第7話 此花家へようこそ②
どうやら此花雛子という少女は、表と裏で態度の差が非常に大きいらしい。
裏といっても、誘拐現場にいた時の雛子さんは最初からその状態だったため、俺にとってはこちらの方が馴染み深い。馴染みと言っても三時間くらいだが。
「あの、今の映像に映っていた女子生徒は、メイドか何かでしょうか?」
「前任のお世話係だ。彼女はつい先日ストレスで胃に穴を空け、入院した後、辞表を出してきた」
「……うわぁ」
それはまた、酷な話だ。
しかし今、前任と言ったか。
つまり次は俺が犠牲になれと言っているのか?
「要するに雛子は、人前では文句なしのお嬢様を演じられるが、それ以外では今みたいに自堕落な姿になってしまう。このオン・オフの差が激しくてね。どちらにも対応できる側付きが必要なのだよ」
「それが、お世話係ですか……」
「そういうことだ」
華厳さんは首肯する。
「お世話係の役割は、雛子の完璧なお嬢様という世間体を守ること。言い換えれば、雛子の本性が明るみに出ないよう陰ながらサポートすることだ。……どうだろう、引き受けてくれるかな? 他ならぬ雛子自身の要望だし、君がお世話係になってくれると私としても助かるんだが」
その問いに、俺は考えてから答える。
「誘拐されたところを助けてもらいましたし、皆さんに恩がある身でこんなことを言うのは浅ましいかもしれませんが……報酬は、出るんでしょうか?」
「もちろんだ。住み込みで、一日三食つき。その上で給料も出す」
それは――とんでもなく好待遇だ。
棚からぼた餅とはこのことか。住む場所がなくなりそうな俺にとって、これ以上の好条件はない。……というより、俺の境遇を考慮した上で、このような提案をしてくれたのだろう。非常にありがたい話だ。
「給料についてだが……日給二万円でどうだろう」
「に、二万!?」
驚く俺に、華厳さんは目を丸くする。
「おや、足りなかったかな? しかし、流石に本職の執事やメイドと同じ給料にするのは憚られるし……では日給五万円はどうだろう」
「逆です! 高すぎます!」
まさか金額が上がるとは思わなかった。
「では言い値で雇おう。いくら欲しい?」
言い値。
その台詞、フィクション以外で初めて聞いた。
「に、日給でしたら、八千円もあれば十分です」
派遣バイトなどでも八千円貰えれば多い方だ。
一般的な相場を口にしたつもりだが……華厳さんは何故か、眉間に皺を寄せた。
「伊月君。お世話係の責任は、君が思っている以上に重大だ」
神妙な面持ちで、華厳さんは言う。
「ここだけの話、此花グループの業績は最近低迷していてね。景気によるところも大きいが、グループ内の派閥争いや競合他社との兼ね合いなど、中々思うようにいかないことが多い。倒産するほどではないが、無視できないほどではある。……だから、娘の嫁ぎ先は重要なのだよ」
「嫁ぎ先、ですか?」
華厳さんは頷いて、俺の後ろで眠る雛子さんを見た。
「雛子が人前で完璧なお嬢様を演じているのは、より良い嫁ぎ先を見つけるためだ。学院やパーティなど、此花家の令嬢として人と関わる場では、常にあの演技を徹底させている。……お世話係はその補助、つまり此花家のブランドを守る重大な役割だ」
その説明を聞いて、俺は改めて思った。
住む世界が違う。嫁ぎ先だのブランドだの、俺は生まれて一度も考えたことがない。
「先に説明しておくべきだったか。……悪い言い方になってしまうが、庶民を雇うのは初めてのことでね。前提の摺り合わせが足りていなかったようだ」
華厳さんが申し訳なさそうな顔で言う。
「それで、給料はいくらにする?」
華厳さんの鋭い視線に射貫かれ、俺はゴクリと唾を飲み込んだ。
流石にここまで丁寧に念を押されれば、この問答の意図も理解できる。
――覚悟を問われている。
お前は何円分の働きぶりを見せてくれるのだと、華厳さんは言外に訊いているのだ。
自分を安売りすると、先程のように失望した目で見られる。かと言って身の丈に合わない価格を要求しても、分不相応だと一笑に付されるだろう。
結局、俺が選んだ答えは――。
「……二万円で、お願いします」
「ふむ……当初の価格か。まあ、いいだろう。ではその分の働きを期待している」
そう言って、華厳さんは机の引き出しから書類を取り出した。
書面に何かを記入しながら、華厳さんは続けて言う。
「早速、明日から仕事に入ってもらう」
「明日からですか!?」
「先程の映像を見ただろう。雛子はお世話係がいなければ、家の中ですら迷子になってしまう。一刻も早く雛子を支える者が必要だ」
別にこの屋敷の広さなら、迷子になってもおかしくないが……。
「伊月君。服のサイズはMでいいか?」
「あ、はい。そうですが……仕事用の服でも用意してくれるんでしょうか?」
「仕事用というか、制服だね。君はこれから貴皇学院へ通うことになるんだから」
「……は!?」
てっきり執事服のようなものを予想していたが、全く想像していない答えが返ってきた。
貴皇学院。雛子さんが通っているあの名門校のことだ。
「雛子は学院に通っているんだ。お世話係も一緒に通うに決まっているだろう」
「いや、でも、貴皇学院ってものすごい名門校ですよね。俺なんかが通ったところで、馴染めない気がするんですが……」
「なんとか適応したまえ。それも仕事のうちだ。前の学校では成績も良かったようだし、勉学が苦手というわけではないだろう?」
大学に通える可能性を少しでも上げるために、勉強には一応、真剣に取り組んでいたが……名門校とは次元が違う。
大丈夫だろうか……?
勉強とか、運動とか、マナーとか、コミュニケーション能力とか。不安が無限に湧いてくる。
「貴皇学院に従者は立ち入れないため、君は一般生徒として学院に通うことになる。その際、君の身分は此花グループの関係者ということにしよう。ボロを出さないためにも、直系ではなく傍系企業の跡取り息子……将来は経営者を目指しているが、庶民の暮らしにも精通している普通の男子という設定だ」
「跡取り息子という時点で、普通ではありませんが……」
「貴皇学院では普通のことだ」
あっさりと華厳さんは言う。
俺にとっては、学院そのものが普通ではない。
「君の会社は此花グループの一部。だからこそ雛子には頭を上げられない。……そういう話にしておけば、疑いも緩和されるだろう」
なるほど。確かにそうした身分の方が、俺の役割も露見しにくい。
後ろで寝ている少女を見る。またよだれが垂れていたので、顎を持ち上げて口を閉じてやった。彼女とはこれから長い付き合いになるかもしれない。そう考えると親しみが湧いてくる。
「ちなみに、もし私の娘に手を出したりしたら――」
華厳さんに睨まれていることに気づき、俺は姿勢を正す。
「ちょ、ちょん切る、ですよね?」
「ちょん切る? はははっ! まさか、そんなことはしないさ!」
華厳さんが豪快に笑った。
「普通に殺す」
「ひっ!?」
シンプル過ぎて逆に怖い。
「では、明日からよろしく頼む」
華厳さんがそう言うと、後方で待機していたメイドさんがゆっくりと部屋の扉を開いた。
眠っていた雛子さんが目を覚まし、目を擦る。
彼女と共に、部屋の外へ出ようとした直前、
「ああ、それと――君の家について、少し調べさせてもらった」
振り返った俺に、華厳さんは真剣な面構えで言った。
「貴皇学院には、
「……はい」
そうか……じゃあ、学院にはアイツもいるのか。
まあ、向こうは俺のことなんて覚えていないだろう。
接触なんて起きるはずもない。
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