第4話 マイペースお嬢様②
どうしてここにいるのかと、訊かれても……。
「誘拐犯の狙いは私でしょ?」
そういうことか。
どうやら少女は、自分が誘拐される立場であることは自覚しているらしい。自分が攫われるだけならともかく、俺も一緒にいることが疑問のようだ。
「……お前が落とした学生証を、届けようと思ったんだよ。丁度その時、誘拐犯が現れたから、俺も一緒に攫われたんだ」
「なるほど」
少女は納得する。
「私の学生証は?」
「え? ……あ、ああ、ちゃんと持ってるぞ」
俺はポケットに入れていた少女の学生証を取り出した。
少女は学生証を受け取ったあと、ぎこちない動きでその表面を弄った。よく見れば、学生証の右下に不自然な膨らみがある。まるで小型のボタンが埋め込まれているかのようだ。少女はその突起を爪で押した。
「これで、すぐ助けが来るはず」
そう言って少女は「ふぅ」と吐息を零し、
「寝る」
ごろん、と俺の傍で床に寝そべった。
この少女の図太さには俺もそろそろ慣れてきたので、驚かない。
しかし少女は寝そべったまま、じーっと俺を見つめていた。
「寝る」
「……寝ればいいんじゃないか?」
「枕」
そんなものここにあるわけがないだろ、と言おうとしたら、少女が無言で俺の膝を撫でた。……膝枕して欲しいということだろうか。
容姿端麗な少女に、こうして甘えられるとつい胸が高鳴ってしまいそうになるが、その前の鈍臭い姿を見ているため多少は耐性がついていた。誘拐犯にも世話しとけと命じられているし、俺は溜息を吐きながら膝を貸すことにする。
「いい高さ」
満足そうに少女は呟く。
「子守歌」
「……悪い、それは俺のレパートリーにない」
「じゃあ何か、面白い話して」
無茶振りだ。
しかしその図太さは、場に立ちこめた暗い空気を吹き飛ばすほどの威力があった。本来なら怯えて涙が出てしまうような状況だが、この少女のおかげで平静を保つことができる。
「この前、友人と電車に乗っていた時の話なんだが――」
多分そこまで面白くない内容だが、少女は黙って俺の話を聞いていた。
数分後、膝の上から静かな寝息が聞こえてくる。
寝付きがいい少女だ。
「……よだれ垂らしすぎだろ」
少女の口元から垂れるよだれを服の裾で拭う。
「……ん」
「あ、悪い。起こしたか」
「平気」
寝返りを打ちながら少女が答える。
「髪、ギトギトする」
「上の方で結ったらいいんじゃないか。ちょっと後ろ向いてろ」
「ん」
ポニーテールのように、少女の髪を上の方で結んだ。
「なんか、手慣れてる?」
「あー……昔、母親の髪をよく整えていたから」
「ふぅん」
母は一時期キャバクラで働いており、俺はよく出勤前に髪型のセットを手伝わされていた。思い出したくない記憶である。
その時、誘拐犯の一人が近くにあった木片を蹴飛ばした。
唐突に大きな音が響き、俺は肩を跳ね上げる。
誘拐犯は携帯電話を耳に当てながら、憤っていた。
「――いい加減にしろ! これ以上、話を長引かせたら、てめぇの娘をぶん殴るぞ!!」
血走った目で男が怒鳴る。
その目が一瞬、少女の方を向いた。
「……さっきみたいに、誘拐犯を刺激するような発言はもうするなよ」
少女を見て言う。
肝が据わっている少女だが、それは単に俺が本性を見抜けていないだけかもしれない。
だから俺は、殆ど自己満足の台詞を口に出した。
「心配するな。いざという時は、盾くらいにはなってやれると思う」
お先真っ暗な俺でも、誰かを手助けすることができる。
そこに一筋の救いを感じながら、少女へ告げた。
「……なんで、そんなことしてくれるの?」
「さぁな」
わざわざ、こちらの身の上話をするつもりはない。
不思議そうにする少女に向かって、俺はできるだけ優しく微笑んでみせた。
「……貴方、いいね」
少女が言う。
「なんか、心地良い。干した後の布団みたいな匂いがするし」
それってダニの死臭じゃなかったっけ。
あまり言われて嬉しい言葉じゃないな……。
「私には、色んなお世話係がいるけれど……皆、堅苦しいの」
「……はぁ」
「でも、貴方は気楽に接してくれるから、私も気楽でいられる。嬉しい」
はにかむ少女に、俺は一瞬見惚れる。
しかし俺が気楽でいられるのは、彼女のことをよく理解していないからだ。
或いは俺に未来があれば、もっと畏まっていただろう。しかし残念なことに、今の俺は明日の生活すらままならない状態だ。どこかのご令嬢に嫌われたところで失うものは何もない。昨今、社会問題になりつつある無敵の人というやつだ。
「貴方、名前は?」
「……
「そう。私は此花雛子」
端的に、少女は告げる。
「貴方、これから私の――」
少女が何かを言おうとした直後。
廃工場の割れた窓から、小さな缶のようなものが投げ込まれた。
カランと音を立てたその缶は、次の瞬間、白煙を撒き散らす。
「突入ーーーーッッ!!」
廃工場の一階から大声が聞こえた。
同時に、数え切れないほどの足音が至る場所から聞こえる。
「く、くそ!? 前が見えねぇ!!」
「こいつら、いつの間にこんな近くに――ぐあッ!?」
どこからか現れた警官のような男たちが、あっという間に二人の誘拐犯を無力化する。
男たちはすぐに、俺と少女に近づき――。
「動くな!!」
「……えっ?」
男たちは明らかに俺を敵視していた。
「ま、待った! 俺は被害者で――」
「黙れ! 大人しくしろ!」
「ぐおッ!?」
頭を押さえつけられ、そのまま床に倒される。
両手も両足も縛られているのだ。こんなことされなくても、抵抗はできない。
「
「実行犯は二人だったはずですが……斥候班の情報が誤っていたのでしょうか」
煙幕が晴れた頃、規則正しい足音と共に一人の女性が姿を現す。
その女性は黒い髪を結ぶことなく腰辺りまで伸ばしていた。そして、白と黒を基調としたフリルのついた服装を――俗に言うメイド服を身に纏っていた。
「お嬢様、ご無事でしたか」
「ん」
床に倒れる少女にメイドが近づき、手錠と足枷を外す。
あれだけ騒がしかったにも拘わらず、少女はまるで動じていない。少女は先程の眠りからようやく目が覚めたと言わんばかりに大きな欠伸をした。
「救出が遅れてしまい申し訳ございません。しかし……いつも言っているはずですよ。外出の際は、事前に我々へ連絡していただかないと」
「だって、めんどくさかったし」
「その結果、こういうことになるのです。……まったく」
メイドが溜息を吐く。
「静音。この人、誘拐犯じゃない」
「……そうなんですか?」
少女が俺を指さして言うと、メイドは目を丸くした。
ゆっくりと、俺の拘束が解かれる。
「いてて……」
「失礼いたしました。てっきり貴方も犯人かと」
「拘束されているんだから、犯人なわけないだろ……」
「犯行グループが仲違いした場合もあるでしょう。誘拐のような長期的な犯罪では、しばしば起きることです」
それは……確かに、そうかもしれない。
何も言えなくなった俺は閉口した。
「さて。後始末は彼らに任せて、私たちは帰りましょう。そこの貴方もついてきてください」
どうやら外まで案内してくれるらしい。俺は無言で頷いた。
しかし、少女は立ち上がることなく、淡々とした目つきで俺の方を見る。
「ねえ、静音」
少女は、俺を指さして言った。
「私、この人が欲しい」
「畏まりました。早急に手配いたします」
恭しくメイドが頭を下げる。
「……え?」
手配って、何の?
※布団を干したあとの、いわゆる「お日様の臭い」は、ダニの死臭ではなく、汗や洗剤などが太陽の熱で分解されたものです。
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