第2話

 明けて、朝。


 朝食の準備を待つ間、ボクは執務室で書類を広げていた。

 書類の束から目を離し、窓の外へと視線を向ける。


 三日後……、いや、一晩明けたから二日後だけど、一体何が起こるのだろう。

 考えないようにしようと仕事に打ち込んでも、ふと手を止めた瞬間に考えてしまう。

 そして、無意識に顔が熱くなる。


 ないない。

 そもそも、もし本当にそーゆーつもりなら、ヤシロがウーマロに相談なんかするはずがないんだよ。ヤシロはきっと、そーゆーことは秘密にして誰にもしゃべらないはずだから。だって、そーゆーことって人に知られると弱点になり得る情報だし、ヤシロがみすみすそーゆー情報をもらすなんてわけが…………『そーゆー』がどーゆーことかは、よく分からないけどね!!


 頭を掻き乱して脳内に蔓延る愚にもつかない妄想を一掃する。

 はぁー……はぁー……はぁー……


「エステラ様」


 執務机にティーカップが置かれる。

 ナタリアが、紅茶を入れてくれたようだ。


「こちら、よく効くお薬です」

「なんの薬!?」


 よく見たら紅茶じゃなくて白湯だった。


「いえ、エステラ様が無言でにやにやして身悶えていらしたので、『あぁ、いつもの病だな』と」

「そんな病を患った覚えはないんだけど!?」

「とにかくお薬を。某破廉恥薬剤師が『むっふ~んで、まっふ~んなお薬やで~』と太鼓判を押したよく効くお薬ですので」

「効果が怪し過ぎるよ!? どの方面の太鼓判なのさ!?」


 不吉な白い粉をぺいっと払いのけ、白湯を下げさせる。


「何かいいことでもあったのですか?」

「べ、別に!? ……たいしたことじゃ、ないよ」


 ナタリアに話せるわけがない。

 もし何かあったりしたら……いや、そもそも、何かあるなしの前に、ボクにはナタリアがついているから、何も起こりようがないんだよ。……帰りが遅くなったら、すぐに駆けつけるだろうしね。


「エステラ様。実は二日後にお休みをいただきたいのですが?」

「ふぁっ!?」


 なんでこのタイミングで!?


「な、何か、用でもあるの、かい?」

「えぇ、モコカさんに情報紙の取材に協力してほしいと依頼されまして」

「また君の特集を組むのかい?」

「はい。是非ヌードを描かせてほしいと」

「不許可だよ!?」


 どうして領主付きの給仕長が他所の区でヌードを衆目に晒さなきゃいけないのさ!?

 許可出来るわけがない!


「では、取材はお断りして、その日は一日館から一歩も出ないことにしましょう」

「…………いや、ヌードじゃなきゃ、取材くらいは、いいんじゃないかな?」


 節度さえ守ってくれれば、ほら、四十二区の印象を良くする効果があるなら情報紙を利用するのもいい戦略と言えるし。

 別にその日は館になるべく居てほしくないとか、そーゆーわけではないよ、うん、別に。


「では、セミヌードまでということで……」

「着衣! 腕まくりすらしないように!」


 まったく、ナタリアは……


「ヤシロに出会ってから、君は本当に変わったよね」

「そうでしょうか?」

「自覚がないなら、その事実にボクは戦慄するよ」

「確かに、一段と美しさに磨きがかかりましたね。『BU』で話題沸騰になるほどには」


「ふふん」と、髪を払う仕草が妙に絵になっていて鼻につく。

 昔は堅物だとか融通が利かないなんて言われていたのに。


 そんなナタリアも、ヤシロと出会った当初はかなり警戒していたのにね。

 ボクに付く悪い虫は排除する、とか言っちゃって……ふふ。


「や、やめてください、エステラ様。かつて見た私のヌードを思い出して、そんな卑猥な笑みを浮かべるのは……」

「なんでこーなっちゃったんだろうなぁ、君は」


 自身の体を抱きしめ、か弱い乙女のように『しな』を作って見せるナタリア。

 儚げな美女に見えてしまうから、やっぱり鼻につく。


「最近は、随分と外部の人間に寛容になったよね、君は」

「それはそうでしょう」


 ナタリアが言うには、かつては身分を隠して行動していたボクが、衆目のもと領主だと宣言したことが大きな要因なのだという。


「エステラ様を貴族と知らず、粉をかけるような不埒者は排除しなければいけませんが、領主を名乗るようになった今、みだりにエステラ様にちょっかいをかけようという無作法者はほとんどいませんからね」


 あの厳しさも、ボクを思ってのことだったんだね。 

 ちょっと度が過ぎていると思っていたけれど、今ならその優しさが分かる。感謝している。


「それに、今は私が口を出さずとも、エステラ様を守ってくださる方がいらっしゃいますからね」


 誰とは明言されていないのに、ある一人の顔が浮かんで胸が音を鳴らす。

 そんなボクの変化を見て、ナタリアが目を細める。

 ……なにさ、その顔は…………もう。


「ふ、ふん。給仕長がそんな油断をしているとは、嘆かわしいね。これじゃおちおち安心して表も歩けないよ」

「それは、寝ぼけていたせいでズボンを穿き忘れて今現在パンツ丸出し状態だから――という理由でですか?」

「気付いた時にすぐ言ってよ!?」


 っていうか、給仕ー!?

 ボクの着替えを手伝ってくれていたはずだよね!?

 ボクが忘れていたら指摘して!

「あら、今日は穿きたくない気分なのかしら?」――みたいなこと、絶対ないから!


 慌てて七分丈のズボンを穿きながら、ナタリアの外出に許可を出す。

 夜遅くなるかもしれないということだったので、必要ないとは思いつつも、暴漢に気を付けるように言い添えておいた。


「私は大丈夫ですが……、エステラ様。もし万が一、私のいない時に暴漢に襲われそうになったら――相手をがっかりさせないためにも胸だけは死守して……」

「早く朝食にしてくれるかなぁ!?」


 なんなら、今日から外出して来ればいいよ?

 全然いいよ!?

 すっかりと残念な進化を遂げてしまったナタリアの給仕を受けて、ボクは朝食を手早く済ませた。





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