第33話 伝承

 仏蘭西フランス西班牙スペインとナバラ王国の国境くにざかい、ピレネーの山麓にあるわずかな平地に、ひっそりとその村はあった。

 ライ麦と豆を育て、山羊と羊を飼う。

 ライ麦を挽いて麺麭ぱんを焼き、豆を挽いて山羊の乳で作った乾酪チーズと煮て食べる。

 山羊や羊の肉など、滅多に口に入らない。

 村人の数は三百足らず、八十にも満たない建物が、粗末な教会堂を囲むようにして建っていた。

 生きてゆくのに精一杯で、贅沢なものなど村を隅から隅まで探してもない。

 教会堂にたったひとつあった美しいモザイク入りの洗礼水盤も、百年前の飢饉のおり、麦二樽、豆五袋と引き替えに売られてしまった。

 食べ物を村のそとに求めるための交換用の作物も産物もなく、作物が不作の年には餓えて死ぬ者がかならず出る。

 そして、寒冷な高山の気候のせいで、作物はつねに不作になりがちだった。

 貧しいばかりの村。

 が……この村にはひとつ伝承があった。

 それは、村人が貧しさを堪え忍ぶために縋る、一縷いちるの望みだったのかも知れない。

 伝承はう。

 かつて、金の蹄をもつ雄山羊に護られた国があった。

 その国はピレネーの山々から限りない富を得て、栄えていた。

 だが、今をさかのぼること二百年前、その富を狙って他国が攻め入り、雄山羊の化身である王は、敵を討ちに王都を立った。

 王は民のためによく戦ったが、敵は王をあざむき、王都を滅ぼした。

 欺かれたことに気づき、昼夜を駆けて王都に戻ってきた王が見たものは、王都の夜を焦がす掠奪の炎。

 殲滅の業火。

 国を、民を滅ぼされたことを哀しみ、怒った王は、敵を滅ぼし尽くすまで国に帰らぬと誓い、焦土をあとにした。

 そして、もうひとつの物語。

 王の失意と瞋恚しんいの背後で起こっていた、ちいさな物語があった。

 それは山肌にしがみつくように建っていた教会堂で起こったひとつの奇蹟。

 そこをたったひとりで守っていた敬虔な司祭が、亡国の夜、難を逃れようと教会堂に避難していた民を逃がすための天啓を得たという。

 王族のみが知るはずの秘密の通路。

 目印のひとつとてない蜘蛛の巣のような古い採掘跡の坑道をあやまつことなく通り抜け、敵の手の届かぬ場所まで逃げ延びたのは、司祭と、十三人の少年少女と教会堂で飼っていた山羊が四頭だった。

 彼らが……十四になる少年をいちばんの年嵩としかさとして、乳飲み子すらいたという彼らがこの村をおこしたのだ。

 襤褸ぼろをまとい、草の根を噛み、慣れぬ手で石を積んで教会堂を建て……彼らは、そして彼らの子孫は待ち続けている。

 王の帰還を。

 ふたたび我らを護り導く雄山羊の化身の凱旋がいせんを。

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