第46話 やる時はやるお嬢様


 コンコン、と短いノックの音が雛子の部屋に響いた。

 部屋の主である雛子は、入ってきて欲しくない時は「入らないで」と返事をするが、入っていい時は何も返事をしない。ノックした人物は、そんな雛子の性格をよく理解しているのか、数秒待った後に扉を開いた。 


「失礼します」


 扉の向こうから現れたのは、使用人の静音だった。


「お嬢様。お体の調子はどうですか?」


「……別に、普通」


 部屋のベッドに寝そべっていた雛子は、気怠そうに答える。

 今日は休日であるため学院には通っておらず、会食に参加しただけだ。仮面を被っている時間はいつもより短い。それでも偶に、今までのストレスが影響して倒れてしまうことがある。


 特に、今日は雛子にとって不都合・・・な出来事があった。

 だから静音は一度仕事を中断して、雛子の部屋を訪れたのだ。万一のことがあってはならないと、様子を確かめるために。


「静音。……伊月は?」


「……伊月さんは既に屋敷を出ました」


 静音がそう答えると、雛子は視線を下げた。


「伊月……一ヶ月も、お世話係だったんだね」


「そうですね」


「……長かったね」


「そうですね」


 何を考えているのかよく分からない雛子の言葉に、静音は淡々と相槌を打った。

 雛子の声音は悲しそうにも聞こえるし、興味なさそうにも聞こえる。


 もしかすると雛子は、伊月が去ったことをそこまで気にしていないのかもしれない。そんな風に、静音は考えたが――。


「お世話係が駄目なら、使用人として雇えばいいんじゃないの……?」


 雛子が訊く。

 それは、伊月以前のお世話係には、絶対に言わなかった提案だった。


「庭師の人手が足りていないって、聞いたことあるけど……」


「……お嬢様」


「調理人は……? 掃除するだけの人とか……いっぱい、仕事あるよ……?」


「お嬢様」


 少しだけ語気を強くして、静音は言う。


「華厳様は、伊月さんをもう雇うつもりがありません」


 そんなこと、雛子も当然のように理解できている筈だ。


 仮面を被っている時の雛子ならいざ知らず、素の雛子は感情が表に出にくい。

 だから静音は今になって漸く気づいた。雛子が、現実から目を逸らすほど落ち込んでいることに。


「……いや」


 小さく、雛子は言う。


「……伊月に会いたい」


「それは、華厳様がお許しになりません」


 静音は表情を変えることなく告げた。


「今回ばかりは諦めた方がいいでしょう。これ以上、華厳様の機嫌を損ねるのは得策ではありません」


 静音の言葉を聞いて、雛子は唇を尖らせる。


「静音は……誰の味方?」


「私は華厳様に雇われる身です」


 雛子は一層、不機嫌になった。


「……もういい。それなら、私が探しに行く」


「なりません」


 静音は注がれる鋭い視線を無視して、一礼する。


「私は華厳様の仕事を手伝わなければならないので、これで失礼します。……念のため、ドアの前に見張りを待機させておきますので、くれぐれも無茶な行動はお控えください」


 そう言って静音は踵を返し、部屋を出て行った。

 パタリと閉じられる扉を見て、雛子は吐息を零す。


「……静音は、分かってない」


 力強く何かを決意するかのように、雛子は両手で布団を握り締める。


「私は、やる時はやる女…………」


 キラリとその目を輝かせて、雛子は行動を開始した。




 ◆




 成香と別れた後、俺はすぐに此花家の別邸へと向かった。

 華厳さんは今、本邸ではなく別邸の方にいる。会食が終わった後、当初は本邸に戻る予定だったが、雛子の生活環境を調べるために別邸へ寄り道したのだ。ついでに執務室で仕事をするとも言っていたので、暫くは別邸に留まるつもりだろう。


 俺は此花家の本邸が何処にあるか知らないため、なんとしても今日中に華厳さんに会わねばならない。


 再び屋敷に戻ってきた俺は、門の前に立つ二人の使用人に睨まれた。


「何しに戻ってきた?」


 その声音は冷たい……だが視線には同情の色が込められている。

 お世話係として一ヶ月近く働いてきた俺は、此花家の使用人たちに顔を覚えられていた。勿論、会話だってしたことある。目の前にいる二人の門番は、毎日、俺と雛子が登下校する際に顔を合わせていた。


「中へ、入れてください」


「……断る。屋敷に入りたければ、正しい手順を踏め」


 華厳さんにアポを取ってから来いと言っているのだろう。

 しかし俺は、その言葉を受け入れて引き下がるわけにはいかなかった。


 ――素直に従ったところで、華厳さんが許可してくれる筈もない。


 二人の門番を無視して門の前まで向かう。

 頑丈な門だが、足を掛けられる凹凸がある。よじ登って超えることは可能だろう。


「待て」


 門に向かって一歩を踏み出すと同時に、門の両隣に立つ二人の使用人がこちらに近づいた。


「それ以上先へ進むなら、君は侵入者だ。我々も然るべき対応を取る」


 それは暗に、俺の身を心配している言葉だった。

 しかし、こちらには退けない理由がある。


「すみません――っ!」


 意を決して俺は門へと駆け出す。


「なっ!?」


 強引に門をよじ登ろうとする俺に、二人の使用人たちは驚いて駆けつけた。


「このっ、馬鹿野郎!」


「此花家の門番を舐めるな!」


 左右から門番が迫る。

 ここで捕まってしまえば、もう二度と雛子に会えないかもしれない。そんな不安が焦りを生み、思考がグチャグチャに乱れてしまう――かと思いきや。


 俺は、この状況にも拘わらず、自分でも驚くほど冷静だった。


「――え?」


 声を出して驚愕したのは俺の方だった。

 だが、相手はもっと動揺している。


 右方から迫る腕を紙一重で避けた俺は、すぐに門番の懐へ潜り込み、膝のバネを利用してその屈強な身体を投げた。門番の背中が硬い地面に打ち付けられ、バン! と激しい音が響く。


「ぐあっ!?」


 足元で悲鳴を上げる門番から目を逸らし、もう一人に視線を注ぐ。


「な、なんだ今の動き……!?」


 まさか反撃されるとは思わなかったのか、残る一人の門番は萎縮していた。

 その隙を突かない手はない。


 ――身体が勝手に動く。


 頭の中で、静音さんから教わった護身術の心得が目まぐるしく反芻される。

 我に返った門番がこちらへ近づくが、もう遅い。先に門番へと肉薄した俺は、素早くその腕を掴んで外側へ捻った。体勢を崩したと同時に足元を払い、転ばせる。


「がッ!?」


 二人目の門番も、一人目と同じように倒れた。


「き、貴様……どこでこんな、技術を……」


 門番が呻く中、俺は自分の拳を見つめながらここ一ヶ月の日々を思い出した。

 以前、静音さんが言っていたことを思い出す。俺は、護身術の才能には長けているらしい。


「すみません……俺、急いでるんで!」


 門をよじ登って敷地内に入る。

 倒れた門番は、大きな声を出した。


「侵入者だ! 取り押さえろ!」


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