第10話 編入生の噂
【前書き】
4/10 間違えて11話の内容を10話として投稿してしまいました。
こちらが本当の10話です。
* * *
「今日はこのクラスに編入生がやってきます」
先に教室へ入った福島先生が告げる。
それから俺は教室に入り、黒板の前で皆に挨拶をした。
「西成伊月です。よろしくお願いします」
拍手も礼もなかったが、生徒たちの視線や表情は友好的だ。
俺が今まで通っていた高校では編入生なんて来たことなかったし、もし来たとしたらそれなりに盛り上がっていたはずだが……このクラスの生徒たちにそういった様子はない。どこか大人びていて、寛容な空気が作られている。
「西成君はあちらの空いている席を使ってください。……皆さん、編入生のことが気になるのは分かりますが、まずは授業ですよ。気持ちを切り替えてくださいね」
教壇に立った先生が教室中を見回しながら言った。
後方、窓際から二列目の席についた俺は、すぐに鞄から教科書を出す。
一限目は数学だった。
「さて、では授業を始めます。今回は置換積分法について勉強していきましょう」
置換積分法って、俺の高校では、三年生の最後に習う内容じゃなかったっけ……。
貴皇学院では、高校二年生の春に学ぶものらしい。
◆
「一限目はここまでです。皆さん、復習を忘れずに」
チャイムが鳴ると同時に福島先生はそう言った。
礼をした後、生徒たちは休み時間を迎える。
「……静音さんに礼を言わないとな」
なんとか授業には、ついていくことができたが……やはり内容が難しすぎる。
まだ一限目が終わっただけだというのに、一日中勉強したような疲労感を覚えていた。
さて――お嬢様は、どうしているか。
お世話係としての使命を思い出し、俺は雛子の様子を確認した。
「此花さん。先程の授業で分からないところがあって……」
「私でよければ、お力になりますよ」
人前にいる時の雛子は、完璧なお嬢様の皮を被っている。今のところその皮が剥がれ落ちるような気配はなかった。
「よお、新入り!」
横合いから唐突に声を掛けられる。
振り返ると、そこには大柄な男子生徒がいた。
「新入りのくせに、俺に挨拶しないとは生意気だな。おら、貢ぎ物を寄越せよ」
「……えぇ」
どういう絡み方だ……冗談なのか本気なのかすら分からない。
困惑していると、その男子の背後から背の低い女子生徒が早足で近づいてきた。
「こら!」
「あいたっ!?」
女子生徒の手刀が、男子生徒の頭に落ちる。
「西成君が怖がってるでしょ!」
「す、すまん。さっきのは冗談だ」
頭を抑えながら男子生徒が言う。
「西成伊月、だったよな。俺は
「アタシは
二人の名乗りに、俺は「はぁ」と相槌を打った。
どうやら先程の貢ぎ物云々は冗談だったらしい。
「西成。さっきの授業、ついて行くの必死だったろ?」
「……何故それを」
「はっはっは! 気にするな。編入生は皆、そうなるんだよ」
「皆って……俺以外にもいるんですか?」
「同じ時期にはいないみたいだが、編入自体は珍しくないぜ。うちの学院に通っている生徒は、家の事情で入学が遅れたり、逆に卒業が早くなったりすることもあるからな。お前も家の事情でこの時期に編入してきたんだろ?」
「まあ、そんなところです」
この学院が特殊であることは、生徒たちも自覚しているらしい。
「でも西成って名前、聞いたことないね。実家は何をやってるの?」
「IT企業です。そんなに大きいわけじゃないんですが……」
旭さんの問いに、俺は静音さんが作ってくれた設定を思い出しながら答える。
実家は中堅のIT企業であり、俺はその跡取り候補であるというのが概ねの設定だ。
そんな俺の返事を聞いた旭さんと大正は、何やら顔を見合わせて頷いていた。
「さっきの授業で大変そうにしていたから、予想はできていたけど……西成君ってさ、どちらかと言えば庶民よりの暮らしをしてたでしょ?」
「……そうですけど」
からかうように笑みを浮かべる旭さんに、俺は肯定する。
「編入生には二つのパターンがあってさ。ひとつが、元々他所の学校でも十分勉強していた人が、更に箔をつけるためにこの学院へ来る場合。もうひとつが、元々はそんなに勉強していなかったけど、家の事情で学院へ通わされることになった場合。前者は比較的、裕福な家庭に生まれた人が多くて、後者は庶民寄りの人が多いの」
「けど、今まで普通の学校で過ごしてきた人たちにとって、いきなりこの学院のカリキュラムについていくのは大変だろ? だから、似たような境遇の生徒たちが集まって支えるようにしているのさ。俺と旭は、いわゆる庶民よりの生徒だからな。西成の力になれると思うぜ」
「……なるほど」
二人の説明を聞いて、俺は首を縦に振る。
要するに彼らは、同じ庶民よりの生徒として、新入りである俺に色々と教えてくれるつもりらしい。
流石は貴皇学院の生徒……なんて人間ができているんだ。
「ありがとうございます。助かります」
「敬語は止せよ。クラスメイトだろ」
「家の都合で、この話し方をしなくちゃいけませんので」
「あー……ならまあ、仕方ねぇか。よくある話だな」
心の中では既に大正と呼び捨てである。
住み込みで三食つきの日給二万円。そのためなら、俺も跡取り息子を演じてみせよう。
「ところで、ひとつ西成に訊きたいことがあるんだけどよ」
大正がやや神妙な面持ちで言った。
「お前――――此花さんとどういう関係なんだ?」
その問いが繰り出された瞬間。
教室中の空気が、ピシリと音を立てて凍ったような気がした。
なんだ……?
今、一瞬、断頭台に登った光景を幻視した。
「今日、一緒に登校してきただろ?」
「あ、あぁ……俺と此花さんは親同士に繋がりがあるので、以前から多少、交流があったんですよ。それで、折角だからと学院まで案内してもらったんです」
今朝、雛子が先生に対して使った言い訳を、そのまま活用させてもらう。
謎の緊張感があった。
「本当にそれだけか?」
「それだけ、ですが……」
「許嫁同士とか、そういうわけじゃないのか?」
「許嫁って……全然違いますよ」
庶民である俺にとっては、許嫁なんて都市伝説の世界だ。
肩を竦めてみせると、大正はふるふると震え――満面の笑みを浮かべた。
「なんだよ、驚かすなよ!!」
「うおっ!?」
肩を叩かれ、俺は呻き声を漏らした。
途端に親しげになった大正に疑問を抱く。見れば先程までの緊張は弛緩しており、クラスメイトたちも再び和やかに談笑していた。
「いやー、緊張の一瞬だったねぇ」
「どういうことですか、旭さん……?」
「うーんとね……此花さんって、うちの学院では超がつくほど有名人なの。なにせ此花グループのご令嬢である上に、学院一の成績で、更にあの容姿だからね」
静音さんから聞いた話と一致している。
俺は頷いて、話の続きを促した。
「でも此花さんには、今まで一度も浮いた話がなかったのよ。だからてっきり学外に許嫁がいるのかなー、なんて思ってたけど……今日、西成君が此花さんと一緒に登校してくるもんだからさ。『まさかアイツが此花さんの許嫁か!?』って、皆、思ってたわけ」
「……皆、ですか」
「うん。でも今ので誤解も解けたっぽいし。もう安全だね」
周りのクラスメイトたちを一瞥して、旭さんが言う。
「許嫁なんて、あるんですね」
「アタシはないけどね。でも此花さんくらいの家柄なら、許嫁がいてもおかしくないと思うよ」
そう言えば雛子に許嫁がいるのかどうかは、聞いていないな。
嫁ぎ先を検討している段階なのだから、いない気もするが……いや、許嫁がいる上で悩んでいるのかもしれない。
「ちなみに俺も許嫁はいないからな。今後、西成が可愛い女の子と知り合ったら、是非、俺のことを紹介してくれ」
「善処します」
適当に笑って流す。
旭さんや大正と話しながら、俺は微かに安堵した。
貴皇学院に編入することが決まって、最初はどうなることかと思ったが……案外、上手くやれそうだ。
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