第18話 学院一の不良と恐れられている美少女が、実はただの不器用で寂しがり屋であることを俺だけは知っている①


 少しだけ、過去の話をしよう。

 俺は昔、一度だけ都島家で世話になったことがある――。




 ◆




 年中、家計が火の車だった西成家だが、実は両親が離婚を試みたことは過去に一度しかない。駄目人間は駄目人間と一緒にいることで居心地の良さを感じるらしく、共にだらしない生活をしていたが、互いに気は合う様子だった。


 しかし俺が十歳の頃。一度だけ離婚騒動が起きた。

 何かが切っ掛けで、父と母が貧困の理由を相手に押しつけようとしたのだ。

 この騒動は西成家では珍しいほど激化して、遂には母親が家出を決意。その際、俺は母親に無理矢理、連れて行かれることになった。


 家出と言っても、母は既に実家から勘当された身であるため、行くあてはない。

 そこで母は実家ではなく親戚の家を訪ねた。


 それが――都島家だった。


 後になって知ったが、どうやら母方の祖母は都島家の娘だったらしい。しかし祖母も母と同じく自堕落な生活をしていたため、都島家の後を継ぐことはなく、最終的には勘当されていた。


 しかし母は「勘当されたのは私のお母さんであって、私ではない!!」と暴論を振りかざし、強引に都島家の居候となることを決意する。驚くことに、この作戦は成功してしまった。


 斯くして、十歳の俺はいきなり見たことがない豪奢で和風な屋敷に案内され、都島家の客人として迎え入れられることになった。


 ただし、招かれざる客である。都島家は明らかに母のことを厄介者と見ていたし、その息子である俺も同様だった。あの時に浴びた冷たい視線は今も覚えている。


 そして、都島家での居候生活が二日目に差し掛かった頃。

 俺は、都島成香と出会った。 


「だ、だれだ!?」


 その少女は道場で竹刀を振っていた。

 俺はその姿が物珍しくてつい近づいてしまい、少女に怒鳴られてしまった。


「ええと、にしなりいつきです。昨日からここで、お世話になっています」


 礼儀作法なんて欠片も知らない俺だったが、それでも俺なりに丁寧な挨拶をしたつもりだった。

 しかし少女は目を吊り上げる。


「いいか、いつき! わたしは、なんじゃくものがきらいだ!!」


「はい」


「しようにんから、お前たちの話はきいている! お前たちは、何もしごとをしない、ただ飯ぐらいみたいだな!」


「……はい」


 同年代の異性からそんなことを言われるとは思わず、俺は強い衝撃を受けた。

 しかし事実である。


「だから、お前にしごとをあたえてやる! お前はこれから、わたしのお世話をしろ!!」


「……はい?」


 堂々と胸を張って言う少女に対し、俺は首を傾げた。

 お世話の内容はよく分からないが……いずれにせよ俺は居候の身。仕事を与えられたら、それに応じるしかない。


 以来、俺は都島家で居候している間は、殆ど少女の傍にいた。

 少女の呼び出しは、一日に十回を超えた。


「うわぁぁぁん!? いつきぃ! わたしの部屋に、虫が出たぁぁぁ!?」


「はいはい、今、たいじしますね」


 部屋に虫が出るのは、我が家では日常茶飯事だったので、俺は黒光りするアレを難なく外に追い出した。


「わぁぁぁぁぁぁぁん!? いつきぃ! とうさまが、おこったぁぁぁぁ!?」


「はいはい、たいへんでしたね」


 泣きじゃくる少女の頭を撫でて、落ち着かせる。

 少女の父親から猛烈に睨まれていたので、本当は俺の方が泣きたかった。


「いつきは……わたしより、強いんだな」


「そうですか?」


「ああ。だって、わたしと違って虫を見ても泣かないし、大人におこられてもへいきだ」


 騒がしい日々もあれば、時折、少女が弱音を吐き出す日もあった。

 今になって思うが、少女はきっと、そういう相手が欲しかったのだろう。都島家の一人娘である彼女には、弱音を吐露できる相手がいなかったのだ。


 少女は強かったが、その強さは身体的なものであり、精神的なものではなかった。

 たとえば剣道の腕前は、十歳にして大人顔負けのものらしい。

 だが心は……年相応どころか、それ以下だった。


「なあ、いつき。わたしは、みやこじまけの女として……つよくなりたいのだ」


 少女は、沈痛な面持ちで俺に語りかけた。


「でも、わたしには、ゆうきがない」


「ゆうき、ですか」


「ああ。わたしは、もうじゅっさいなのに……一人で外に出ることもできないのだ」


 聞けば、少女は都島家の娘として過保護な生活を強いられているらしい。

 幼い頃から「家以外は危険な場所である」と教わってきた彼女は、家の外を恐れるようになってしまったそうだ。しかし先日、車で学校に向かっていると、同級生が平然と一人で登校している姿を目撃し、それを羨ましく感じたとのことである。


「じゃあ、試しに俺と出てみますか?」


「……え?」


「少しくらいなら、大丈夫だと思いますよ」


 一般家庭で暮らす俺にとっては、外の世界なんて慣れたものである。

 そう思い、俺は少女の手を取って――屋敷の外に飛び出した。


「すごい!」


 少女は興奮した。

 大人を連れず、子供だけで外に出たのは初めてだったらしい。


「すごい! すごい、すごい、すごい! わたしは――自由だ!!」


 ただの道を、少女はまるで花畑にいるかのように両手を広げて歩いていた。


「なあ、いつき! あれは何だ!?」


「だがしやです。入ります?」


「ああ!」


 幸い小銭は幾つかあったので、少女に駄菓子を奢ってやる。

 正直、俺も屋敷にいる間は使用人たちの冷たい視線に曝されて居心地が悪かったので、外にいる方が気楽で嬉しかった。


「いつき、なんだこれは!?」


「うんまい棒です」


 棒状のスナック菓子を、少女は興味津々といった様子で食べた。


「うんまいな!」


「うんまい棒ですから」


 少女を外へ連れ出すという遊びは、その後も数日ほど続いた。

 父親に見つかったら怒られるとのことだったので、俺たちは使用人に見つからずこっそりと屋敷を脱出して、不審に思われないよう短い時間だけ外で過ごすことを繰り返していた。


 しかし――やがて、そんな俺たちの遊びはバレてしまう。

 俺は少女の父親に激しく叱られた。


「成香の身に何かあったらどう責任を取るつもりだ!! たとえ子供だろうと、娘を誑かすなら容赦せんぞッ!! すぐに出ていけ!!」


 当時の俺には理解できなかったが、やはり都島家の娘を安易に外へ連れ出してはならなかったのだ。


 少女を危険にさらした責任として、俺と母は都島家から追放されることになった。

 元々、近日中に追放するつもりではあったのだろう。使用人たちに手際よく荷物をまとめられ、俺と母はあっさりと屋敷から追い出された。


「いつきぃ!!」


 去り際に、少女が涙を流しながら俺の名を叫んだ。


「わたしは、ぜったいに、つよくなるからなーーー!!」


 それが、最後に聞いた少女の言葉だった。




 ◆




 この少女が、目の前にいる女子生徒、都島成香である。

 つまり、俺と都島成香は――――はとこだった。


「伊月! 伊月、伊月、伊月ぃ!! ずっと会いたかったぞぉぉぉ!!」


「……はいはい」


 抱きついてくる成香の頭を撫でながら、さり気なく周囲を見回す。

 幸い廊下に俺たち以外の人はいない。この場面を誰かに見られたら終わりだ。編入二日目で不純異性交遊の嫌疑を掛けられてしまう。


「成香、取り敢えず落ち着け。こんなとこ、人に見られたらどうするんだ」


「う、うぅぅ……こ、腰が抜けた……」


「は?」


 成香が俺の身体にしがみつきながら、しゃがみ込む。


「嬉しすぎて、腰が抜けたぁぁ……っ!」


 涙を流しながら成香が言う。

 これは全然……強くなってないな。



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