第28話 知られざる戦い

 ガルシアがしたことといえば、シルヴィアの部屋の扉を開けたことだけ……そのはずだ。

 それらしい魔法の呪文もなく、秘密めいた魔方陣もない。

 けれどもシルヴィアの部屋の扉は、唐突に、見たこともない場所と繋がっていた。

 昇る八日月に輝く海原、黒々とした島影、打ち寄せる波濤……そして、つよい海風。

 その冷たさに、思わずシルヴィアはおのが身を掻き抱く。

 震える肩に、ふわりとかかる漆黒の外套。

 ガルシアが自分の着ていた外套を脱ぎ、シルヴィアの肩にかけたのだ。

 見上げれば、ガルシアの肩には昨夜見た鷹が留まっている。

「アシエルさん」

 シルヴィアの呼びかけに、鷹は、クォウと一声、鋭くいた。

「シルヴィア嬢、済まないがそこの扉が閉まらないように気をつけていて欲しい。『向こう』にはだれもいないから、一度閉まると、繋げるのに苦労するのでね」

「扉?」

 振り返ると、たしかに扉が立っている。

 おそらくはどこかの廃屋から失敬してきたのだろう……古びた扉だけが、木に立てかけてある。

 覗き込むと、さきほどまで居た自分の部屋だ。

 扉から吹き込む海風に、暖炉の炎が揺らめいている。

『ほんとうなら、扉を立てかけてある木が見えないとおかしいのに』

 よくよく見ればこちら側の扉と向こう側の扉、寸法も合っていないのだが、どういう具合か……なんとなく辻褄があっている。

 魔法って、凄いのね。

 素直に感心しつつ、シルヴィアは扉が閉まらないように自分の背を押さえにした。

 これなら、少々つよい風が扉をあおっても、閉まる心配はない。

「アシエルの居る場所には扉さえあれば行ける。逆に、アシエルはわたしの居るところに戻ってこられる」

 これはそういう『魔法』だと言いながら、海の向こう、闇を見据えていたガルシアはシルヴィアを振り返った。

 正確には魔法ですらなく……そういう繋がりを、わたしが望んだのだ、と。

 王と、廷臣。

 その、たったふたりきりの『国』を失わぬように。

 たったひとつのこった大切なものを、喪わぬように。

 クォウ、と、アシエルが啼いた。

「そんなこと言われると、すこし妬けてしまうわね」

 扉を背に、困ったようにシルヴィアは応える。

 でもそれは仕方がないことだ。

 威尼斯ヴェネツィアの船乗りたちが、商人になっても、修業時代をともに過ごした船員たちには特別の信頼を置いているように……ガルシアとアシエル、彼らには、シルヴィアの知らない二百年の過去がある。

 ガルシアはシルヴィアの言葉に、ふと、眼を細め、ふたたび海原に目を遣った。

 穏やかに寄せては返す波の音。

 丈の低い木々の葉をざわざわと掻き鳴らす海風。

 シルヴィアたちの居る場所は、どこかの岬だった。

 右手と左手、ともにおおきな島影が見え、そのあいだにいくつものちいさな島影がある。

 シルヴィアは先ほど話に出てきたザンテ島……これをたよりに昨日見た地図を必死に思い浮かべる。

 右手の島影がザンテ島だとするなら、左手がアルゴス島。

 そして自分が居るのは、キリニの岬だろうか。

 となれば、ここはペロポネソス半島の端……ビザンツ帝国の領土なのだ。

 目を凝らせば、半月よりすこし太った月明かりにきらめく海原に、ぼんやりと浮かぶちいさな、しかし五十は越えるであろう船影が見える。

 ガレー船は一隻につき約二百名が乗船し、一カ所に二名、または三名の男が座ってひとり一本ずつ櫂を漕ぐものだから、そんなにちいさな船ではないのだが……海原をく船は、手のひらにおさまるくらい……ずいぶんちいさく見える。

 どうやらシルヴィアたちのいる岬は、ずいぶん高台に位置しているらしい。

 威尼斯の監視船や見張りの砦に気取けどられぬためであろう、互いの位置を知らせるための灯りさえともしていない。

 あれが……熱那ジェノヴァ私掠船団しりゃくせんだん……?

「さすがは『海神の子』とみずからを誇るだけはある。月明かりだけを頼りに島影を縫って船を進めるとは……尋常のわざではない」

 だれに語るでもなく、ガルシアが呟いた。

「今夜、船を留めずに征けば、明日の夜明けにはコルフ島に着く。どこまでも急襲に徹し、奇襲を狙う……良い船長カピターノだ。そうは思わないか? アシエル」

 その呟きには、シルヴィアのはじめて聴く響きがある。

 傲岸で、不遜。

 そしてなにより、生き生きとして楽しそうなのだ。

 クォウ、と、アシエルが応えた。

『男のひとって……どうしてこう、ひとと争うのが嬉しいのかしら?』

 自分のちからを競う競争と言えば、毎年一回行われる教区パロキア対抗の透かし編みの速さ比べか、おなじ重さの羊の毛からいちばん細く長く糸が紡げるかを競う紡ぎ比べくらいしかない女としては、あらゆることで競いあい、戦争までしてしまう男たちの気持ちがよく分からない。

 もっとも、夫の収入や息子の出世を自慢し合うような不毛な競争する女たちもいたから、これは性別の差というよりは、競争する機会があるかないか……という差なのかもしれなかったが。

 シルヴィアは……威尼斯の敵とは言え、眼前を航行する艦隊の心配をせざるを得ない。

 あんまり酷いことはしないで……そう言いかけて、それではあまりに身勝手に過ぎると言葉を呑んだ。

『だ、だいじょうぶよね?』

 島影の多いこのあたりは、たしかに威尼斯の監視船に見つからないようにコルフ島に近づくには格好の航路だった。

 しかし、島が多いと言うことは、浅瀬も多く、海流も複雑に入り組んでいる。

 熟練の船乗りですら、昼間でもひとつ間違えれば座礁する危険のあるこの海域を、夜間、互いの位置を知らせるための照明もなしに航行するなど……たとえ小型で帆と手漕ぎを併用する……小回りの利くガレー船が中心とはいえ、尋常の操船技術でできることではない。

 威尼斯人が組織のちからで船団の安全を確保し、地中海の海運を握っているとすれば、熱那人は自身の天才的な技術を持って世界を切り開いているという。

『ちょっとぐらい酷い目にっても……なんとかするわよね? これだけ巧い船乗りさんが揃ってるんだから』

 見も知らぬ熱那人たちに、ちょっと同情しながらシルヴィアは固唾を呑んで……つぎに起こることを待ち受けた。

「さあ、アシエル。久方ぶりに顕現けんげんさせようか。わたしの王国を」

 天を振るわす声でガルシアは謡う。

 それはまさに、世界を目覚めさせるための祝詞のりとのように風をふるわせ、木々をうたわせる。

 アシエルの翼が空を切り裂く。

 そして、シルヴィアは視た。

 ガルシアが漆黒の剣を抜き放ち、天に掲げるのを。

 ガルシアの背を見ているシルヴィアは、その剣がどこから引き抜かれたのか、見なかった。

 見れば、その異様さに息を呑んだかも知れない。

 ガルシアの左胸、心臓のあるべき場所から引き抜かれる……漆黒の剣。

 ただ、その光景を目の当たりにすることはなくても、それに続く『異変』もまた、驚嘆するにふさわしいものだった。

 ガルシアが剣を大地に突き立てると同時に、地が震えたように感じたのは……錯覚だったかも知れない。

 大地に、天空に、あおぐろい亀裂が走り、消えたことも。

 風がどよめく。

 さきほどまで穏やかに晴れ渡っていたはずの夜空は、瞬く間に漆黒の嵐雲に塗り込められていった。

「王国よ、なんじらの王が命じる。いまこそ復活の烽火のろしをあげるがいい!」

 ガルシアの号令に、真っ先に天が応えた。

 一条の雷が、船団を引き裂く。

 雲を引き裂き、天より降り落ち、密集する船団の中心に咲く光の華。

 海面をのたうち、広がって消えてゆく青白い雷の蛇。

 風が逆巻く。

 それはさながら竜巻のように海を掻き回し、海上の船団を翻弄する。

 月の隠れた闇夜。

 シルヴィアの目では、いま、船がどうなっているかは分からない。

 堅い木材でできた船体のぶつかりあう音、互いの位置を確かめ合う船員たちの怒号どごう……そういうものがうねる波音に紛れて聞こえてくるばかりだ。

 おそらく、順風に帆を揚げていた船団は、突如変わった風向きに煽られ、船列を乱している。

 他船と衝突して船体を傾けるもの、陸地に近づきすぎて座礁するもの……

 ガルシアの号令一下、ふたたび雷の華が咲く。

 海に、帆柱に落ちて眩く華開く、蒼冷めた輝き。

 シルヴィアはその光景に、魅入られたように目が離せなくなる。

 美しい……そう……美しすぎて……怖い。

 ガルシア・アリスタの……王国。

 しっかりと前のあわせを押さえていても、風に煽られて翻る外套を飛ばされまいと両腕を組み、シルヴィアはただ、目の前で繰り広げられるあまりに非現実的で、それゆえに美しい光景に言葉もなく立ち尽くしていた。

「せめて地上にあるものなら、ガルシアさまも、もうすこし穏便な方法をお使いになれたんですけどね……そろって腹痛に襲われる、とか」

 シルヴィアに掛けられた声。

 いつのまにか、となりにアシエルがひとの姿で立っていた。

 一万人はいるであろうガレー船団の屈強の船乗りたちが、一斉におなかを壊すさまを思い浮かべ、シルヴィアはなんとも言えない気持ちになる。

 海の上は駄目なの? そう問おうと思って、ふと、いつだったかアシエルに聴いたことを思い出した。

「たしか……ガルシアさんの国には海がなかったのよね」

 ご名答、と、ばかりにアシエルは完爾にっこりと笑った。

「大地と空にあるものなら、ほら、いまご覧のように、直接操ることがおできになるんですけどね。なんと言ってもガルシアさまは国王陛下でいらっしゃいますから。その国にあるものは、みな、従わなければいけないんですよ」

 やっぱり、王さまなら当然でしょう? とばかりに、にこにこと笑いながら、アシエルは片目をつむって見せた。

 でも、わたし、仏蘭西フランス英国イギリスの王さまや、神聖羅馬ローマ帝国やビザンツ帝国の皇帝陛下が、雷を喚んだり大風を吹かせたりできるって、聞いたことないわよ。

 指摘するだけ無駄なので言わないが、いくら国王でも従わせられるのは国民であって、雷や風ではないはずだ。

 アシエルさん流に言えば、威尼斯の元首ドージェなら、大地の上にあるものは駄目だけれど、海にあるものと空にあるものは従わせられる……のだろうが……もちろん、そんなことはできないにちがいない。

「わたし……まだ知らないことが多いのね。ガルシアさんとアシエルさんのこと」

 ふう、と、シルヴィアは嘆息した。

「いずれおわかりになられますよ」

 と、アシエルが応える。

「知らないほうがいいことだって、たくさんありますけどね。……でも、貴女は……」

 みたび、雷が空を裂いた。

 そのせいで、アシエルの言った言葉を、シルヴィアは聞き逃してしまう。

「なんて言ったの?」

 そう問いはしてみたが、アシエルは微笑むばかりだ。

 やがて風が凪ぎはじめた。

 隠れていた月が黒雲の裂け目から顔を出す。

 熱那の私掠船団を『ほどほどに』撃破する……どうやらその初志は貫徹するようで、海が荒れ始めてからそんなに時は経っていない。

 この程度ならば、百戦錬磨の海の男たちのことだ、転覆などの最悪の事態にならないように、張っていた帆柱を折って風の影響を最小限に防いだり、わざと座礁させて船体を固定し、凌ぎきったに違いない。

「アシエルさん、わたしの代わりに扉、押さえててくれる?」

 シルヴィアは言い、頷いて身体をずらしたアシエルに微笑みかけてから、ガルシアのもとへと駆け寄った。

「凄いことできるのね」

 遙か眼下に海岸を見おろす絶壁のふちに立つガルシアの隣に並び、シルヴィアはガルシアを見上げた。

 大地に突き立っていたはずの漆黒の剣は、いつのまにか消えていた。

 ガルシアは祈るように目を閉じている。

「どこにでもあって、どこにもない。いまはもう存在しない……わたしの国だ」

 淡々とした呟きには、ガルシアの追憶があった。

 その哀しい追憶を振り払う魔法を、シルヴィアは持っていない。

 ただ、ガルシアの手を取って、繋ぐ。

 そうやって手を繋ぎ、前を見ていれば、ガルシアの見ているものとおなじものが見えるとでも言うように。

 絶壁に打ち寄せる波濤の砕け散る音は、声高ではあったが規則正しく、ついいましがたの『嵐』の名残を留めていない。

 月光に浮かび上がる船影は、うずくまったように動かないもの、傾いているもの、さまざまであったが、ただひとつ一致しているのは、さきへ進もうという船は見受けられないというところだ。

 まだ動ける船が、座礁したり深刻な破損で沈みかけた船に乗った船員を救うべく、飛び回っている。

 しかし、まだ動ける船とはいっても、ほとんどの船が帆柱を折り、程度の差こそあれ船体を損傷しているはずだった。

 帆柱を折ってしまえば、風の力がなくとも動けるガレー船とはいえ、あまり速度はでない。

 コルフ島襲撃を諦めるか……諦めなくともコルフ島の周辺で威尼斯の艦隊に発見され、逃げ切れずに捕縛されるだろう。

「君は、怖いとは思わないのか?」

 ガルシアが問うた。

 シルヴィアの手を握りかえし、しかし、視線は海に向けたまま。

 その寂しげで哀しげな表情を見なくても……シルヴィアには分かっていた。

 ここに来るまえに、ガルシアがシルヴィアに『ひとつだけ、約束して欲し』かったこと。

 その内容をガルシアは語らなかったが……『ひとではないちからを使う自分を見ても、怖れない』彼はそう、シルヴィアに約束して欲しかったのだ。

「……怖いわよ」

 シルヴィアは否定しなかった。

 嘘を吐いても仕方がない。

 彼女のその言葉に、ガルシアは静かな諦観を胸に納めるように、目を閉じた。

「でもね、わたし……安心できることがいつのまにか、そのひとにとっての不幸になることだってあるみたいに……怖いことがすべて『悪いこと』だとは限らないと思うのよ」

 シルヴィアが身を寄せていた神の園で、口にするのもおぞましい不徳が行われていたように。

 信じていた取引相手が、手のひらを返してシルヴィアの父をおとしいれたように。

 良いと信じられていることが、ほんとうに善いことばかりではないように、一見、恐ろしげに、悪く見えることのなかにも、善いことはあるのではないだろうか。

「『しかしてマリアはすべてこれらのことを心に留めて思いまわせり』……なのよ。きっと。わたし、ガルシアさんのちからは綺麗だと思ったわ。怖いくらい綺麗だって。そんなふうに思われるのは、ガルシアさんにとって哀しいこと?」

 聖書は語る。

 自身には理解できないことについて、その善悪や吉凶を軽々しく決めつけずに、まずはすべてを受け入れなさい、と。

 天候を操る……それは人間にはできないことだ。

 そして、そのこと自体には、おそらく善悪はない。

 ガルシアが熱那の私掠船団を足止めしたことで戦争が始まらなければ、威尼斯人がたくさん死ななくて済むし、なにより、仮面祭カルネヴァーレは盛大に開催されるだろう。

 それは、威尼斯人にとってはまぎれもなく善いことに違いない。

 けれど、こうやって熱那の私掠船団を攻撃すれば、どうしたって死者は出る。

 真っ暗な冬の海に投げ出されて、仲間の船の救出が間に合わずに死んでしまう熱那人が何人になるのかは分からないが、それは……ガルシアの罪だ。

 『それ』が善いことか悪いことか、そんなものは人の立場で簡単に変わってしまうのだ。

 ならば……『怖いくらいに綺麗だった』それだけで構わないではないか。

 ガルシアはそういうことができるちからを持っていて、自分自身とシルヴィアのためにそのちからを使った。

 それで幸せになるひと、不幸になるひと、いろいろあるけれども。

 シルヴィア・バルトリはそのちからを、怖いくらいに綺麗なちからだと思った……いまはそれでいいのではないか……。

 それ以上は、理解の及ばないことなのだ。

 すくなくとも、いまはまだ。

「いや。それで充分だ。……それ以上は望むべくもない」

 繋がれた手、指先にくちづけて、ガルシアは仄かに笑った。

 開かれた瞳の色は、月光のちる夜空の紺青。

「ねえ、ガルシアさん……おなか空かない?」

 からりと笑って、シルヴィアは繋いだ手を揺らす。

 娘の発言の意図を探るように、ガルシアは小首を傾げて「なぜ?」と、問い返した。

「お天気を思うとおりにするなんて、きっと、大変なことだから、おなか空くんじゃないかと思ったんだけど……違うのかしら?」

 なぜか顔を赤くして口籠もるシルヴィアに、ガルシアは「違わない」と応えた。

「な、なら……ごはんにしましょうよ。わたし……ガルシアさんの着て欲しい衣装を着るし……あと……その……文句言わないわよ? ……脱がされても……」

 消え入りそうな表情でうつむくシルヴィアの腰に腕を回し、ガルシアはすくい上げるようにシルヴィアを抱き上げる。

 そしてそのまま、きびすを返して開けたままになっている扉に向かった。

「嫌がる君を宥めすかして、思うようにするのもなかなか悪くない趣向ではあるのだがね。君が協力してくれるのなら、それはそれで楽しみではあるね……この際、自分で脱いでみるというのはどうだろう?」

 さらりと難易度の高いことを要求されて、「怒るわよ」と、シルヴィアは蜂蜜色の髪を逆立てる。

 以前アシエルの言っていた……甘やかすと調子に乗る……というのはどうやら間違いないようだ。

 シルヴィアに頼まれたときのまま、微動だにせず扉を押さえて待っていたアシエルが、ガルシアに抱きかかえられたまま扉をくぐるシルヴィアに「今回は僕だって結構頑張ったんだけどな……」と、呟いた。

 シルヴィアの耳に入るように……おおきめの声で。

 これ以上、なにをどうすればいいのか……とはいえ、たしかにアシエルさんも頑張ったのだから、彼だけなんにもなしというのも可哀想かと、シルヴィアは「は、はしっこでよければ構わないけど」と果敢にも応えてみせた。

 それが彼女の精一杯であることは、茹でた海老のように真っ赤な顔からも明らかだ。

 手の指とか、爪先くらいなら、舐められても……まあ、いいかな……。

 途端、駄目でもともと、ものは試し、言ってみるものだとこぶしを握りしめ、上機嫌に鼻歌を歌い始めるアシエル。

 そしてシルヴィアは気づかなかったが、そんなアシエルを「わきまえろ」とばかりに睨みつけるガルシア。

「あ、でもふたり一緒にっていうのはお願いだから止めてね。ごはんを食べるだけって分かってても、は、恥ずかしいから」

 ガルシアさんが食事するときには、いつも衣装を脱ぐことになるから……それをアシエルさんには見られたくない。

 ガルシアの長衣トーガに顔をうずめ、本音を可能な限り婉曲に表現して、シルヴィアは決死の覚悟で釘を刺す。

 しかし。

「恥ずかしがることないと思うな、シルヴィアさん」

 完爾と笑いながら、アシエルは言う。

 自分も扉をくぐり、長らく開けたままにしていたシルヴィアの部屋の扉を後ろ手に閉めれば、もう、彼らがさきほどまでペロポネソス半島にいた片鱗など消え失せてしまう。

「だって、シルヴィアさん、肌も柔らかくてしっとりすべすべだし、胸の形も綺麗だし、腰のあたりもこう、まろやかな感じで……大丈夫、だれにお見せになっても恥ずかしくありませんよ?」

 あっけらかんとしたアシエルの言葉に、シルヴィアは目の前が真っ暗になった。

「ど、どうしてそんなことアシエルさんが知ってるの……?」

「どうしてって……それはまあ、僕とガルシアさまが感覚を共有できるからで……最近はガルシアさま、ちっとも僕には見せてくださらなくなったんですけど、最初のうちは……」

 調子に乗って説明していたアシエルは、ガルシアの、いまにもくびり殺しそうな視線に気がついて口をつぐみ、後退あとじさった。

「……うん、まあ、そういうことで。僕の食事の件はなかったことにして……今夜は僕は早めにやすみますから。シルヴィアさんも……」

 ガルシアに背を向けるのがよほど怖いのか、後ろ手に扉を開け、強ばった笑みを貼り付けたまま、アシエルは逃げるように部屋を出る。

「ひどいわ……」

 呆然と涙ぐむシルヴィアを寝台に降ろして、ガルシアは、済まない、と、ばかりに言葉もなく、ただひたすらにあやし続ける。

 むろん、その夜の『食事会』がお流れになったことは……言うまでもなかった。

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