第11話 昼休み

 学院が昼休みを迎えると同時。


「西成。昼食はどうするつもりだ?」


「アタシたちは食堂に行くけど……」


 教科書を鞄の中に仕舞っていた俺に、大正と旭さんが声を掛けてきた。


「すみません。昼はちょっと用事があって……」


「用事?」


 首を傾げる大正に、俺は説明する。


「昼休みは、親と連絡を取り合うことになってるんです。なので食事は持参した弁当で済ませます」


「そういうことか。……西成の親って、わりと過保護?」


「まあ、そうですね」


 これも、静音さんが予め考えていた設定だ。

 この設定を初めて聞いた時は「そんな理由で誤魔化せるだろうか」と思っていたが、二人の顔を見たところ杞憂だったらしい。俺以外にも、似たようなことをしている生徒がいるのだろう。


「そう言えば、此花さんも同じ感じだよね。昼休みになるといつも何処かへ行っちゃうし」


「ああ……噂によると、昼休みは家業を手伝っているらしいぜ。電話会議に出席しているとか聞いたことがある」


 旭さんと大正が話し合う。

 二人の会話を聞きながら、俺は前の方に座る雛子を一瞥した。


「此花さん。よろしければ私たちと一緒に食堂へ行きませんか?」


「ごめんなさい。お昼は家の仕事がありますので……」


「そ、そう言えば、そうでしたね。すみません」


 クラスメイトの誘いを丁寧に断った雛子は、鞄から弁当を取り出して教室を出た。

 それを見た俺も、椅子を引いて立ち上がる。


「では、また後で」


「おう」


「食堂に行きたくなった時は、いつでも言ってね」


 二人と別れた俺は、教室を出てすぐに雛子の姿を探す。

 雛子は廊下を一人で歩いていた。そんな彼女と一定の距離を保ちつつ、後を追う。


 教室の近くを歩いている時は何度も声を掛けられていた雛子だが、渡り廊下を抜けた頃には周囲からの視線も減っていた。貴皇学院の昼休みは、大半の生徒が食堂か教室にいるらしい。どこの学校もこれは同じだ。


 庭園を横切った先にある、旧生徒会館。

 その建物は老朽化などによって今は使用されていない。しかし学院の見栄えに考慮して、定期的な清掃は行われていた。


 階段を上って屋上に向かう。

 周囲に誰もいないことを確認した俺は、扉を開いた。


「お疲れ~」


 床に腰を下ろした雛子が、気の抜けた表情で俺を出迎える。


「……お疲れ様です」


「口調」


「はいはい」


 適当に相槌を打ちながら、俺は雛子の隣に座る。


「いつもここで昼食をとっているんだよな?」


「ん。ここだと誰もいないし」


 お世話係である俺は、常に雛子の傍にいなくてはならない。

 これから毎日、昼休みはこの屋上で過ごすことになりそうだ。


「学院はどうだったー……?」


「流石は名門校だな。昨日、散々予習したつもりなのに、授業についてくのが大変だ」


「頑張って。……成績、悪いと、お世話係を解任されるかもしれないから」


「……それは困るな」


 住み込みで三食がついていて、日給二万円。

 更に、なんだかんだ学校に通うことができている。

 もし雛子に出会っていなければ、俺は今頃、家を失い、学校に通うこともできなかっただろう。そう考えると今の俺は、非常に恵まれた環境にいる。この環境から追い出されないよう努力しなくてはならない。


「お弁当、食べよ?」


「……ああ」


 雛子と共に、弁当の蓋を開ける。

 此花家の使用人が作ってくれた弁当は、稀少な食材をふんだんに使用した、豪華なものだった。


「凄いな……こんなクオリティの高い弁当、初めて見た」


「ん。でも食堂の料理の方が、もっと豪華」


「そうなのか。……食堂では食べないのか?」


「周りの目を気にするのがめんどくさい」


 なるほど。

 有名税が気に入らないといったところか。


「それに……お弁当なら、好物だけだし」


「苦手な食べ物があるのか。たとえば何が苦手なんだ?」


「にんじん、ピーマン、グリーンピース、しいたけ、梅干し、トマト、かぼちゃ……」


「多いわ。野菜嫌いなだけだろ」


「ばれちった」


 ふにゃりと笑みを浮かべて言う雛子。

 本当に、教室にいる時とは全然違う雰囲気だ。大正や旭さんにこの姿を見せたら、心臓が飛び出るほど驚くかもしれない。


 弁当に箸を伸ばし、雛子は食事を始める。

 しかし、箸に挟んだ食材がボロボロと零れていた。


「……零してるぞ」


「んぅ?」


「いや、んぅ? じゃなくて……」


 お世話係の存在意義が分かってきたぞ……。

 これはお世話というより介護だ。どういうわけか、雛子は人前に立っている間は完璧に振る舞えるのに、それ以外の場では致命的に何もできない。そう言えば誘拐された時も、ペットボトル飲料をドバドバ零していた。


「食べさせてー」


 雛子が弁当箱を差し出しながら、口を開ける。

 折角の弁当をボロボロと零されるのも勿体ない。

 周りに誰もいないし……まあ、いいか。


「……ほら」


 適当におかずを摘まんで雛子の口元まで持っていく。


「うむー……苦しゅうない」


 満足そうに、雛子は言う。


「伊月も、食べたら?」


「そうだな」


 雛子に言われ、俺も自分の弁当箱に箸を伸ばす。

 取り敢えず、弁当の定番である出汁巻き卵を食べてみることにした。


「うまっ! 何これ!? うまっ!!」


 一度動かした箸は、最後まで止まらなかった。

 肉も、魚も、サラダも、全てが想像を絶するほど美味い。


「どれがお気に入り?」


「お気に入りか。……全部、美味いけど、強いて言うなら最初に食べた出汁巻きだな」


「じゃあ、あげる」


「え?」


「お返し。あーん」


 雛子が出汁巻き卵を箸に挟んで、俺の口元まで持ってきた。

 流石に自分がされると少し恥ずかしい気分になり、抵抗を感じたが、目の前にいる雛子に照れている様子は全くない。

 仕方なく口を開き、出汁巻き卵を食べる。


「……美味しい?」


「……美味しいけど、貰って良かったのか?」


「私は伊月のご主人様だから。餌付けしないと」


「餌付けって……」


「愛想を尽かされたら、困るから」


 その声音は、いつもよりほんの少しだけ深刻に聞こえた。

 気のせいかもしれないが、無視できなかった俺は、ふと疑問を口にした。


「そう言えば、前は俺とは別のお世話係がいたんだよな? その人はどうして辞めたんだ?」


「さぁ」


 雛子は小首を傾げる。

 華厳さんはストレスが原因で辞めたと言っていたが、そもそも何故ストレスが溜まったのか、今の俺には分からない。


「前のお世話係は、どのくらいで辞めたんだ?」


「……多分、二週間くらい」


「え」


 思ったよりも短い。


「その前は三週間だったと思う。……長くても一ヶ月だった」


「……なんでそんなにすぐ辞めるのか、心当たりは……?」


「さぁ」


 先程と同じように、雛子は小首を傾げる。

 惚けているようには見えないが、どうでも良さそうに見える。

 雛子は、これまでのお世話係に対して、あまり関心がないのかもしれない。


「こんなにいい条件の仕事、他にはないと思うんだけどな」


「……いい条件?」


「ああ。だって住み込みで三食付きに加え、日給二万円だぞ。プレッシャーはあるが、かなり好条件の仕事だ。学院の勉強も、死ぬほど難しいが……教養がつくと思えば悪くない」


 世の中には勉強したくてもできない人間が山ほどいるのだ。特に俺は、そちら側の人間になりかけていた。前の高校にいた時も、その危機感があったから真面目に成績を上げることができた。


「私は?」


「……え?」


「いい条件……私は?」


 良く分からない質問だ。


「……どういう意味だ?」


「むぅ」


 頬を膨らませて、雛子は不満気な顔をする。


「逆玉、興味なし?」


「いや……それは、ちょっと……」


 逆玉って、逆玉の輿のことか?

 興味があるかないか以前に、分不相応な願いである。

 そもそも俺は、偶々雛子の目に適っただけのお世話係であり、こうして貴皇学院に在籍できているのも偽りの身分があるからだ。本来なら此花家の令嬢と、こうして肩を並べて会話できる立場ではない。


「伊月は辞めないでね」


「……今のところ、そのつもりはない」


 そう答えると、雛子は柔らかく微笑み、ごろりと寝転んだ


「寝る」


「……枕か?」


「ん」


 誘拐されていた時も似たようなやり取りがあったため、次はすぐに意図を理解できた。

 丁度、俺も弁当を食べ終えたのでそれを仕舞い、膝の上を空ける。するとすぐに雛子の頭が膝の上に乗った。


「えへー……格別の、寝心地……」


「……そりゃどうも」


 膝の上に頭を乗せた雛子は、すぐに寝息を立て始めた。

 こうして見ると、やはり雛子の顔は整っている。まだ年相応のあどけなさは残っているが、そこらのモデルとは比べ物にならないほど美人だ。


 健全な男子生徒なら、このシチュエーションに舞い上がるかもしれない。

 しかし、どうしてか。俺は興奮するどころか、逆に落ち着いていた。


「なんというか、距離感がな……」


 男と女では、ないような気がする。

 偶に異性として意識してしまう時もあるが、きっと雛子にその意識はない。だから俺も自制できる。


 お世話係なんて安易な肩書きをつけられたが、実際はもっと不思議な関係に思えた。

 ただ……居心地は思ったより悪くない。


「……ん?」


 ふと、右足の付け根辺りから震動を感じる。

 ポケットに入れていたスマートフォンが着信を報せているようだ。


 貴皇学院ではスマホやPCの使用が休み時間に限り許可されている。富豪の子女たちの中には、学生であると同時に、既に会社の仕事に関わっている者もいるらしく、そのための措置らしい。確かに休み時間になると、何処からか「デイトレードが~」なんて話題が聞こえていたような気がする。


「静音さん……?」


 画面に映る名前を呟き、俺は通話に出た。


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