第32話 お世話されるお嬢様


 雛子の体調不良は思ったよりも長引いた。

 静音さんの想定では土曜日あたりに回復する筈だったが、雛子の熱が下がったのは日曜の午前中である。一応、その日は安静に過ごして、翌朝も熱が下がっているようなら学院に登校することとなった。


 月曜日の朝。

 平熱になり、体調不良を回復した雛子は、怠そうな様子で学院へ向かう車に乗った。


「眠いのか?」


「んー……中途半端な時間に、寝ちゃったから」


 隣で微睡む雛子を見ながら、俺は金曜日に決意したことを思い出す。

 お世話係として、できるだけ雛子の負担を減らしたい。その気持ちに変化はなかった。


「……膝、貸して」


「はいはい」


 こてり、と雛子は俺の膝に頭を置いた。

 眠たそうにする雛子の頭を、軽く撫でる。

 すると雛子は、眠たそうにしながらも少し目を丸くして驚いた。


「……伊月、なんか変わった?」


「……どうしてそう思ったんだ?」


「いつもより、優しく感じる」


 それなら良かった。

 俺は肯定も否定もせずに、雛子の頭を撫で続けた。


「あったかい……」


 いつもより快適そうな様子で、雛子は学院まで移動した。

 助手席の方を一瞥する。

 静音さんは、そんな俺たちのことを無言で見守っていた。




 ◆




 教室にたどり着き、俺は席につく。

 今まで通っていた高校では、平日の始まりということもあって怠そうな生徒たちも多かったが、貴皇学院の生徒たちは月曜日から活気に満ちあふれていた。規則正しい生活習慣をしているのだろう。


「よお、西成!」


「おはようございます、大正君」


 鞄を机の横に吊るしていると、大正から声を掛けられる。

 先日のお茶会以降、大正との距離感が近づいたような気がした。静音さんには無理を言ってしまったが、やはりクラスメイトと交流を深めることは大事であると再認識させられる。


「此花さんも、おはよう! 金曜日は休んでたけど、何してたの?」


「旭さん、おはようございます。金曜日は家の仕事を手伝っていました」


「そっかー、大変だね」


 大正と他愛のない話をしながら、旭さんと雛子の会話に耳を傾けた。

 雛子の欠席は、体調不良だとは全く思われていないらしい。それは演技を守るには正しいかもしれないが、やはり俺にとっては複雑な気分だった。


 ――昼休み。


 いつも通りこっそりと教室を抜け出した俺は、雛子と二人で弁当を食べていた。


「雛子、もうちょっと大きく口を開けてくれ」


「んー……」


 少しだけ大きめに口を開いた雛子へ、弁当のおかずを食べさせる。

 以前と変わらず、俺は雛子に弁当を食べさせていた。 


 ……この距離感だけは、家族からズレている気がする。


 いや、もしかすると俺も幼い頃に、親と食べさせ合いくらいしたかもしれない。

 いずれにせよ、これが雛子にとっての息抜き・・・になるのであれば、俺はそれにできる限り付き合おう。


「……む」


 雛子が弁当を見て小さく声を漏らす。


「伊月……これ、あげる」


 雛子が俺の口元に箸を向けた。

 はいはい、と言いそうになったところを、俺はすんでのところで踏みとどまる。

 差し出されたのは、瑞々しいピーマンの欠片だった。


「……駄目だ。好き嫌いせずに、食べなさい」


「えー……」


 雛子の命令に従うだけで息抜き・・・ができるなら、きっと俺以外のお世話係でも上手くやれていただろう。しかし、そうはならなかった。


 雛子に必要なのは、家族のような安心感だ。

 身を委ねても構わないと思われるような接し方をしなくてはならない。


 そのためには――雛子自身よりも、雛子のことを大切に思う必要がある。


「栄養が偏ったら、体調が悪くなるかもしれないだろ」


「むー……別に、体調が悪くなったら屋敷で寝るだけだし……むしろ、そっちの方が楽かも……」


「そう言うなよ」


 そんな風に思って欲しくないから、俺は頑張ると決めたのだ。


「俺は、雛子が元気でいてくれた方が嬉しい」


 そう言うと、雛子は視線を下げて箸を戻した。


「……食べる」


 恐る恐る雛子がピーマンを口に含む。

 眉間に皺を寄せながら、なんとか咀嚼しようとする雛子に、俺は思わず吹き出した。




 ◆




 放課後。

 雛子と共に屋敷へ戻った俺は、いつも通り静音さんの稽古を受けていた。


「ごちそうさまでした」


 自室のテーブルで夕食を済ませた俺は、口元を拭いてから席を立つ。

 この日はテーブルマナーの実践練習をしていた。静音さんに叩き込まれた知識を総動員して、配膳された料理を全て食した俺を、傍にいる静音さんが冷静に採点する。


「まだまだ動きがぎこちないですが……最低限の知識だけはついたようですね」


「ありがとうございます」


 静音さんが言うには、俺には護身術の才能があるらしい。反面、マナーは苦手分野とのことだ。その苦手分野について、実力を認められたことで少し嬉しい気持ちになる。


「しかし、相変わらず詰めが甘いと言わざるを得ません。席を立つ際は左側からと言った筈です」


「あ……すみません。忘れていました」


 着席する際は覚えていた筈だ。しかし食事を済ませた段階で気が緩んでしまい、席を立つ際に右側から立ってしまった。


 まだまだ勉強するべきものは多い。

 お世話係として雛子の傍にいるためには、色んな技術を習得しなくてはならない。


「……そう言えば、雛子はいつも夕食をどうしているんですか?」


 ふと俺は、気になったことを静音さんに訊いた。


「どう、とは?」


「俺はいつも、自室でマナーを教わりながら食べていますが、雛子はどこで……誰と食べているんでしょうか」


「お嬢様は屋敷の食堂で夕食を済ませております」


 簡潔に、静音さんは答える。


「……一人で、ですか?」


「一人で、です。使用人が手伝うことはありますが、食事をするのはお嬢様のみとなっています」


 こちらの言いたいことを察してくれたのか、静音さんが補足する。


「あの……じゃあ、これからは俺が雛子と一緒に、夕食をとることってできますか?」


「駄目でございます」


 きっぱりと、拒否される。


「伊月さんはまだマナーの習得が終えていません。一通りマナーを身につけることができれば検討いたします」


「……はい」


 マナーを習得することで雛子の傍にいられるなら、尚更、努力しなくてはならない。


「それと、伊月さん。明日の朝からはお嬢様を起こしてください」


 静音さんが言う。


「初日にも伝えた筈ですが、伊月さんの仕事はこれから段階的に増やしていきます。お世話係は最終的に、お嬢様の起床から就寝まで、全ての面倒を見る役職ですので」


「……分かりました」


 静音さんの考えを聞いて、俺は頷いた。

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