも気になるので、俺は雛子を抱えながら逃走した。


「……また、誘拐されちった」


「……まさか、次は俺が誘拐犯になるとは」


 そう言えば、俺たちが出会ったのは誘拐事件が切っ掛けだったな、と思い出す。

 まさか今度は俺が誘拐犯になるなんて、当時の俺は露程も思っていなかった。


「……なんとか、まいたか」


 茂みに隠れた俺は、辺りに人影がないことを確認して安堵する。


「それで、提案っていうのは?」


「……私が人質になる」


 雛子が言った。


「だから、伊月はパパを説得して」


「……それじゃあ説得というより、脅迫になりそうなんだが」


「なら、脅迫して」


 躊躇なく物騒な作戦を提案する雛子に、俺は暫し返答を迷った。

 真剣に検討した結果、俺はその提案に頷けないと悟る。


「……駄目だ」


「どうして……?」


「そんなことしても、根本的な解決にはならない」


 問題をずっと残したまま、表面上だけ平和になっても意味がない。

 それに華厳さんは権力者だ。搦め手で解決しても、搦め手で覆されそうな気がする。


「どうにかして、華厳さんを説得しよう。多分、それしか方法はない」


「説得……できるの?」


「する」


 根拠のない自信だった。

 それでも俺は断言する。


「俺が絶対に、説得してみせる」


 雛子を安心させたい。

 雛子に無理をして欲しくない。


 行き場を失った俺に、居場所を与えてくれた雛子に恩返しをしたい。

 そのためなら俺は――どこまでもしぶとく戦ってみせる。

 

「お嬢様を連れて、何処へ行くつもりですか?」


 聞き慣れたその声に、顔を上げた俺は……冷や汗を垂らした。


「……静音さん」

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