第13話 襲来、デスワ系お嬢様
昼休みが終わり、五限目の授業が始まった。
「それではこの問題を……大正君、解いてもらえますか?」
「え? ……す、すみません。分かりません」
教師に指名され大正が、申し訳なさそうに言う。
その光景に俺は内心で安堵していた。貴皇学院の授業は極めて高度だが、生徒全員がその内容を完璧に理解しているわけではない。勿論、静音さんに勉強を教わっている手前、指名されたらなるべく完璧に答えたいと思うが、答えられなかったとしてもそこまで訝しまれるわけではないようだ。
「では、此花さん。代わりにお願いします」
「はい」
大正の代わりに雛子が指名される。
黒板の前に立った雛子は、チョークを手に取り、答えを書いた。
「以上になります」
「流石、完璧ですね。ありがとうございます」
達筆で示された回答に、教師は深く頷いた。
席へ戻る雛子に、クラスメイトたちの尊敬の眼差しが注がれる。
さっきまで膝の上でだらしなく寝ていた少女と同一人物とは思えない。授業に行きたくない、サボりたいと駄々をこねていたくせに……。
チャイムが鳴り響き、学院は休み時間を迎えた。
肩を回して固まった筋肉を解していると、大正が近づいてくる。
「ふぃー、疲れた疲れた。五限目って眠くなるから嫌なんだよなぁ」
欠伸をしながら大正が言う。
すると、その背後から近づいてきた旭さんがニヤリと笑みを浮かべた。
「あ、さっきの授業で答えられなかった大正君だ」
「うぐっ……仕方ねぇだろ。ちょっと予習の範囲ミスってたんだよ」
やはり貴皇学院の授業についていくには、予習が必須らしい。
当然のように言う大正に感心しながら、俺はさり気なく雛子の席を見る。
――雛子がいない?
教室に雛子の姿がないことに気づいた俺は、すぐに立ち上がった。
「ちょっとトイレに行ってきます」
二人に断りを入れてから、雛子を探しに行く。
授業が終わってまだ五分も経っていない。教室からそう遠くには離れていないだろう。
念のため早足で教室を出て、廊下を見渡すと――あっさりとその姿を見つけた。
「……なんだ、雛子もトイレか」
複数の女子生徒と談笑しながら、雛子はトイレに入った。
数分後。雛子が教室に戻り、席につく。
俺も教室に戻ろうとした直後、スマホが着信を報せた。
『今、大丈夫ですか』
「はい」
予想はしていたが、案の定、相手は静音さんだった。
『恐らく、お嬢様が財布を落としています』
「財布ですか?」
『はい。お嬢様に取り付けた発信機と、財布に取り付けた発信機の位置情報にズレがあります』
「……発信機なんて、つけてたんですね」
どんだけ信用されてないんだ、雛子は。
しかし、先日、華厳さんの前で見た雛子の映像を思い出す。
そう言えば、クレジットカードを落として不正利用されたとか言っていたな……。
「すぐに探します。……発信機から何処に落ちているかは分かりませんか?」
『本館の西側にあるのは間違いありませんが、それ以上は難しいですね』
本館の西側?
電話のタイミングといい、その位置情報といい。これは……。
「多分……トイレですね」
『……ああ』
先程、トイレに行った時にでも落としたのだろう。
そう伝えると、静音さんは心当たりがあるような声を漏らした。
『人前では完璧になるお嬢様ですが、トイレはどうしても一人になりますからね。よく落とし物をするんですよ』
「なるほど……」
『とにかく、回収をお願いします』
静音さんとの通話が終わる。
「回収と、言われても……」
取り敢えず女子トイレの前まで来た俺は、そこで立ち止まり、頭を捻る。
男である俺が中に入るわけにはいかない。どうしたものか。
「そこの貴方?」
悩んでいると、横合いから声を掛けられた。
振り向くと、そこには――とんでもなく目立つ容姿の女子生徒がいた。
螺旋状に巻かれた金色の長髪――いわゆる金髪縦ロールというやつだった。漫画の世界でしか見たことのない髪型をしている少女は、制服を着ていても分かるほどスタイルがよく、肌は白い。ブラウンの瞳は力強い眼光を放っており、気の強さが窺えた。
「どうかされまして?」
「いえ、その……」
「あら、そう言えば自己紹介がまだでしたわね」
困惑する俺に、その少女は独特な口調で言う。
「わたくしは
堂々と、どこか自慢気に少女は名乗った。
「はぁ」
「はぁ……って、なんですの、その気の抜けた返事は。まさか、天王寺グループを知らないわけではないでしょう」
「……すみません」
申し訳ないが、知らない。
謝罪すると、天王寺さんは目を見開いた。
「ま、まさか、ご存知でなくて? ててて、天王寺グループですのよ?」
「無知で申し訳ございません」
「無知どころではありませんわ!!」
甲高い怒鳴り声が、耳を劈いた。
「天王寺グループは鉱山経営を源流とした、超巨大グループ! 今では日本最大手の非鉄金属メーカーや、大手化学メーカーを抱え、その規模は此花グループに並ぶほどですのよ!?」
「……そう、なんですか?」
声高に熱弁する天王寺さんに、俺は圧倒される。
「その反応……貴方、此花グループは知っているのですね?」
「まあ、はい」
素直に答えると、天王寺さんは顔を真っ赤にして、わなわなと怒りに震えた。
「や、やはり、気に入りませんわ、此花雛子……! あの女がいるせいで、わたくしの名声が広がりませんの……ッ!!」
何やら私怨が漏れ出ているが、聞かなかったことにした。
「……それで、何か困っているのではなくて?」
落ち着いてそう訊く天王寺さんに、俺は当初の目的を思い出す。
「女子トイレに財布の忘れ物があると思うんですが、どうやって回収しようかと悩んでいまして」
「そのくらいでしたら、わたくしが取ってきますわ。少々お待ちを」
そう言って天王寺さんはトイレに入っていった。
一分後、桃色の財布を手に持った天王寺さんが現れる。
「これですわね」
「はい。ありがとうございます」
「今更ですが、どうして男子の貴方が、女子トイレにあるこの財布に気づいたのですか?」
「あ……それは、ですね」
しまった、上手くこの場を乗り切るための答えが思いつかない。
ぐるぐると頭を回転させながら、俺は答える。
「その財布の持ち主に、探すよう言われてまして……消去法で、トイレかなと」
殆ど本当のことを言ってしまった。
どうやら天王寺さんは雛子のことを目の敵にしているようだが、その財布の持ち主が雛子であることには気づいていないようだ。なら、今の答えで納得してくれるだろう……そう思っていたが、
「貴方、それでは使い走りではありませんか」
天王寺さんは、不満気な様子で言った。
「いけませんわよ。この学院に通う以上、貴方も将来は人の上に立つ身でしょう? 今から人に顎で使われるようでは、先が思いやられますわ」
「ええと、気をつけます」
「自信がありませんわね。もっと、はっきりとした口調で言いなさい」
「気をつけますっ!」
「……やればできるではありませんか」
満足そうに天王寺さんは頷く。
「それと貴方、もうちょっと姿勢を正しなさい。自信は姿勢によって生まれるものでしてよ?」
言われた通りに背筋を伸ばす。
「それで良いのです」
天王寺さんは、そんな俺を見てクスリと笑みを浮かべた。
「そろそろ授業が始まりますわね。これからも何か困ったことがあれば、この黄金色の髪を探しなさい」
天王寺さんは自らの髪を指さして言った。
確かにトレードマークになるほど特徴的だが、同時に疑問に思う部分でもある。
「あの……素朴な疑問なんですが、この学院って髪を染めるのは問題ないんですか?」
「なっ!?」
優雅に立ち去ろうとした天王寺さんが、奇声を上げて立ち止まる。
「わ、わたくしの髪が、染めているものだと……?」
「違うんですか?」
「わ、わたくしの髪が……メッキの如き紛いものだと言っているのですか……?」
「そこまでは言っていませんが」
素朴な疑問と言ったはずだ。
別に責めているわけではない。
「そ、染めてません……」
ぼそりと、呟くように天王寺さんは言う。
「わたくしは……染めてませんわーーッ!!」
そう叫びながら、天王寺さんは廊下を走っていった。
「……絶対、染めてるだろ」
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