第17話 刃のような少女の正体


 学院生活、二日目。

 俺たち生徒は体操服に着替えた状態で、大きな体育館に集合していた。


「本日はバドミントンをします」


 体育の授業を担当する女性教師が言う。

 将来の経営者や政治家を輩出する貴皇学院にも、体育の授業はある。二つのクラスが合同で行うことや、男女に分かれて行うことは、俺が以前通っていた高校と同じようだ。今、体育館には二年A組と二年B組の生徒が集まっている。


「女子は東側、男子は西側のコートを使ってください」


「というわけで男子、さっさと移動するぞー」


 男子の体育を担当する男の教師が、生徒たちをコートへ案内した。

 今までの座学と比べれば気が楽になる。こればかりは名門私立校だろうと、平凡な公立高校だろうと、学習内容は殆ど同じだろう。


「西成。思ったより、いい身体してんじゃねぇか」


「あー……偶に筋トレをしているので」


 移動しながら、隣にいる大正と軽く会話する。

 実際は肉体労働系のバイトによって鍛えられただけだ。今はもうそのバイトを辞めてしまったが、代わりにこれからは静音さんに護身術を教わる手筈となっている。運動に困ることはないだろう。


「しかし、随分と大きな体育館ですね」


「まあ、3000㎡くらいあるしな。体育館にしてはでかい方か」


 学校に建てられるような体育館とは規模が違う。

 体育館というより、イベント用の巨大なホールである。


「ウォーミングアップを終えたら、まずはラリーの練習を始めるぞ」


 コートの外側を三周ほど走り、軽くストレッチをした後、バドミントンの練習が始まる。

 俺は先日、編入したばかりであるため知らなかったが、どうやら既にバドミントンの授業は何回か行われていたらしい。練習はすぐに試合形式に近いものとなり、順番待ちとなった俺と大正はコートの端に寄った。


「……ふぅ」


 静音さんのおかげで身体は鈍っていない。


 ――体育の授業なら、なんとかついていけそうだな。


 良かった。

 俺にとっては色んな意味で厳しい学院生活だが、体育に関しては不安を抱くことなく臨めそうだ。


「やあやあ、西成君」


 ふと、背後から声を掛けられる。

 振り向くとそこには旭さんがいた。どうやら旭さんも今は順番待ちで暇をもてあましているらしい。


「見てたよ~、上手かったじゃん」


「まあ、運動は苦手ではないので。そういう旭さんも、なんとなく運動は得意そうですけど?」


「あ、バレちゃった? 西成君の言う通り、アタシも運動はわりと得意な方だよ」


 自慢気に旭さんが言うと、大正が声を掛けた。


「旭はスケートも上手いよな」


「バランス感覚には自信があるからね。大正君は何が得意だっけ? ゴルフとか?」


「ゴルフは得意だぜ。子供の頃からよく親父に付き合わされていたからな」


 笑いながら大正が言う。

 そんな二人の会話を聞いて……俺は戦慄していた。


「あの……もしかして、この学院ではスケートやゴルフも習うんですか?」


「おう。二年生だと、ポロもやるぜ」


「ポ、ポロ……?」


 首を傾げる俺に、旭さんが説明を引き継ぐ。


「馬術競技の一種だよ。馬に乗って、ボールをスティックで操作するの」


 馬に、乗る……?

 馬に乗った経験なんて、一度もない。


 ――浅はかだった。


 体育の授業なら、周りについていけると思っていたのに……どうやら今だけのことだったらしい。ゴルフもスケートもポロも経験がない。静音さんのレッスンからは逃げられなかったようだ。


「どうした、西成?」


「……何でもありません」


 凹む俺を、大正が心配する。

 溜息を漏らしながらコートの様子を見る。順番が回ってくるまで、まだ時間はありそうだ。


「そう言えば、貴皇学院は体操服のデザインも凝ってますよね」


「ああ、これね。うちの卒業生がデザインしたものらしいよ」


 旭さんが襟元を摘まみながら言った。


「そうなんですか?」


「うん。その人、今は世界的に有名なファッションデザイナーの弟子になってるから、近いうちにこのデザインにもいい値段がつくんじゃないかな?」


 わー、凄い世界だなー。

 現実逃避をしたい。お世話係の仕事を引き受ける際も懸念したが、やはり俺に貴皇学院はとんでもなく場違いだ。


「あ、此花さんだ」


 旭さんがコートの中央に視線を送って言う。

 そこにはラケットを握った雛子がいた。

 ロブで上げられたシャトルを、雛子は鋭くスマッシュする。シャトルはコートの隅に落ちて、雛子の勝利となった。


「此花さん、勉強だけじゃなくて運動もできるよな」


「そうだねー。アタシたち女子にとっても憧れの的だよ」


 大正や旭さんだけでなく、他の生徒たちも雛子に憧れの眼差しを注いでいる。

 文武両道とは事前に聞いていたが、その評判に違わぬ能力を持っているのは間違いない。


「まあでも、体育に限っては此花さんだけじゃなく……」


 大正が雛子から目を逸らし、他の女子生徒に視線を移しながら言った。


「うん……都島みやこじまさんも、凄いよね」


 旭さんも頷きながら別の女子生徒に注目する。

 二人の視線の先には、結った黒髪を太腿の辺りまで伸ばした一人の女子生徒がいた。


 雛子と比べるとスレンダーな体型で、女子にしては背が高い。目鼻立ちは雛子に並ぶほど整っており、どちらかと言えば美人寄りの顔だ。


 少女は軽々としたフットワークでシャトルを打ち返し、相手コートに叩き落とした。

 素人目で見ても分かるほど上手い。


「西成君は知らないよね。あの人は都島成香みやこじまなりか。此花さんほどではないけど、貴皇学院ではまあまあな有名人だよ」


「……有名人なんですか?」


「見ての通り、スポーツ万能だからね。体育の成績なら此花さんよりも高かったんじゃないかな。それに、ほら。学院屈指のクールビューティーだし」


「クールビューティーって……」


 確かに、凛とした佇まいが良く似合う女性だが。


「でも、一番の特徴は……あれだね」


 旭さんが呟くように言う。

 練習が終わり、少女がコートの外に出た。その時、練習を見ていた二人の女子生徒が少女に歩み寄る。


「あ、あの! 都島さん! お疲れ様です!」


「その、とてもお上手なんですね!」


 どこかぎこちない様子で、二人の女子生徒は少女を労った。

 しかし、少女は刃のように鋭い目つきで二人を見つめ、


「――あん?」


「ひっ!?」


 ドスの利いた声で、二人を威圧した。


「す、すみません!」


「なんでもないですーっ!!」


 恐怖のあまり、二人の女子生徒は顔面蒼白となって走り去る。

 その光景を見ていた旭さんは、溜息を吐いた。


「あんまりこんなこと言いたくはないんだけど……都島さんって、ちょっと怖いんだよね。基本的にずっと黙ってるし、表情も硬いからさ」


「色んな噂を聞くよな。裏では暴走族やってるとか、実家がヤクザとか」


 大正も呆れた様子で言う。

 二人とも、噂を面白がっているというよりは、くだらないものだと感じているようだ。


「まあ、所詮は噂だし、信じる必要は全くないんだけど……どちらにせよ壁がある感じの人かな。アタシも以前、勇気を振り絞って何回か声を掛けたことがあるんだけど、全部『用事があるから』で避けられちゃった」


「……そうなんですね」


 貴皇学院は優秀な生徒のみが在籍することを許される学び舎だ。この学院に、いじめや差別なんてものは滅多にない。しかしそれでも、こうして浮いてしまう生徒はいるらしい。


「西成、そろそろ俺たちの番だぜ」


 大正に言われて、俺はコートの方へ向かう。

 体育の授業は、滞りなく終了した。




 ◆




 更衣室で制服に着替えて、教室へ戻る途中。

 念のため雛子の姿を探したが、クラスメイトの女子生徒と一緒に移動している最中だった。表向きは人気者であることが功を奏している。昼休みのような長い休み時間ならともかく、授業と授業の合間にある短い休み時間ならそこまで心配しなくてもいいかもしれない。

 

「……あ」


「どうした、西成?」


「すみません。更衣室に靴を忘れたみたいなので、取ってきます」


 大正と別れて更衣室に戻る。

 雛子のことを意識するあまり、自分のことが疎かになってしまった。


「あった、あった」


 更衣室の扉を開き、テーブルの上に置いていた体育館用の靴を見つける。

 のんびりしていると次の授業が始まってしまう。

 俺は急いで更衣室を出て――。


「っ!?」


「……っと!?」


 扉を出たところで、女子生徒とぶつかってしまいそうになった。

 互いに驚き、目を合わせる。


「君、大丈夫か?」


「はい。すみませ…………」


 謝罪しながら、俺はその少女の顔を見て――硬直する。

 都島成香。先程の授業で、話題に上がっていた少女がそこにいた。


「で、では、俺はこれで……」


 できるだけ自然な態度を装って、俺は踵を返す。

 すぐに教室へ戻ろうとしたが、その時、少女が俺の袖を掴んで引き留めた。


「おい」


 少女の声が聞こえる。


「お前、まさか………………伊月か?」


 背筋が凍る。

 俺は、恐る恐る口を開いた。


「チガイマス」


「いや……いや、いや、いや! 伊月だ! お前は伊月だ! 間違いない!」


 顔を綻ばせて、声音を弾ませて。

 その少女は、目を輝かせて俺を見つめた。


「うぁ、うぁぁ……伊月ぃ……っ!!」


 目尻に涙を浮かべた少女は、両手を広げて俺に近づき、


「会いたかったぞーーーッ! 伊月ーーーーッ!!」


「ぐへっ!?」


 勢い良く、抱きついてきた。




※  ※  ※


 次回「学院一の不良と恐れられている美少女が、実はただの不器用で寂しがり屋であることを俺だけは知っている」

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