第28話 お疲れお嬢様
俺にとっては記念すべき一回目のお茶会は、これといった問題が起きることなく平和に終了した。
カフェから出た俺たちは、そのまま学院の門まで歩く。
門の前には黒塗りの車が幾つか待機していた。
「お待たせしました、お嬢様」
「もー、お嬢様は止めてって言ってるのに……」
旭さんが苦笑いしながら、使用人が運転する車に乗る。
少し遅れて大正も同じ車に乗った。
「……あれ? 大正君は旭さんと一緒なんですか?」
極々自然な様子で旭さんと同じ車に乗る大正へ、俺は驚いて質問する。
「ああ。俺と旭は家が近いし、昔からの付き合いだからな」
「アタシたちの家の使用人が、交代で送迎をしてくれているの」
成る程。
俺と雛子の表向きの関係と同じように、旭さんと大正にも家の繋がりがあるらしい。
「それじゃあ、アタシたちはお先に失礼するね」
「今日は楽しかったぜ。また明日な」
二人を乗せた車が遠ざかる。
その傍では、天王寺さんの車も待機していた。
「では、わたくしもこれで失礼いたしますわ」
そう言って天王寺さんは軽く頭を下げた。
天王寺さんの傍にはスーツを身に纏った複数の使用人がいる。旭さんの使用人と違って、こちらはSPのようにさり気なく周囲を警戒していた。
「こ、此花雛子!」
「はい」
緊張しながら名を呼ぶ天王寺さんに対して、呼ばれた雛子はいつも通りの柔和な笑みを浮かべて応じた。
「あ、貴女とプライベートでお茶会をするのは初めてでしたが……その、存外、悪くありませんでしたわ! つ、次は学業や家業についてなど、もう少し踏み込んだ話ができればいいですわね!」
「そうですね。機会があれば、是非お願いいたします」
ちゃっかり次回の約束を取り付ける天王寺さんだった。
嬉しそうに一瞬だけ笑みを浮かべた天王寺さんは、すぐに気を引き締め、今度は俺の方を見る。
「……それと、西成さん」
「はい」
「今日はちゃんと背筋を伸ばしていましたわね。やはりその方が魅力的ですわよ」
その言葉を聞いて、俺は一瞬、硬直した。
「あ、ありがとうございます」
まさか褒められるとは思っていなかったので、反応に遅れてしまう。
クスリと唇で弧を描いた天王寺さんは、踵を返して迎えの車に乗った。
「……随分と仲がいいではないか」
成香が呟く。
「社交辞令みたいなものだろ」
「いや、天王寺さんは実直な人だ。素直に賞賛と受け取ってもいいだろう。……編入三日目だというのに、天王寺さんから褒められるとは、見事なものだな」
そう告げる成香はどこか不満気だった。
天王寺さんと違って、成香は素直に賞賛してくれているわけではないらしい。
「お疲れ様です、お嬢様、伊月様」
その時、近くで黒塗りの車が二台停車し、中から現れた人物に声を掛けられた。
「……静音さん?」
メイド服を着た静音さんが、俺たちの前に現れて一礼する。
静音さんは、俺の隣に立つ成香に視線を向けた。
「都島成香様ですね。私は此花家に仕える使用人の、鶴見静音と申します」
声を掛けられると思っていなかったらしい成香はビクリと肩を跳ね上げた。
驚く成香を他所に、静音さんは語り出す。
「伊月様の境遇について、既に本人から話は聞いているかと存じます。当家としても、伊月様のご実家は懇意にしている取引先ですので、この件に関しては他言無用としていただければ幸いです」
「あ、ああ……それについては伊月から説明を受けて納得している。吹聴するつもりはないから安心して欲しい」
「ありがとうございます」
静音さんは恭しく一礼した。
どうやらこの件について改めて話をするために、静音さんはわざわざ俺たちの前に姿を現したらしい。
成香は俺が此花家で働いていることを知っている。だから俺と雛子が同じ車に乗って帰宅しても、成香なら訝しむことがない。
「成香の迎えは、まだ来ていないのか?」
「ああ。そろそろ来る筈だが……」
と、言ったところで、成香が口を閉ざした。
成香がポケットからスマホを取り出し、耳元にあてる。着信があったらしい。
やがて成香は通話を終了し、小さく吐息を零した。
「どうした?」
「どうやら道が渋滞しているようで、迎えの到着が少し遅れるようだ。幸い近くまでは来ているようだし、私はそちらまで向かうから、伊月たちは先に帰ってくれ」
先に帰れ――と、言われても。
先日、誘拐に巻き込まれた身としては、ここで成香を置いて帰るのは少々不安である。
「静音さん。俺、成香を送ってきます」
そう告げると、静音さんと、隣にいる成香が目を丸くした。
俺は成香の方を見る。
「車は近くまで来ているんだろ? そこまで一緒に行こう」
「そ、それは、私としては嬉しいが……いいのか?」
成香が静音さんの方を見て確認する。
「承知いたしました。お嬢様の予定が立て込んでいるため、私たちは先に屋敷へ戻ります。代わりの迎えをすぐに用意いたしますので、伊月様はそちらをご利用ください」
そう言って静音さんは先に車へ乗った雛子を見る。
「お嬢様も、構いませんね?」
「ええ」
雛子は微笑みながら答えた。
「ありがとうございます」
俺は礼を述べ、成香を送っていくことにした。
◆
「つーかーれーたー……」
「お疲れ様です」
車が学院から離れた辺りで、雛子はお嬢様の演技を止めた。
気怠げに溜息を吐いた雛子は、後部座席で膝立ちになって振り返り、後ろの窓から景色を眺める。
「むぅ……伊月が、他の人と一緒に……」
「嫌ならば、許可しなければ良かったではありませんか」
「……引き留めて、良かったの?」
「……失言でした。演技中のお嬢様が、あの状況で伊月さんを引き留めれば不自然ですね」
成香を送っていくという伊月の考えは紳士的だった。完璧なお嬢様が、それを自分本位な気持ちで妨げることはできない。
「伊月さんが来てから、お嬢様は良くも悪くも変わりましたね」
「……そう?」
「今までも何度かお茶会には出席していましたが、それらは全て華厳様の指示に従った形でしたから。今回のように、自分からお茶会に出席したのは初めてではありませんか?」
「んー……確かに、そうかも」
どうでも良さそうな声音で雛子は言う。
そんな雛子へ、静音は心配そうな視線を注ぐ。
「お嬢様。……体調はどうですか?」
「……そろそろ、かも」
雛子は、気怠げに答えた。
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