第35話 うんまーお嬢様
「勉強会ですか?」
放課後。
恒例の稽古が終わった後、俺は静音さんに勉強会について話した。
「はい。試験対策に、クラスメイトと一緒に勉強会を開こうと思いまして……」
「承知いたしました。私の方でも、明日から試験対策用のカリキュラムを実施する予定でしたが、そういうことでしたらスケジュールを調整いたしましょう」
淡々と告げる静音さんに俺は目を丸くした。
どうやら静音さんも、何も伝えていなかっただけで俺の試験対策について考えてくれていたらしい。
「すみません。用意してくれていたんですね」
「気にする必要はありません。私は所詮、外部の人間ですから。当事者である生徒たちの方が、良い対策を考えられるでしょう」
とは言え、折角用意してもらった以上、活用しないと勿体ない。
勉強会と並行して、静音さんが用意してくれた試験対策もこなしていこう。
「勉強会の参加者は決まっているのですか?」
「確定はしていませんが、多分、お茶会の時と同じようなメンバーになると思います」
お茶会は全員、楽しんでいたようなので、また同じメンバーで集まってもいいだろう。
しかし静音さんの真面目な顔を見て、俺は一抹の不安を抱いた。
「……あまり、不用意に人脈を広げない方がいいでしょうか?」
「伊月さんがボロを出さない限りは問題ありません。但し、お嬢様が同伴する際は一層注意を払ってください」
「分かりました」
首を縦に振る。
「本日の稽古はこれで終了です。お嬢様がお待ちしているので、早めに部屋へ向かってください」
「はい。今日もありがとうございました」
静音さんに礼を言って、俺は道場を後にした。
お世話係の放課後は中々ハードなスケジュールだ。授業の予習、復習を終えた後は、夕食をとりながらテーブルマナーの講習が行われ、それからまた暫く勉強して、最後に護身術の稽古をつけられる。
稽古が終わると雛子の部屋へ向かい、一緒に風呂へ入る。
最初は厳しかったこのスケジュールにも、漸く慣れつつあった。
「……っと、その前に」
用事を思い出し、先に自室へ向かった。
忘れ物を手に入れた俺は、改めて雛子の部屋へ向かう。
「むぅ……」
先に風呂へ入っていた雛子と合流して、髪を洗う。
その間、雛子はずっと不満気に唸り声を零していた。
「……まだ不機嫌なのか」
「勉強、私が教える筈だったのに……むぅぅ……」
雛子は俺が勉強会に参加することについて、怒っているようだった。
「その、勝手に決めたことは悪かった。でも別に勉強会をするからといって、雛子との勉強がなくなるわけじゃないし……」
「……私だけじゃ、不満?」
「いや、そういうわけじゃないが……」
中々、機嫌が直らない。
そこで俺は、シャンプーを洗い流してから立ち上がった。
「……ちょっと待っていてくれ」
そう言って俺は一度脱衣所に戻り、あらかじめ用意していた物を取ってくる。
「静音さんには内緒だぞ」
保冷バッグから取り出したものを、雛子に渡した。
「……これは?」
「アイスだ。迎えの車に乗る前に、こっそり買っといた」
俺と雛子は別々の家に住んでいるという設定であるため、迎えの車に乗る際は、先に雛子が一人で乗車し、それから俺が人目のない合流地点まで移動して同じ車に乗る手筈となっている。今日の放課後、俺は合流地点へ到着するまでの間にこっそり保冷バッグとアイスを買っておき、鞄の中に隠して持ち帰ったのだ。金は学院へ通う際、静音さんから最低限の金額を渡されているので、それを使わせてもらった。
「雛子、風呂の中でアイスを食べたことはあるか?」
「ない、けど……」
「最高に美味いぞ」
自分用のアイスも買っているので、先に食べてみせる。
すると雛子も真似をして、湯船に浸かりながらアイスを口にした。
「うま……! うまーー……っ! うんまー……っ!!」
「だろ?」
目をキラキラと輝かせながら、雛子は感動する。
幸せそうなその表情を見て、俺も思わず笑みを浮かべた。
……なんとか機嫌を直してくれたか。
アイスは元々、雛子の息抜きのために用意した物だ。
お世話係としての俺の目標は、雛子が倒れなくても済むような日々を作ることである。今まで定期的に倒れていたというならば……きっと、今まで通りの方法では上手くいかないだろう。
こういう小さな積み重ねが大切になる。そう思って準備していたが……どうにか機嫌を直すことにも成功したらしい。
「あ……」
アイスの欠片が床に落ちる。
風呂場の床は暖かく、アイスの欠片はすぐに液体と化したが……雛子は素早くその液体を掌で掬った。
「三秒ルール」
自慢気に言う雛子に、俺は顔を顰めた。
「いや、流石に液体は……やめとけ」
「……三秒ルール」
ルール適応外である。
雛子は落ち込んだ様子で、液体を床に戻した。
「一応言っておくが、あんまり人前で三秒ルールはするなよ?」
「んー……気をつける」
話を聞いているのか良く分からない、曖昧な返事だった。
「伊月……勉強会、いつするの?」
「日程はまだ決めてないが、早い方がいいと思っている。明日か明後日か……」
「……私も行く」
話の流れからして、多分そう言うだろうとは思っていた。
しかし、お茶会の時と違って、今の俺には不安がある。
「聞きそびれていたが……もしかして以前、雛子が体調を崩したのは、お茶会に参加したからじゃないのか?」
罪悪感を覚えながら、俺は続けて言う。
「だとしたら、今回の勉強会も雛子にとっては負担になると思う。多分、先に屋敷へ帰った方が、雛子にとっては楽だと思うぞ」
「んー……」
俺の言葉に対し、雛子は考えながら答えた。
「別に……
雛子が言う。
言葉数は少ないが、俺は多分、雛子の考えを理解できた。
「……そうか」
一人でいる間は楽かもしれないが、きっとそれは雛子にとって、必ずしも幸せと結びつくとは限らないのだろう。
本音を言えば、俺も雛子にはできるだけ色んな人と交流を深めて欲しいと思っていた。成香や天王寺さんの例を考えると、雛子にも仲の良い知人はいた方がいい気がする。
「それに、今は……伊月が傍にいない方が、嫌」
そう告げる雛子に、俺は苦笑する。
「じゃあ、一緒に参加するか」
「ん」
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