第6話 此花家へようこそ


「お帰りなさいませ、お嬢様」


 屋敷の入り口に近づくと、両脇に並んでいたメイドと執事が一斉に頭を下げた。

 最低でも十人以上はいる従者たちを前にして、当のお嬢様は軽く欠伸したあと、


「うん」


 とだけ答えた。

 相変わらずマイペースなお嬢様だ。しかし従者たちは皆それを知っていたのか、特に反応を示すことなく、頭を下げ続けている。


 荘厳な門が開き、屋敷の中に足を踏み入れる。

 高級ホテルも顔負けの内装が視界一杯に広がった。真っ直ぐ伸びる赤絨毯に、豪奢な調度品の数々。ホテルと違ってあくまで人が住む屋敷であるため、煌びやかというよりは落ち着いた雰囲気となっているが、それでも庶民の家には存在しない金細工が多い。


「うわぁ……」


「なんですか、その反応は」


「い、いや、その……住む世界が違いすぎて、なんか鳥肌が……」


「慣れてください。お嬢様のもとで働くようになったら、毎日この景色を見ることになるんですよ?」


 まだ働くかどうかは決めていないが、既に自信は殆どない。

 こんなところに長居すれば、色んな感覚が狂ってしまいそうだ。


「お嬢様、このあとのご予定ですが……」


「寝る」


 少女は即答する。


「畏まりました。では、私は西成様を案内しなくてはいけませんので、代わりの者をつけますね」


 メイドさんが壁際で待機していた他の従者へ目配せした。

 しかし、メイドさんの言葉に少女は顔を顰めて、


「……やっぱり、寝ない」


「……寝ないのですか?」


「うん。……伊月と一緒にいる」


 少女が俺の袖を摘まみながら言う。

 なんだか年下の妹ができたようだ、なんて思っていると、隣でメイドさんが目を見開いていた。


「まさか……お嬢様が、睡眠を後回しにするなんて……!?」


 そんなに驚くことなのだろうか。

 誘拐されている間も、車で移動している間も、ずっと寝ていたので、普通に目が覚めただけだと俺は思っていたが……。


 我に返ったメイドさんが案内を再開する。

 大きな階段を上った後、廊下の突き当たりにある部屋の扉を、メイドさんはノックした。


「失礼いたします」


 メイドさんが扉を開ける。

 扉の先には大きな部屋があり、その中心では一人の男性が佇んでいた。


「西成伊月君だね」


 男性は俺の方を見て言う。


「私は此花華厳このはなかげん。雛子の父で、此花グループの会長だ」


 男性――華厳さんは、立ち上がって挨拶をした。

 若々しい顔立ちだが、上質なスーツを着こなした、貫禄に満ち溢れた人物だった


「会長と言っても、グループ内の一企業を任されているに過ぎないがね。あまり偉い立場ではない」


「お戯れを。次期当主となる御方が、無闇に自分を卑下するものではありません」


「ははは、そう怒るな静音。今のは軽い冗談だ。畏まった空気では、伊月君が萎縮してしまうだろう」


 華厳さんが笑って言う。

 しかし、その目は不意に鋭くなった。


「……なるほど。確かに、雛子が懐いている」


 華厳さんは俺の斜め後ろにいる少女――雛子さんを見た。

 いつの間にか、雛子さんは俺の袖を摘まんだまま顔を伏せ、コクリコクリと頭を上下させており――。


「立ったまま、寝てる……!?」


 電車通勤中のサラリーマンかよ。

 あぁ……またよだれが垂れている。


「伊月君は、娘の誘拐に巻き込まれただけと聞いているが……その間に何かあったのかな? 娘が初対面の相手にそこまで懐くなんて、初めてなんだが……」


「い、いえ、特に何もしてません」


「そうか。まあ雛子はフィーリングで生きているから、きっと君とは波長が合ったんだろう」


「波長って……」


 波長の一言で片付けられる問題ではないような気もするが……。

 俺自身、どうしてここまで彼女に懐かれたのか分からない。


「それに雛子は以前から、気兼ねなく接することができるお世話係を欲しがっていた。しかし立場上、私の方からそういった者を用意することは難しくてね。だからこそ、偶然出会った君を手放したくないのだろう」


 なるほど、その理由なら納得できる。

 当の本人も言っていた。畏まったお世話係ばかりだから、気楽なお世話係が欲しいと。


「さて。お世話係の仕事について説明する前に、まずは雛子のことを知ってもらう必要がある。……静音」


「はい」


 後方で待機していたメイドさんが礼をして、向かって左に設置された投影機を操作した。

 部屋の照明が暗くなり、真っ白な壁に映像が表示される。


「こちらが、学院で過ごしている時のお嬢様の姿です」


 映像の中心に、俺の後ろで眠る少女――雛子さんが映った。

 場所は……学院の廊下だろうか。名門校だけあって、教室の扉や窓などの装飾が凝っている。


『ごきげんよう、此花さん』


『ごきげんよう』


 学友の挨拶に対し、雛子さんは清楚な笑みで返した。

 おや……? なんだろう、この違和感は。

 場面は切り替わりに、今度は教室で授業している映像が表示される。


『では、こちらの問題を……此花さん。回答できますか』


『はい』


 指名された雛子さんは静かに立ち上がった。

 真っ直ぐ伸びた姿勢を保ち、黒板まで歩いた雛子さんは、手を止めることなくチョークで答えを記入した。


 随分と気品が漂っている。周りの生徒からも憧憬の眼差しを注がれていた。

 場面が再び切り替わる。場所は同じ教室だが、日差しの色からして放課後だろうか。

 窓辺の席に座っている雛子さんに、女子生徒が声を掛けていた。


『こ、此花さん! これから庭園でお茶会を開くのですが……よ、よろしければ、ご参加いただけますでしょうか?』


『私でよければ、いくらでも』


『あ、ありがとうございます! 私、此花さんのために美味しいスコーンを用意していますから!』


『ふふ、そんなに気を遣う必要はありませんよ』


 微笑む雛子さんに、女子生徒はうっとりと頬を紅潮させていた。

 映像が終わり、部屋の照明が明るくなる。

 俺は素直に、感想を口にした。


「……誰?」


「雛子様です」


「……そんな馬鹿な」


 映像に映る少女は、清楚で、可憐で、気高くて、とても高貴なお嬢様だった。

 さっきから俺の後ろで頭を揺らしながら眠っている少女とは、似ても似つかな――――――馬鹿な、そっくりだ。


「雛子は、人前では完璧なお嬢様を演じることができる」


「……人前では?」


「そうだ。逆に言えば、人前でなければ……」


 華厳さんがメイドさんに目配せする。

 メイドさんが無言で頷き、映像を切り替えた。

 場面は教室。しかし周りには人影ひとつない。映像に映るのは雛子さんと、同じ制服を着た女子生徒の二人だけだった。


『お、お嬢様。そろそろ次の授業が始まってしまいますが……』


『だるい。寝る』


 雛子さんは怠そうに言って、机に突っ伏した。

 場面が切り替わり、今度は廊下となる。


『お、お嬢様! 次は体育の授業ですから、早く着替えを……』


『着せて』


 場面が切り替わり、今度は校庭となる。


『お嬢様!? 今、本家から連絡があって、お嬢様のクレジットカードが不正利用されているとのことですが――!?』


『多分、落とした』


『な、何故それをもっと早く――』


 女子生徒が叫ぶ直前で映像は切れた。

 最後のは、洒落にならないな……。


「これが、素の雛子だ」


 華厳さんが難しい表情を浮かべて言う。

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