第25話 変化
変わらない。
ガルシアが告げたとおり、シルヴィアとガルシアの関係は変わらなかった。
すくなくとも、表面上は。
舟遊びの夜、なにごともなかったかのように屋敷に戻ってきたふたりを見て、意外そうな顔をしていたアシエルも、やはりこれまでどおりに、シルヴィアに接している。
けれど、ガルシアの真意を知ってしまったいまとなっては、意識せずにはいられない。
『ガルシアさんは、わたしのことを好きだという。では、わたし自身は?』
もちろん、嫌ってなどいない。
じつは人間じゃない、という根本的な問題さえ無視してしまえば、シルヴィアのことを女だ、若輩だと軽んじたりせずに約束したことは守ってくれるし、無体な目に遭わされるのは考えものだけれど嫌かと言うとそういうわけでもないし、お金持ちだし、なにより、なにがどうしてそうなったのかは分からないけれど、どうやら自分のことを真剣に想ってくれているようなのだ。
これまでの人生で面識のある男性のなかで、いちばん、好ましい相手だと言ってもいいかもしれない。
けれど彼と生涯をともにする覚悟があるのかと自問すれば、シルヴィアには答えが出せなかった。
『王妃の首飾りを受け取る』と言ってしまえば、おそらくは気の遠くなるほど永くなる『生涯』。
特段に信心深いわけではないけれど、天に
ガルシアのことを
家族を失い、神さまの御許に逝く資格を失い……ひととしてのいのちを喪うのだ。
簡単に決められることではない。
とはいえ、いまのところ彼女はここよりほかに、いる場所がないのだった。
すなわち、修道院から逃げ出して、実家に戻れない……その状態に変化はない。
だから、
それだけに、ガルシアの気持ちにどう応えてよいのか、わからない。
暖炉のそばで編み物をしているとき、ふと気がつけばかたわらで彼女の手捌きを眺めている、彼の優しいまなざしに。
そしてなにより、血を捧げる夜、
そう……寝台のうえ、彼のくちづけにとろりと微睡むように貧血しながら、耳に囁かれる言葉を聴いていると……どうすればよいのか分からなくなる。
「受け取ると……決めてくれても構わないんだよ」
官能の余韻に、気怠くちからの抜けたシルヴィアを抱き締め、まるで首飾りがそこにあるかのように、首筋に、胸元にくちづけながら、ガルシアは囁く。
「君がそう決めるなら、いまからでも、君をわたしとおなじものに変えるための儀式を始めよう。……大丈夫、かりそめの死は、夢見心地で迎えられる。心臓が止まっても、ちゃんと明日の夜には目を覚ますことができるよ。肌が冷たくなっても、君はきっと……変わらない」
シルヴィアの蜂蜜色の髪を指で梳きながら、夢見るように語るガルシアの言葉。
「君がおなかを空かさないように、君の飲み物はわたしが用意しよう。ムラノ島で蒼い
ときおり、首筋に氷の如くひやりと触れる鋭い牙。
手放すまいとするかのようにちからの籠もる
ひとのぬくもりに焦がれ、ひとの血に
けれど、シルヴィアは怖くはなかった。
ガルシアさんは、わたしの望まないことは、しない。
それは、信じられる。
根拠なんてひとつもなくても……それだけは。
「……恐ろしいことなどなにもないよ。寂しくもない。わたしとアシエルは、ずっと君のそばにいる。けっして君を独りにはしない。口にするものだとて、君の想像しているような味などしない。いま、わたしが味わっているのとおなじ……温かくて、素晴らしく甘い飲み物だから。……じきに慣れるよ」
そう言いながら、ガルシアは哀しげに笑うのだ。
「こんなふうに君を誘えば、優しい君は……きっと騙された振りをしてくれるのだろうね。ひとの血に餓えるあさましさに絶望しながら、わたしが望めば、幸せな振りをして笑ってもくれるだろう」
その傷ついて寂しげな表情に……シルヴィアは言葉を失ってしまう。
みずからの無力に傷つき、孤独の重みに寂しげな……その表情に。
「こちらへ来てはいけないよ、シルヴィア嬢。首飾りを受け取ってはいけない。わたしのいる夜の底、死者の牢獄は、君のいるべき場所ではないのだから」
ガルシアの切々とした囁きに……応える言葉が見つからない。
彼の気持ちにすこしでも寄り添えればと、彼の手のひらに自分の手を重ね、彼の頬に頬を寄せることしか、できない。
自身がどうしたいのかすら、思い定められないのだ。
ガルシア・アリスタのことを……憐れんでいるのか、哀しんでいるのか、それとも、愛しているのか……自分の気持ちが分からない。
それゆえにシルヴィアは、このすべてを棚上げにした現状から、身動きが取れずにいた。
自身の身の振り方も、自身の気持ちも、思うように定められぬ我が身に歯がゆさを覚えながら。
曖昧であるが故に責任を負うこともない、なにも決めない今がいちばん居心地がいい……そんな状況を許すガルシアに甘えることしかできない自分の卑怯さを恥じながら。
仮面祭が終わるまでは、このままで構わないのだと……ただそれだけを言い訳にして。
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