第14話 帰宅拒否お嬢様


 本日、最後の授業が終わり、学院は放課後を迎えた。


「よ、西成。お疲れさん」


「どう? このあと歓迎会でもする?」


 大正と旭さんに声を掛けられる。

 しかし、俺は苦笑いを浮かべながら謝罪した。


「すみません。なるべく早く帰るよう言われてまして」


「まあ、初日はそんなもんか」


 大正が残念そうに言う。

 流石に罪悪感が湧いてきた。朝から親切にしてくれるのに、俺は昼も放課後も彼らの誘いを断っている。お世話係としての仕事を優先するのは当然だが……だからと言って、彼らの好意を無下にし続けるのも、躊躇われる。


「機会があれば、改めて頼んでもいいですか? 俺も学院のことを色々と知りたいので」


「おう! 俺たちはいつでも空いてるぜ!」


 大正と旭さんが、笑みを浮かべる。

 その時、旭さんがスカートのポケットからスマホを取り出し、画面を見た。


「お迎えが来たみたいだし、アタシはそろそろ帰るね」


「俺も今日は帰るか。西成、また明日な」


 二人と挨拶して別れる。

 俺も机に吊るしていた鞄を手に取り、下校することにした。

 下校と言っても……お世話係である俺は、まず雛子がちゃんと帰るのを見届けなければならない。


「さて、雛子は……」


 丁度、雛子も席を立つ頃だった。

 俺と雛子は一応、交流があるという設定であるため、普通に会話しても問題ないが、できることならトラブル防止のためにも他人行儀な距離感を保ちたい。


 雛子が教室を出る。俺は周囲の者に悟られぬよう、こっそりと後を追った。

 そのまま雛子は学院の外に出る――と思いきや、何故か購買に寄る。


「こちらのパンをひとつください」


 購買でパンを買った雛子は、それを手に下足箱に向かった。

 外靴に履き替えたあと、彼女は校門の方ではなく、庭園に向かう。


 貴皇学院の敷地内には幾つかの庭園がある。今回、雛子が向かったのは旧生徒会館の近くにある庭園だった。その庭園には小さな池と幾つかのテーブル席が設置されているが、人の姿はない。教室のある本館から遠く、近くにある旧生徒会館も老朽化によって使用されていないため、人が寄りつかなくなったのだろう。


 池の縁に立った雛子は、パンを小さく千切って放った。

 泳いでいた鯉たちが、放り込まれたパンに群がる。


 お嬢様らしく、芸術を嗜む心や、動物を慈しむ気持ちはあるのかもしれない。

 しかし、いつまで経っても動く気配がない。静音さんから、放課後はあまり寄り道しないよう言われているので、俺は辺りに誰もいないことを確認してから雛子に近づいた。


「何やってるんだ?」


「……餌やり」


 それは見れば分かる。

 お嬢様の仮面を脱ぎ捨て、素の状態となった雛子は、しゃがみ込んでパンに群がる鯉の群れを眺めた。


「いいよねー……」


 ぼーっとした様子で、雛子が呟く。


「こうやって、口を開けるだけで餌が貰えて……私と代わってくれないかなー……」


「……鯉だって、人間には分からない苦労をしてると思うぞ」


「そうかなー……」


 動物を慈しでいるわけではなく、羨んでいるようだった。

 なんとも言えない気持ちになった俺は、溜息を吐く。


「そろそろ帰るぞ。静音さんも待っているだろうし」


「……いや」


 雛子が不機嫌そうに答える。

 拒否されると思わなかった俺は、目を丸くした。


「嫌なのか? 屋敷に帰ったら、ゆっくりできるだろ」


「できない…………習い事とか、色々ある」


 そういうことか。

 此花家のお嬢様も大変だ。


「でも、だからといって学院に残っても、雛子にとっては窮屈なだけだろ」


「放課後だから人目も少ないし、窮屈じゃない」


 それは、確かにそうかもしれない。

 貴皇学院には放課後の部活がないらしい。というのも、生徒たちの大半は放課後になると勉強や仕事で忙しくなるからだ。それに、財力を持つ貴皇学院の生徒たちは、家の中で幾らでも部活らしいこと行うことができる。プールもグラウンドも家にあるのだから、わざわざ学院にいる必要はない。


「どのみちいつまでも学院にはいられないんだ。ほら、さっさと帰るぞ」


「いーやー……」


「静音さんのことだし、こうして駄々をこねていると、かえって面倒事が増えるんじゃないか?」


「うっ」


 静音さんはあるじにお仕置きができるメイドである。

 雛子は一瞬、物凄く嫌そうな顔をしたが、それでも最終的には首を横に振った。


「そ、それでも……いや」


 現実逃避した雛子は、無言で鯉の餌やりを再開した。

 強情なお嬢様だ。放課後で人が減っていると言っても、まだ生徒たちは何人か残っている。此花家の令嬢を、無理矢理、引っ張って外まで連れて行くことはできない。


「そう言えば、こんなものを預かっていたな……」


 俺は今朝、静音さんに渡された黒い袋の存在を思い出し、鞄からそれを取り出した。

 雛子の聞き分けが悪ければ使えばいいと言っていたが、そう言えばこの袋の中身は何なのだろうか。袋の口を開き、中にあるものを出してみると――。


「ポテチっ!!」


 それまで気怠げだった雛子が、急に目を輝かせた。

 彼女の言う通り、袋の中にはポテチ(コンソメ味)が入っていた。


「ひ、卑怯……私は、その誘惑には勝てない……」


 震えた声で雛子が言う。

 ポテチで意思が折れる人間を俺は初めて見た。


「じゃあこれをやるから、今日は帰るぞ」


「……ぐぬぬ」


 悔しそうに唸り声を上げた雛子は、渋々と立ち上がり、俺の手からポテチを受け取った。

 ここからは手筈通り、俺と雛子で別々に行動する。まず雛子が校門を抜けると、すぐに黒塗りの車が近くで停車した。車の中から静音さんが出てきて雛子を迎える。俺はその光景を、赤の他人のフリして見届け、それから一人で街を歩き続けた。


 合流地点である人気の少ない場所に辿り着き、暫く待ち続ける。

 すると、雛子と静音さんを乗せた車が近くで停まった。


「お待たせしました」


「いえ、お疲れ様です」


 助手席の窓が開き、静音さんに声を掛けられる。

 俺は後部座席に座った。奥には雛子が腰を下ろしている。

 周りから見れば、俺と雛子は別々に帰宅したように見えるだろう。


「屋敷に帰ってからも、やるべきことは山ほどありますが……一先ず、学院での仕事、ご苦労様でした」


「ありがとうございます」


 手厳しい印象が強い静音さんに労られ、やや驚きながらも頷く。

 隣に座る雛子は、先程、俺が渡したポテチを一心不乱に食べていた。


「今朝、渡したものが役に立ったようですね」


「最後の最後で役に立ちました。まさかポテチが、あんなに効くとは」


「お嬢様の好物ですから。滅多に食べられませんし、効果覿面です」


「……ただのポテチなのに、滅多に食べられないんですか?」


「当然です。あんな不摂生な食べ物、此花家の令嬢に相応しくありません」


 お金持ちの一家は、食事にも厳しいのか。

 金があるからといって何でも自由とはいかないらしい。むしろ庶民より束縛されることもあるようだ。しかし――。


「ポテチくらい、いいと思いますけど」


「駄目です。これは華厳様の指示でもあります。……料理人が用意したスライスポテトなら食べても良いことになっていますが、お嬢様は市販のものを好むようなので」


 健康に悪い感じの味が好きなのだろう。

 ふと隣を見ると、雛子の小さな口にポテチは大きいのか、ボロボロと欠片が零れていた。


「食べカスが落ちてるぞ」


 注意すると、雛子は何故か得意気な顔をする。


「……蕎麦を、ズルズルと啜って食べることと同じ」


「は?」


「食べカスを零す……それがポテチの、マナー」


「そんなわけないだろ」


 どや顔で何を言ってんだ。


「伊月、これ」


 雛子が俺の名を呼びながら、ポテチの袋を差し出した。


「……くれるのか?」


「違う」


 袋を受け取った俺に、雛子は口を開いてみせた。


「鯉の真似」


 そう言われても……どう反応すればいいんだ。

 口を開いた雛子に、俺は困惑する。


「餌、入れて」


 ああ……そういうことか。


「はいはい」


 俺はポテチを一欠片摘まんで、雛子に口に持っていった。


「うまー……」


 ポリポリと、雛子は幸せそうにポテチを食べる。


「伊月さん。念のため言っておきますが、その姿を華厳様には見られないよう注意してください」


「……はい」


 ポリポリとポテチを食べる雛子から目を逸らす。

 色々と誤解を生みそうな光景だ。なるべく人に見せない方がいいだろう。


「静音さんは、内緒にしてくれるんですね」


「できればすぐに報告したいところですが……残念なことに、今、貴方をお世話係から解任しても、代わりをすぐには用意できませんので」


「……そういう理由ですか」


「お嬢様に劣情を催す前に、ちょん切った方がよろしいと私は提案したんですが」


「勘弁してください」


 俺は静音さんに深く頭を下げた。


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