第5話 車中の会話
「着いたら起こして」
「畏まりました」
黒塗りの車に案内されたあと、少女はすぐに眠ってしまった。
後部座席の一番奥に少女が、次に俺が、最後にメイドさんが入ってドアを閉める。
俺は早々に眠ってしまった少女のシートベルトを代わりに締めて、自分の方も締めた。ふと視線を感じて振り返ると、メイドさんがこちらを見ていることに気づく。メイドさんは「なるほど、気に入るわけですね」と小さな声で呟きながら、シートベルトを締めた。
車が走り出す。
「あの……俺はどこへ、連れて行かれるのでしょうか?」
「すぐに分かります」
メイドさんがそう答えた直後、小さなバイブレーションが聞こえた。
メイドさんがポケットからスマートフォンを取り出し、耳元にあてる。一分ほど通話したメイドさんは、静かにスマートフォンをポケットの中へ仕舞った。
「貴方の身辺調査が済みました」
「……へ?」
淡々と言うメイドさんに、俺は目を丸くする。
「西成伊月、十六歳。竜宮高校に通う男子生徒。兄弟姉妹はおらず、両親は父・母ともに健在。……貧しい家庭を慮って、自力で学費を稼いだことは賞賛に値します。しかし三日前に両親が夜逃げし、その際に家のお金を全て持ち出されたせいで、貴方は今、危機的状況に陥っているはずです」
「……な、何故それを」
「此花家のネットワークを舐めないことです。この程度、造作もありません」
メイドさんは当たり前のようにそう告げた。
「ちなみに、貴方は本来なら明日から高校二年生になるはずでしたが……あの高校にはもう通えません」
「……え?」
「学費が納められていません。どうやら貴方のご両親は、最初からこの時期に夜逃げする予定だったみたいです。貴方が毎日バイトして稼いだ学費は、既に持ち去られたあとだと思われます」
「そ、そんな……」
「家賃や光熱費等も、随分と滞納されているようですし、あの家もすぐに住めなくなるでしょう」
我が家は、そこまで酷かったのか……。
「そこで、我々から貴方に提案があります」
落ち込む俺に、メイドさんが言う。
「お嬢様のもとで働く気はありませんか?」
「……はい?」
あまりにも想定外の提案をされ、俺は首を傾げた。
「あの、言っている意味が、良く分からないんですが」
「では順を追って説明しましょう」
言葉を選ぶような素振りを見せて、メイドさんは口を開く。
「此花グループという名に聞き覚えはありませんか?」
「……あります」
「そうですよね。貴方は此花銀行の口座をお持ちですから、知っているはずです」
そう言えば、そうだった。俺のバイト代の振込先は、此花銀行で作った口座だ。
先程の身辺調査も、恐らくこの口座の登録情報を閲覧されたのだろう。
「此花グループは都市銀行だけでなく、大手総合商社や重工業、不動産ディベロッパー、損害保険会社などを抱える有名な財閥系企業です。総資産は凡そ三百兆円。その影響力は国内だけでなく海外にまで及びます」
淀みなくメイドさんが説明する。
「そして貴方の隣で眠っている御方は、此花グループのご令嬢、此花雛子様です。私はお嬢様に仕えるメイドの一人ということになります」
どうやら俺の隣で眠っている少女は、とんでもないご令嬢だったらしい。
庶民でないことは知っていたが、恐らく彼女は、町一番どころか国一番レベルのお嬢様だ。
そんな人物と、どうして俺は車に乗っているのだろう。
「今回、貴方に提案しているのは、私と同じような仕事です」
「つまり…………俺が、メイドに……?」
「メイドではなく執事でしょう」
あ、ああ、確かにそうだ。
あまりにもスケールの大きすぎる話に巻き込まれたせいで、混乱していた。
「厳密には執事でもありませんが、まあ似たような仕事です。貴方にはこれから、お嬢様のお世話係になっていただきたいと思います。承諾いただけますか?」
「承諾も何も……俺で、いいんですか? だって俺、ただの学生ですし……」
いや……もう学生ですらないのか。
となれば今の俺は、行き場をなくしたただの子供だ。そんな俺を、日本人なら誰もが知っているような有名一家が引き取る意味なんてあるのだろうか。
「本来なら然るべき訓練を積まなければ、この仕事には就けないのですが……お嬢様の希望ですので特例です。お嬢様は貴方を、かなり気に入ったようですから」
そう言ってメイドさんは俺の隣で眠る少女を見る。
彼女は安心しきった様子でよだれを垂らしていた。
「んぅ……む」
「お、おい……そんなにしがみつくなって……」
寝返りを打った少女が、俺の身体に抱きつく。
少女の長くて柔らかい髪から、不思議な甘い香りがした。
妙に恥ずかしい気分になって少女から視線を逸らすと、メイドさんに眦鋭く睨まれる。
「ちなみに、お嬢様に不埒な真似をしたら――ちょん切りますので」
「……ど、どこを?」
「貴方が今、想像した部位です」
それはいけない。
メイドになってしまう。
「詳しい条件については、私の雇い主と相談してもらいましょう」
メイドさんが外の景色を見ながら言う。
話が一区切りついたところで、車が停車した。
「お嬢様、到着いたしました」
「……ん」
俺の右半身にしがみついていた少女が、気怠そうに目を覚ます。
車のドアが自動で開き、俺たちは外に出た。
目の前には、見たこともないほどの巨大な屋敷が鎮座している。
「ここは……」
「此花家の別邸です。貴方にはこれから、お嬢様の父君とお会いしてもらいます」
お嬢様の父親と会うことよりも、俺は、目の前の屋敷が別邸であることに驚愕した。
これで別邸か……。
俺の家は犬小屋か便所かな?
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