【5周年書き下ろしSS】ドキドキ☆タクティクス

宮地拓海

第1話

 それは、本当に偶然耳にした言葉だった。


「エステラを自然に誘い出せるセリフを考えてくれ」


 よく晴れた穏やかなある日、トルベック工務店へウーマロを尋ねたボクは、よく聞き慣れた声でそんな言葉を聞いたのだ。


 ……ヤシロ、だよ、ね?


 トルベック工務店の敷地を囲う塀の向こうから聞こえる声に、意識が向く。

 ここの塀は、成人男性が両腕を上げてジャンプすればなんとかよじ登れるかどうか、そんな高さだ。

 けれど、運動神経には自信があるボクにとっては、この程度の高さどうということはない。

 軽く助走をつけて跳躍。塀の上部を掴んで、塀に足をふんばり、背の高い塀へしがみつく。ひょっこりと敷地の中を覗き込む。バレないように、こっそりと。


 トルベック工務店の大きな倉庫の裏側、人が寄りつかないような一角に、ヤシロとウーマロが向かい合って座っていた。横倒しになった丸太に腰掛けて。


「エステラさんを誘う方法ならオイラよりヤシロさんの方が考えつくんじゃないッスか? ヤシロさんの方がエステラさんとは親しいんッスから」


 自分のヒザにヒジをついて、不貞腐れ顔で頬杖を突くヤシロ。

 はぁっとため息を吐きながら困り果てているというような声音で言う。


「親しいからこそ悩んでんじゃねぇか……」

「エステラさんなら、ヤシロさんのお誘いを断ったりしないと思うッスよ」

「んー……」


 ウーマロが諭すも、ヤシロの膨れっ面は直らない。


「だってエステラさん、いつもヤシロさんを最優先にしてるじゃないッスか」


 そんなことないけども!?

 何を言っているのかな、ウーマロは? 見当違いも甚だしいよ!


 高い塀にしがみついているせいだろう、少々顔が熱い。

 ……とりあえず、後日ウーマロには相応の制裁を科すことにしよう。


「けどさ、あいつは領主だからなぁ……」

「あぁ……確かに。それはあるかもッスねぇ」


 ボクが領主であることが、今のヤシロの不貞腐れ顔の原因らしい。

 ボクが領主だったら、一体なんの不都合があるというのか……


「あいつが領主じゃなきゃ、はっきりと言ってやるんだけどな」


 背を丸め頬杖を突いていたヤシロが、すっと背筋を伸ばして真剣な顔で言う。




「エステラ。黙って俺についてこい」




 ――っ!?



「……ってな」


 …………あ、危ない。落ちかけた。

 びっくりし過ぎて手を離しかけた。

 今ここで大きな音なんか立てたら、あまつさえ「痛ったぁ!」なんて声が出ちゃったら…………もう二度とヤシロと顔を合わせられないよ。


 いや、分かってる。

 ヤシロのことだし、どーせいつものように深い意味はなくて、言葉のチョイスがちょっとおかしいだけなんだ。

 慎重なようで迂闊なヤシロにはありがちなことさ。

 だから動揺する必要はない。


 最後まで話を聞けば「な~んだ、そんなことか」ってくだらないオチがつくんだ。いつもそうじゃないか。

 だから…………落ち着いて、心臓!

 あんまり暴れると出るから! 口からぽーんって飛び出ちゃうから!


 塀にしがみつき、深呼吸をして、再びそっと向こう側を覗き込む。

 相変わらず真剣な表情のヤシロと、顔を手で隠して大照れしているウーマロが見えた。


「ヤシロさん、あの……それは、さすがに……外聞が……」

「だから困ってんじゃねぇか。……あ~ぁ。軽口ならいくらでも叩けるんだけどなぁ」

「ヤシロさん、……なんかいつになく真剣ッスね」

「まぁ、日頃から世話になってるし、利用価値もあるし」


 ふぅ~ん、利用価値ねぇ。


「それにまぁ…………大切だからな」


 ――ドキッ。


「どうにも、俺のやり方は強引過ぎるからな。あいつなら、それでも『やれやれ、しょうがないね』なんて笑って許してくれるのかもしれないけどさ……あいつの気持ちを蔑ろにはしたくないんだよな」


 ――ドキドキ。


「あいつは幸せを独占することを罪だと思っているような節があるからな」

「平等を愛する人ッスからね」

「けど、あいつだって幸せを独占する権利くらいあるんだ」


 幸せの、独占……


「ま、俺があいつを幸せに出来るかどうか、分かんねぇけどな」


 あははと戯けて笑う声に、耳が熱くなる。

 ……なんで分かんないんだよ…………もう。


「とにかく三日後、さりげな~くエステラを俺の部屋へ誘う」


 ぅぇぇええええええ!?

 へ、部屋!?

 へやぁぁぁああああああ!?


「けど、上手くいくッスかね? 仮にも領主で、お年頃の女性ッスし」

「だ・か・ら、お前に誘い文句の相談に来たんだろうが」

「オイラ、そんなの知らないッスよ!? 誘ったこともないッスし!」

「俺よかいい案出せるだろう!?」

「ちなみに、ヤシロさんの案って、どんなッスか?」

「『なぁ、エステラ。お前、俺の部屋におっぱい落としてないか?』」

「ないッスよ!?」

「いや、そう言ったら、『え、もしかしたら……』って見に来るかもしれないだろ!?」

「ないッスよ!?」

「分かんないだろ!?」


 なんで分かんないんだよ! もう!

 ないよ!


「ヤシロさん、とりあえず『おっぱい』とかそーゆー単語はなしで誘った方がいいッスよ」


 当たり前のことなのに、すごく的確なアドバイスに聞こえるよ。


「じゃあ、考えてきたヤツ全滅じゃねぇか」


 君の脳みそはどうなっているんだい!?


「エステラさんは理解のある人ッスから、疚しい気持ちがないことを伝えればちゃんと対応してくれるッスよ」


 いいこと言った、ウーマロ!

 ボクの中でトルベック工務店の株がググっと上昇した。


「疚しい気持ちがないことを伝える、か…………『なんんんんんっっっにもしないから! マ・ジ・で・そーゆーんじゃないから! 俺の部屋来ねぇ?』」


 はい、アウトー!

 それは最も悪い失敗例として記述を残すべきレベルの最悪の誘い文句だよ!


「そうじゃなくてッスね……『折り入って話したいことがあるんだ』とかでいいんじゃないッスか?」

「『なに? 今聞くよ』とか言われて、あいつの館に連れて行かれたらどーすんだよ? 俺は部屋に連れ込みたいんだぞ!?」


 ちょっ!? ヤシロ!?

 ……何を、大きな声で…………


「じゃあ『他の人に聞かれたくないから』とか言って、『自分の部屋なら落ち着いて話せるから』とか、そんな感じでどうッスか?」

「で、『今日、家の人誰もいないんだ』とか言って女を連れ込んでるのか、このスケベ」

「連れ込んでないッスし、オイラ結構親身に相談乗ってる最中ッスよ!?」


 ぷいっとそっぽを向くヤシロの顔には見覚えがある。

 あれは、真面目な話が照れくさくなった時にそれを誤魔化そうとしている顔だ。

 ウーマロを弄っているのも、そういう理由からだろう。


 ……なんだろう。

 ボク、今、何を聞いてるんだろう?

 こんな、男子の密会を…………聞いちゃってて、いいの、かな?



 全身の血液が顔に集まってきているような気がする。

 今、目の前の塀に顔を押しつけたら高温で融解してしまうんじゃないかとすら思える。


 ……これ以上聞くのは、やめておこう……かな。

 気になるけれど……

 これ以上聞くと…………ヤシロに顔を合わせられなくなりそうだ。


 少々後ろ髪を引かれつつ、音を立てないようにそっと、そ~っと降りていく。

 勢いよく飛び降りたりしない。察しがいいヤシロに勘付かれたら、それこそおしまいだ。

 ゆっくりゆっくり、腕と足の筋肉を伸ばして地面へと近付いていく。


 そんなゆっくりな動作の合間にも、ヤシロたちの会話は聞こえてくる。


「かしこまると緊張するッスから、楽しい雰囲気で、冗談とか言いながら誘うといいんじゃないッスか?」

「『あっれぇ、エステラ? またしぼんだ?』」

「刺されるッスよ!? 怒らせちゃダメッスから、そこは褒めるッス!」

「『どうしたエステラ!? 今日、めっちゃ巨乳じゃん!』」

「あり得ないッスよ!? カエルにされちゃうッス!」


 うん。

 これ以上は聞く必要がないだろう。

 いつものようにバカな方向に話が脱線し始めた。


 ……ついでに言うと、 ボクの中でトルベック工務店の株がガクッと急降下した。


 熱に浮かされたように覚束ない足取りでボクは領主の館へと戻る。

 ウーマロに渡さなきゃいけない書類をそのまま持ち帰ってしまっていたことに気が付いたのは、その日の夕食の時だった。





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