第35話 宴の支度

 一週間、村人たちは不眠不休で結婚式の準備に励んだ。

 まず、結婚式と披露宴に使うための家畜と村で飼う家畜を分け、村で飼う家畜を村人たちに公平に分配した。

 ほかのものはすぐに使うものとそうでないものを分けたあと、使わない分を村の共有の倉に保管する。

 布や糸はほとんどすべて、すぐに使うことになった。

 王を出迎えるため、村人すべての衣装を新調することにしたからだ。

 二百年前の王が凱旋がいせんする……その、にわかには信じられない話に、懐疑的な村人たちも多かったが、結局、そうでなければこの宝の山の説明がつかない、ということでみな、納得せざるを得なかった。

 こうやって餌をちらつかせ、使ってしまったところで代価を払えと迫り、払えなければ奴隷として売り払う……そんな悪意も考えられなくはなかったが、それにしては積み荷が高価すぎた。

 ひとのいのちは安いのだ。

 体格のしっかりした健康な男で百デュカート。

 手先の器用な健康な女で六十デュカート。

 少年少女ならば五十、美しい女ならば二百デュカート。

 芸能に秀でた者ならば言い値で取引されることもあるが、そういう者はごくまれだ。

 赤ん坊ならば十デュカート、老人に至ってはだれも欲しがらずに値が付かない。

 対して、豚一匹一デュカート、羊一頭なら、よく肥えた毛並みのよいものならば五デュカートはする。

 老人の姿の目立つ、痩せ細った者の多いこの村の者をひとり残らず売り払ったところで、この積み荷の値段の数分の一も回収できないだろう。

 また、村の外に村の伝承を吹聴したことがないのも、「ガルシア・アリスタが本物の王」だろうと判断する材料のひとつになった。

 もともと、飢饉で食べ物を必要とするときでさえ、交換に売るものとてないひなびた村だった。

 ほかの村と交流する機会も滅多になく、村の外に出て行こうとする者もほとんどない。

 そんななか、この村の伝承を知り、ガルシア・アリスタの名をかたる……考えれば考えるほど、あり得ない。

 最後のとどめは銀食器だ。

 深皿、大皿、小皿、さらには銀盆……あわせて百五十枚近くある皿、三十客の銀杯のふちには月と星と太陽、そして天翔る雄山羊が意匠され、ナイフ、フォーク、スプーン、全部で百本はあるそれらすべてのに、おなじ紋章が彫刻されている。

 剣の如き峰、たける雄山羊。

 それはまぎれもなく、アリスタ王家の紋章。

 結局、村人たちは王の帰還を信じることに決めた。

 もちろん二百年前の王本人ではなく、その子孫に違いないが、アリスタ王家の血縁者が村に戻ってくるなら、それはそれでじゅうぶんに喜ばしい。

 それに、間違いであってもいいではないか。

 そのときはこの有り余るほどの家畜と穀物で、一世一代の馬鹿騒ぎをすればいいだけのことだ。

 男たちは腕が上がらなくなるまで山刀をふるって家畜を潰し、肉に塩を擦り込んで熟成させる。

 老人たちが弓矢の矢羽根を作るために雄鶏の羽根を抜き、寝具の詰め物にするために、羽毛に血が付かないように丁寧に抜いて袋詰めした。

 春はすでに来ているとはいえ、高原の冷たい雪解け水の流れる川縁で、何時間もかけて家畜の内臓を洗い、血を詰めて腸詰めを作る。

 豚皮は薄皮を剥いで毛を抜き、よく煮込んでかりかりに焼けば、どんな贅を凝らした料理にも負けない美食になる。

 食べきれない皮はなめして袋や衣類に加工する。

 豚や鶏も飼う分は確保してあるが、羊と山羊はなるべく潰さずに置いておくことにした。

 毛を刈り込んで糸を紡げば村が潤うし、羊も山羊も寒さに強く、粗末な食べ物でよく太ったから、貧しい村では飼いやすい。

 それでも豚を三十匹、鶏を百羽、羊と山羊を五頭ずつ、潰すのだ。

 塩胡椒で焼いた豚肉や羊肉、干し葡萄を詰めて一日かけて炙った鶏、燻製にした豚肉と山羊肉、挽肉を豆と一緒に生地に詰めて焼いたパイ……村人たちの思いつく限りのありとあらゆる肉料理が豪勢に並べられた。

 村人すべてが三日三晩、満腹するまで食べてもまだ余る。

 それに加えて麺麭ぱんが山と積まれ、豆の煮込みも大鍋五つ分もある。

 酒も浴びるほど飲んで飲みきれないに違いない。

 蜂蜜をたっぷりかけた干した果物の皿も用意されることになっていたし、披露宴と結婚式、二日の祝宴のための料理なら、充分すぎる。

 女たちは祝宴に着る衣装の用意に明け暮れた。

 村でいちばんの裁縫上手が花婿と花嫁のための衣装を縫う。

 とっておきの藍草ウォードで生地を紺に染め、子だくさんを願って豆を刺繍し、彼らの行く末に幸あれと、村の護りである金の蹄を持つ雄山羊を刺繍した。

 春を呼ぶ南風、金運を呼ぶ麦の穂、夫婦の絆をたしかにする忍冬すいかずら、ありとあらゆるおめでたい図柄を刺繍し、最後に新郎新婦に一粒ずつ、雄山羊の目に黄金輝石を縫い込んだ。

 それは、二百年前に十三人の少年少女と司祭が国をあとにするとき、国を守るために、最後まで残った親たちから、子供たちがお守りとして貰ったという粒石だった。

 司祭の受けた天の啓示と、黄金輝石のもたらした幸運によって逃げ切ることができた彼らにとって、この石は、どんな飢饉のときにも金には換えなかった村の真の宝物だ。

 屑石のようなおおきさしかないが、それでも、石の色は深い紺青、金のルチルもきちんと入っている。

 ある娘は蕁麻いらくさ毛氈フェルトを緋色に染め、べつの娘が山羊の毛を刈って房飾りを作った。

 村人全員の晴れ着を作るために、女たちは総出で夜が明けるやいなや布を裁断し、日がとっぷりと暮れるまで、食べる間を惜しんで針を動かした。

 そして、穏やかな陽が、つねと変わらぬように高い峰の向こうに沈み、優しい春風にひやりとした夜の気配が忍び込むころ、ピレネーの片隅にある村に、五月十四日の夜が来る。

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