第8話

 まったく、イメルダは……


『嫌われているんじゃありませんの?』


 ……不安になってきたじゃないか。

 そんなことないって、信じてるのに。


「ぁれ? えすてらさん?」


 ジネットちゃんのことならシスターに聞けばいい! ……と、教会へ向かっていると、背後から声をかけられた。


「ミリィ!」


 振り返るとミリィがいて、くりくりした純真な瞳でボクを見上げていた。


「ミリィはボクのこと好きだよね!? ボクはミリィのこと好きだよ!」

「ぅぇえ!? ど、どうした、の? えすてらさん、なにか、ぁった?」

「いや、ごめん。ちょっと興奮しちゃって……」


 ミリィの純真さはジネットちゃんに通ずるものがある。

 だから、ミリィに嫌われていなければジネットちゃんにも嫌われていないはず!

 ……と、思ったらちょっと感情が暴走してしまった。


「ミリィちゃんを見てついつい興奮……分かるで! ウチかてミリィちゃんとおる時はいつ何時も常にはぁはぁしとるさかいな! お揃いや!」

「れじーなさん、落ち着いて! ぁと、はぁはぁとか、言ゎないで!」


 くっそ~、視界に入れないようにしていたのに声はばっちり聞こえてしまう。

 やっぱり、レジーナを視界から消す方法は、ボクが目を逸らすんじゃなくてレジーナを埋める方が確実かぁ。


「日中に外出なんて珍しいね、レジーナ。ミリィが穢れるから三歩下がって」

「そう言われると、抱きついて汚したぁなるわぁ、ぎゅ~って」

「思いとどまらないと自警団に突き出すよ」

「ぎゅ~…………ぺろぺろ」

「ミリィ、待ってて! すぐに自警団呼んでくるから!」

「ぁの……みりぃ、大丈夫だから。れじーなさん、そんなこと、しない、ょ?」

「はたして、せやろか?」

「しないで、ね?」


 困り顔のミリィを見て、レジーナがケラケラと笑う。

 レジーナも変わったよね。昔は、こうして話をすることもなかった。

 レジーナの変化は、好ましいものだと思う。

 ……節操がなくなりつつあるのは大問題だけれども。


「ミリィは変わらないよね」

「乳かいな?」

「違うよ!?」


 口を開けば余計なことしか言わない、ヤシロの亜種のような生き物の口を手で塞ぐ。

 その直後、手のひらにぬるくてぬろぉ~んとした感触が這い回る。


「ぅひゃぁぁあああ!? ペ、ペロペロしないで!」

「いや、えぇんかと思ぅて」

「思うなぁ!」


 レジーナを叱責して、ハンカチで手のひらをこれでもかと拭う。

 あぁ……感触が残る!


「ぁ、ぁの、ね、えすてらさん」


 レジーナからスススっと距離を取ると、ミリィが懸命に訴えかけてきた。


「みりぃも、ね、変わったよ」

「乳かいな?」

「違ぅよ!?」

「なんや、変化なしかいな」

「ぁう……そ、それは…………な、ナイショだょ!」


 たぶん変わってない。

 きっと変わってない。

 仲間だね。


「そ、そうじゃなくて、ね」


 レジーナから一歩距離を取り、ミリィが改めて口を開く。


「みりぃ、去年までずっと、人見知りで、知らない人とか、男の人とかとお話するの、苦手で……怖かったんだけど、ね」


 確かにミリィはジネットちゃんや生花ギルドの人たちくらいとしか会話をしていなかった。

 一人で出歩くことも、そうそうなかったと聞いている。


「けど、ね。てんとうむしさんとか、みんなと出会って、ぃろいろなことを経験して……みりぃ、大人になったの!」

「『いろいろなことを経験して大人になった』やて!?」

「言うと思ったけど、ちょっと黙ってて!」

「『エロエロなことを経験して大人になった』やて!?」

「それは言ってない! 自分で黙るか強制的に黙らされるかどっちがいい!?」


 レジーナが両手で自分の口を塞ぐのを確認して、ミリィに先を促す。

 ……まったく、いちいち話の腰を折るんだから。


「あぅ、ぁの……だから、どぅって、ことじゃないんだけど……みりぃ、ね、前の自分より、今の自分の方が、好き、なの。だから、みんなに、ね、とっても感謝してるの」


 あはぁ! 可愛い!

 マグダともジネットちゃんとも違う可愛さだよ。

 これはもう四十二区の宝だね。大切にしたい!


「そうだね。ミリィは変わったね」

「ぅん! ……ぇへへ」

「乳かいな?」

「言わなきゃ死ぬのかい、君は!?」


 少しの時間も黙っていられない残念薬剤師に呆れつつ、この二人からも情報を得ておこうと思う。



「そういえば、君たちは何か聞いていないかい?」

「なんや、えらいざっくりとした質問やなぁ。なんの話なんか、よぅ分からんわ」

「いや、だからさ……近々何か変わったことをやろうとしている気配がないか、とか。ジネットちゃんの様子がおかしいなぁ、とか。ヤシロが変なことしてるなぁ、とか」

「おっぱい魔神はんが変なんは、今に始まったことやないやん」

「そうなんだけど! ……何か企んでるとか、聞いてないかい?」

「領主はんが知らへんってことは、知らんでえぇことか、知られたぁないことなんちゃうのん? 気にせんでもえぇと思うで」

「そりゃ、そうなんだけど……」

「まぁ、なんにせよ、や」


 滅多に日の光に当たらないせいか、真っ白なレジーナの腕。その腕が持ち上げられ、ボクの頭をなでる。


「この街の人間は、領主はんを仲間はずれにするようなことも、領主はんを陥れるようなこともせぇへんて。……せやろ?」

「…………うん。そうだね」


 普段のおちゃらけた雰囲気とはまるで違う、穏やかで包み込むような慈愛に満ちた声に、ささくれ立っていた心が癒されていく気がした。

 そうだよね。ムキになって走り回らなくても、きっとみんななら、きちんと話をしてくれるよね。その時が来れば。


「ありがとう、レジーナ。悔しいけど、落ち着いたよ」

「さよか。ほならよかったわ」


 にっしっしっと、とても女の子らしいとはいえない笑い声をもらし、レジーナは手をひらひらと振って帰っていった。

 ミリィも、レジーナと一緒に大通りの方へと向かって歩いていく。

 二人の背中を見送って、ボクは一度軽いため息をついた。

 心が随分軽くなったような気がした。


「よし、帰ろう」


 家に帰ればまだまだ仕事はある。

 もしヤシロが本当に何かをするつもりなのだとしたら、明日になれば答えが分かるだろう。

 何もないなら、何もなかったなぁって思うだけだ。


 些細なことで不安になったり、変に焦っちゃったりすることがあるけれど、逆にこうやって些細なことで落ち着けることもある。

 仕事をしながらその時を待てばいい。

 そんな穏やかな気持ちで歩き出す。

 

 少し進むと、前方に教会が見えてきた。

 教会の入り口にロレッタとシスターとネフェリーがいた。

「やぁ、みんな」と声をかけようとしたら、ロレッタがこちらに気付いて、目を剥いた。


「ほにゃぁぁあああ!? エステラさんです!」

「大変大変! シスターは絶対嘘吐けないから、危険よね!?」

「え? え? 私、危険なのですか?」

「大至急シスターを教会の中へ避難させるです! ネフェリーさん、うまく誤魔化しておいてです!」

「えぇぇ!? 私が!?」

「エステラさん、頭いいから、あたしじゃ荷が重いです!」

「いや、私にも無理だって!」

「ん? どうしたお前ら? なんか困ってんならあたいが変わってやろうか?」

「デリアさんは一番ダメですよ!?」

「そうよ! デリアは奥に引っ込んでて! ほら、シスター連れてって!」

「なんだよぉ! あたい、割となんでも得意だぞ!」

「なになに~? なんだか楽しそうだねぇ~☆」

「マーシャさんはもっと出て来ちゃダメですよ!?」

「わぁああ、もうそこまで来てるよ! どうしようどうしよう、ねぇ、ロレッタ!?」

「ぅぁああああ、もうこうなったら、気付かなかったことにしてみんなで避難するです!」

「そうね、それが一番無難かも!」

「そうだなぁ、エステラはちょっと抜けてっとこあるから気付かないかもな」

「うふふ~、それはないと思うよぉ~、デリアちゃん☆」

「では、中に入っておやつでも食べましょうか。たくさんありますし」

「それ、試作品ですよ、シスター!?」

「ゎあぁあ、とにかく全員中に入ってー!」


 バタバタと、ネフェリーを先頭に見知った顔が教会へと逃げ込んでいく。

 …………

 …………

 …………




 絶対何かある!

 ないわけがない!




 こうなったら徹底的に暴いてやろうと教会へ乗り込もうとしたところで、ナタリア率いるウチの給仕軍団に「仕事が残っていますよ! 帰りましょう! さぁ! さぁさぁ!」と強制送還されてしまった。

 それからは夜まで缶詰状態でずっと書類仕事をさせられた。

 軟禁だ。いや、監禁だ。


 ……一体何を企んでいるのか知らないけれど…………この用意周到さ、絶対ヤシロが裏で糸引いてるに決まってる!

 ヤシロぉぉおお!

 明日、覚えてろぉぉおおお!


 怨嗟の念を吐き出しながら、ボクは目の前に積み上げられた大量の仕事を片付けた。





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