第10話

「よぅ、エステラ! 奇遇だな」


 門を出てすぐのところに主犯がいた。

 胡散臭い笑顔を貼りつけて、ひらひらと手を振っている。


「そーだねー」

「お前、目が死に過ぎじゃねぇか? 死んだ魚でももうちょっと未来に希望持った目ぇしてんだろ」

「何か話があるのかな? ボクの執務室で聞くよ、ついておいで」

「ちょ~っと待て待て待て! 折角出てきたんだから、ちょっと歩こうぜ! な! いい天気だし!」


 ヒジを掴まれぐいぐいと引っ張られる。

 ……気安く触ってくれるねぇ、これでも貴族の娘なんだけどなぁ、ボク。


「……なんでそんなほっぺたパンパンに膨らんでんだよ?」

「ここ数日、ちょっと真剣に悩んでみたりしていた自分がバカバカしくなってね。誰かさんのせいで」


 ジネットちゃんに避けられたのも、トルベック工務店でのあの紛らわしい会話も、どうせ全部君の仕組んだことなんだろう。

 実に無駄な時間だったよ、まったく。


「それで、なんなのさ? 用があるならさっさと言ってよ」

「あぁ~……うん。まぁ、……そう、だな」


 ……え? なに?

 なんなのさ、その歯切れの悪い返事。

 なんで、眉を曲げてそっぽ向いて、頭とかかいちゃってんのさ?

 また演技かい? ……演技、だよね?


「と、とりあえず、歩こうぜ。頃合いを見計らって話すからよ」

「え……、今すぐじゃ、なくて?」

「…………今すぐが、いいか?」


 あれ?

 え? あれ?

 なんか……ヤシロの顔が…………真剣……だよ?

 なんで、そんな、ちょっと……照れてる、の?


 え?

 あれ?


「すぅ~…………はぁ~」


 ヤシロが大きく息を吸う。そして、ゆっくりと吐き出す。


「な、なんなのさ、もう。もったいぶっちゃって。……どうせ、大した話でもない、くせに……さ」


 あれ、待って待って待って!

 なんか雰囲気がおかしいよ?


 違うでしょ?

 ここはさ、ほら、いつもみたいにさ、「じゃんじゃじゃーん! ひっかかったなー、ばかめー!」みたいな、ふざけた空気でネタ晴らしするところでしょ?

 …………なんで、黙ってんのさ。ヤシロ……


「お前には……さ」


 きゅ……っと、心臓が鳴いた。


「あ、いや……お前っていうか…………エステラはさ」


 な、なんでわざわざ言い直すのさ!?

 いつもいつもお前呼ばわりのクセにさ!

 ……なんなのさ、一体。


「エステラ、今日、時間……あるよな?」

「ぅえ…………ある、けど?」


 ノドの奥で変な音が鳴った。

 ちょっと待って。どこからどこまでが仕込みなの?

 今朝の給仕たちの行動は『バレることが前提』だったよね?

 じゃあ、昨日のロレッタたちのは? ナタリアがすかさずフォローに入っていたから、あそこは想定外?

 なら、ジネットちゃんが逃げ出したのは?


 ……君とウーマロの会話は?

 あれは……聞かせるつもりだったもの? それとも……


 なんだか変な空気に包まれて、口を開けても言葉が出てこなくなってしまった。

 ヤシロも黙って、ボクの隣を歩いている。

 何も言わない。

 ボクも、何も、聞けない。

 ただ、陽だまり亭に向かって歩いているのは分かる。

 陽だまり亭…………というか、ヤシロの、部屋?


「エステラ」

「ひょいっ!?」


 急に名前を呼ばれてびっくりした。

 ちょっと噛んじゃったけど、ちゃんと「はい」って言えたはず! 言えていたはず!


 ヤシロが立ち止まり、ボクをじっと見つめている。

 ボクも足を止め、ヤシロを見つめ返す。


「エステラ……お前さ」

「う……うん」

「俺の部屋におっぱい落としてないか?」


 それは却下されたはずだよね!?


「……あ゛?」

「いや、すまん。ちょっとチョイスを間違えただけだから、そんな金物ギルドの乙女より低い声を出すな」


 両手をこちらに向けつつ視線を外すヤシロ。

 もう一度だけチャンスをあげよう。次はきちんとするように。


「もとい」


 こほんと咳払いをして、ヤシロが再びボクを見つめる。


「なんんんんんっっっにもしないから! マ・ジ・で・そーゆーんじゃないから! 俺の部屋来ねぇ?」

「それは最も悪い失敗例として記述を残すべきレベルの最悪の誘い文句だよ!」


 まさか声に出して今のセリフを言うべき時が来るとは。


「違うんだよ! 部屋に誘うとか、お前が恥ずかしがったり、外聞的によくないと思ったから、こういう回りくどい言い方をしたわけでだな……」

「恥と外聞は一切考慮されてなかったけれどね、今の発言! ……もう回りくどいのはいいから、スパッと用件を言ってくれるかい?」

「じゃあ……、エステラ。お前、縛られて目隠しされるのとか好きか?」

「恥と外聞どこへ置いてきた!?」


 好きだなんて口が裂けても言えるわけないだろう!?

 ……いや、違う! もとい! そもそも好きじゃないよ、そんなこと!

「むぁぁああ!」と、ボクが頭を抱えるのと同時に、ヤシロも頭を抱えて髪をガシガシ掻き毟り始めた。


「ぬぁぁああ、まどろっこしい! そもそもなんで俺がここまで気を遣わなきゃなんねぇんだ! もういい! もう搦め手はやめだ!」


 ヤシロの鋭い瞳がボクを見る。

 視線に射抜かれ、磔にされたように体が動かなくなる。


「エステラ」


 一歩、さらに近付いて、ヤシロがすぐ目の前まで来る。

 瞳はボクを見据えたまま、ピクリとも動かない。


「悪いようにはしない、だから反論はするな」


 聞き慣れた声が、いつもと違う雰囲気を纏って耳へと入ってくる。

 滑り込んできた声音が首筋を撫でるように浸透していって、背筋が粟立つ。


「黙って俺について来い」

「……は…………ぃ」


 声を出したつもりだったけど、全然音にならなくて、こくりと頷いた。

 ……だからさ、ヤシロ。

 それも却下されたセリフじゃなかったっけ?

 まったく…………事前情報がなかったら、心臓が止まってたかもしれないじゃないか。


 普段はふざけているくせに、いざという時には頼りになる。かと思えば、ふとした拍子に迂闊なヤシロ。

 君を理解するにはまだまだ時間がかかりそうだよ。……まったく。


「ほら、行くぞ。あんまり時間がねぇんだから」


 足元が覚束ず、歩き出せなかったボクの手を引きヤシロが早足で歩き出す。

 手を引かれるままに、ボクは上の空でヤシロの部屋へと連れられていった。





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