第24話 蒼き峰の王の告白

「シルヴィア嬢、今夜はわたしと舟遊びに出かけていただけませんか?」

 珍しく日が暮れるとともに起き出してきたガルシアに、そう、折り目正しく申し込まれて、シルヴィアは赤面した。

「もちろんいいわよ、ガルシアさん」

 以前から約束していたことだから意外ではないが、こうも改まって誘われると、気恥ずかしい。

 ガルシアは淡く微笑み、片膝をついて、シルヴィアの衣装の裾にくちづける。

「あ、あの? えと、そういうのは……こ、困る……」

 身分の高いひとびとの、承諾をしゃする作法だということくらいは、教会前の広場で演っている大道芸人の寸劇ドランマ・コルトで観たり、絵物語を読んだりして知っているが、知っているのと、実際にされるのとではわけが違う。

 シルヴィアは、今日ほど洗いざらしの普段着を着ていることを後悔したことはなかった。

 洗濯したてで清潔なのだけが救いだ。

 ガルシアの出で立ちはと言えば、裾の長い黒の長衣トーガはいつもの通りだが、肩に掛けた漆黒の外套の裾には金糸と銀糸で刺繍が施されており、外套の留め具は手のひらほどもある金細工で、それが彼の盛装であることを伺わせる。

 留め具の意匠は前足を上げてたける雄山羊、そして、外套の刺繍は鷹の翼と獅子の足を持つ王家の象徴、グリフォンだった。

 いつも身嗜みに関しては、見苦しくはないものの、そんなに細やかに気遣うようすもないガルシアが、背のなかばまである長い黒髪を、黒糸で編んだ透かし編みを細い金鎖で装飾した飾り布でまとめているところからして、彼のこの夜の意気込みのほどが知れようと言うものだ。

『まるで、逢い引きみたいね』

 シルヴィア以外のだれが、どう見ても「まるで」と「みたい」は余計なのだが、本人だけはいたって真面目に当惑した表情で、暖炉のそばで肘掛け椅子に座り、足置きに両足を投げ出すようにして気乗りなく本をめくっているアシエルのほうを見た。

 視線で「アシエルさんも行く?」と問うている。

 アシエルは深々と溜息を吐き、あいかわらずまったく面白くなさそうに、ぱらぱらと本をめくり続けながら、「おふたりでどうぞ」とだけ答えた。

 アシエルにしてみれば頼まれたって同伴したくないだろう。

「今夜は衣装が決まらなくて、出かけたくない気分なんですよ」

 そういうアシエルは胸に豪奢なひだ飾りのついた純白のブラウスに黒のズボン、腰には真紅のサッシュベルトを巻き、翼を持つ牡鹿ペリュトンのバックルで留めている。

 青い宝石のような瞳、耳許に揺れる血の色をした紅玉ルビノ、ゆるい巻き毛の黒髪がひたいにかかるさま……これ以上ないほど絵になっている。

 どこがどう「決まらない」のか、シルヴィアにはさっぱり分からないが、こればかりは本人の気分の問題だから、しかたないか、と三人で出かけることは諦めた。

 せっかくのお出かけなんだから、みんなで行けばきっと楽しいのに。

 もしかしたらいまの衣装に合う外套を持っていないと言いたいのかも知れない。

 わたしの衣装をあれこれ仕立てるのはもういいから、今度はアシエルさんの外套を選びに行きましょうって、言ってみるべきかしら。

 いろいろと的外れなことに思いを巡らせつつ、着ていく上着を選ぶために立ち上がった。

 わりといろいろなことに気を回せるくせに、こういう状況で彼の言う台詞が、見え透いた遁辞とんじである可能性には、まったく思い至らないのがシルヴィアらしい。

「白もいいですが、今夜は紫の衣装がいいかな。たしかありましたよね? こう……袖と裾に不凋花アスフォデルスの刺繍が入った」

 あるわよ、と、シルヴィアは頷いた。

「でも……あれは……さすがに」

 フランドル産の最高級の羅紗、衣装一着分を染めるのに、数万の巻き貝を必要とする高価な紫。

 伊太利亜イタリアでは法王や枢機卿の身につける色だ。

 法王の身につけるものなら何度も染色を重ねて紫を濃くするものだが、シルヴィアの持っているものは純白とも深紅とも言われる不死の花の刺繍を際立たせる薄紫にするために、重ね染めはしていない。

 それでも生地だけでいくらお金がかかったのか……想像するだに恐ろしくていまだに袖を通せず、衣装箪笥ガルダローバに仕舞われたままだった。

 だいたい、紫など高位の聖職者やビザンツ皇帝しか着ないのだ。

 皇帝の王冠から法王の十字架まで……金さえ積めばなんでも手に入ると囁かれる交易都市……威尼斯ヴェネツィアならではの一着だが、身分違いもいいところだろう。

「ああ、あれなら今夜の月によく映える」

 あの衣装はさすがに街中では着られない……シルヴィアの逡巡などお構いなしに、ガルシアはアシエルの提案に頷いた。

「大丈夫ですよ、シルヴィアさん。ほら、雪兎の毛皮で作った外套があったでしょう? 舟に乗るまで、あれを着てたら、なかの衣装が紫だろうが深紅だろうが、全裸だって分かりませんから」

 そう言って、ぱたんと本を閉じ、椅子を立って、シルヴィアの着替えの邪魔をしてはいけないと部屋を出ていくアシエル。

「でも、潮風に当てたら生地が傷んでしまうわ」

「形あるものはいずれ朽ちてゆくものだよ。せっかく作った似合う衣装を着ないのはもったいない」

 と、ガルシアがシルヴィアの意見に異論を唱えた。

 似合うかどうかはシルヴィアにはよく分からないが、ほかの点については正論過ぎて言葉もない。

 けれど……ひとさまに買って貰った高価な衣装を潮風に当てるなんて……

 いまだに彼らの金銭感覚についてゆけないシルヴィアは、溜息を吐いた。

「それにね、生地が傷んでも色が褪せても、衣装ならいくらでも新しいのを進呈しよう。だから気にすることはない。次は……濃い蒼に染めた生地に金剛石ディアマンテを飾ってみるのはどうだろう? 夜の女王、月の女神のような君も、きっと美しいだろうね」

「い、要りません! 生地が傷んだって色が褪せたって、鉤裂きができたって、繕えば着られるんですから!」

 これ以上、衣装箪笥をいっぱいにされたら、それにかかったお金のことを考えるだけで心臓が止まってしまいそうだと、アシエルに続いて部屋を出るガルシアに、シルヴィアは蜂蜜色の巻き毛を逆立てた。

 風の凪いだ穏やかな夜だった。

 星が瞬いていた。

 その瞬きに、娘は夢を託していたかつての自分を思い出す。

 温かなはしばみの瞳を星のようにきらきらさせながら、夜空の見える窓辺で、いつか商人として遙かな異邦に旅立つ日のことを思い描いていた自分を。

 満ちた月の光が運河を満たし、その光に煌めく穏やかな波が船縁を打つ。

 それは、夜のとばりに抱かれた陽の雫が、水路に滴ったかのような輝き。

 ゴンドラはアドリア海の海波が遠くに打ち寄せる音を子守歌のように聴きながら、穏やかな運河を、滑るように進んでゆく。

 リアルト橋をくぐり、大運河カナル・グランデの両脇に建てられた数多くの大商人たちの屋敷を通り過ぎて、聖マルコ大聖堂の見える岸ちかくで、泊まった。

 鏡の上を滑ってゆくかのような小舟の客席に腰掛け、娘は思う。

 そう……いつでも、星は瞬いてた。

 どんなに頑張っても、女は商人になれないと知った夜も、持参金が足りなくて修道院へ行ってくれと父に告げられた夜も。

 泣きたいのを我慢して、「それでも、生きている限りわたしの人生は続いていくの」と自分の部屋の窓から見上げた星空。

 夢を見ていた夜、夢破れた夜、どちらの星空ともおなじ空。

 でも、今夜はすこしだけ違って見える……

 一月の、秘めやかな夜風が水面を吹き渡る。

 その風は優しくはあっても娘の身を芯から凍えさせるようで、娘は外套の襟を掻き合わせた。

 ゴンドラの櫂を櫂留め《フォルコラ》に置いたガルシアが、シルヴィアの横に腰掛けて、自身の黒の外套でくるむように肩を抱く。

 舟の片側に重心が寄れば、小舟は不安定になるものだが……微塵も揺れることなく浮かんでいるのは、ガルシアの魔法かも知れない。

 温かい、そう、シルヴィアは感じる。

 たとえガルシアさんの身体にひとのぬくもりがなかったとしても、この気遣いは……たしかに温かい。

 そうね、と、シルヴィアはいまさらながらに納得した。

 今日の夜空がすこしだけ違って見えるのは、寒くても、哀しくても、ひとりじゃないのが分かっているから。

「ガルシアさん」

 シルヴィアは、彼女のかたわらで、言葉もなく肩を抱いているガルシアを見上げて言った。

 声は立てず、口の端に微笑を浮かべて、ガルシアは応える。

「まえにガルシアさんの国の話を聞いて……わたし、ガルシアさんの国の女の人が、羨ましかったのよ。浅はかだって、笑わないでね? でも、男の人とおなじように働いて、男の人とおなじように戦って……きっと、みんな自分に誇りを持って人生を終えられたに違いないわ、って思ったら……羨ましいなって」

 ガルシアは口を挟むことなく、シルヴィアの言葉に耳を傾けていた。

「わたし、子どものころには商人になりたかったの。だから、男の子に混じって昼の教会に行って、神父さまに読み書きと計算を習ったわ。男の子と一緒になんて、はしたないって両親に禁止されてからは、こっそりヘルメス君のおじいさんに習ったり……父のお店の隅っこで、帳簿とにらめっこしながら複式簿記も憶えたのよ。あと、商人の修行期間には船乗りにならなくちゃいけないから、いざというときに困らないように泳ぐ練習もしたわね」

「ああ、それで」

 それまでひとこともなく話を聞いていたガルシアが、思い当たることがあるように、はは、と笑った。

「泳ぎにくい服を着て、ずいぶん上手に立ち泳ぎするものだと感心していた……君に出会った夜にね」

 なんのことかと思案することしばし……シルヴィアは「そ、そうね」と頬を赤らめて俯いた。

 ガルシアに会った夜、首筋にくちづけられそうになって……逃げだそうとしたシルヴィアはゴンドラから落ちたのだ。

 あの夜から……自分はすこしだけ、変わったような気がする。

 なにが変わったのかは上手く言えなかったが。

 気を取り直して海のほうを見遣ると、水平線の向こうに、いくつも船の灯りが見えた。

 沖合に停泊して、アドリア海を監視している威尼斯政庁の軍船かも知れない。

 年の暮れにヘルメス少年が屋敷に来たとき言っていた、ちかく熱那ジェノヴァの侵攻があるのではないかという、まことしやかなうわさ……あながち、うわさではないのかもしれない。

 ただ、いまはいつもよりおおく輝くその軍船の灯りが、海に落ちてきた星のようで美しかった。

「自分なりに一生懸命、商人になろうと努力してみたけど、結局、役には立たなかった。仕方ないわよね、女は船乗りになれないし、若いころに船に乗って修行しなくちゃ、この国じゃ、ろくな商人にはなれないし。だいたい、女が就ける職業なんて、数えるほどしかないのよ。それで、『子どものころの夢』にはあっさり挫折したし、遅まきながら花嫁修業をはじめてみたはいいものの……これもねえ……」

 炊事洗濯掃除、裁縫と家計のやり繰り、人一倍、身を入れて修行したつもりだったが……人生とはままならないものだ。

「だから、ガルシアさんの国の女の人が羨ましいと思ったのよ。自分の役割があって、勇ましくて……優しくて。でも、羨ましがってちゃ駄目よね。きっと、わたしにだってできることがあるんだと思って頑張らないと。適齢期は逃してても、まだ二十一なんだし、人生に挫けるにはまだちょっと若い気がしてるのよ」

 からりとした笑顔で、シルヴィアは言った。

「そんなふうに思えたのは、きっとガルシアさんのおかげね。上手く言えないけど……わたし、いろいろ上手くいかなくて、すこし疲れてたんだと思うわ。でも、ガルシアさんによくして貰って、昔、いろんなことを夢見てたころみたいに元気になれたかなって思うのよ」

 まったくかなわない……ガルシアは目を細め、腰の剣帯に、剣のかわりに下げていた革袋から箱をひとつ取り出した。

 それなりに幅のある、平たい箱。

 シルヴィアはその箱を、どこかで見たことがあった。

「……わたしは、これを……君に身につけて欲しいと思っている」

 シルヴィアの膝に箱を置き、片手で器用に鍵を開けてガルシアは言った。

 箱のなかには、いつか見た首飾りが入っていた。

 大小、千を超えるであろう黄金輝石を幾重にも編んで作った首飾り。

 いまにも切れそうだった石を繋げている糸を換え、歳月にくすんだ石を磨き上げて光り輝く……装身具。

 記憶とひとつだけ違うのは、胸のいちばん目立つところにひとつ大粒の真珠が塡め込まれているところだろう。

 アドリア海の真珠……そう呼ばれることもある威尼斯を表すかのように。

 月の光に柔らかに輝く、淡く朱の入った、あたたかな白。

「これが、君。威尼斯で生まれて育った海の石。……ほんとうは、この首飾りは、持ち主が変わるごとに繋ぎの糸だけ換えて、石の配列と数には手を加えずに子孫に伝える義務がアリスタ王家の当主には、あるのだけれどね。この首飾りを使うのはわたしの代で終わりだろうから」

「これは……あの、王妃さまの首飾りじゃ……」

 心底、困惑したようにシルヴィアはガルシアを見詰めて言った。

 その言葉に、ガルシアはほっと息を吐く。

「知っているなら良かった。これの意味合いをいまからどう説明すべきか、頭を悩ませていたのでね。……そう、これはアリスタ正妃の身につけるべき装身具。君の白い肌によく似合う」

 首飾りの石とおなじ澄み切った紺青の色を瞳に宿して、ガルシアは柔らかく笑う。

 哀しくて、寂しい……その微笑。

 シルヴィアの肩を抱く腕にちからが籠もった。

 そして……シルヴィアは悟る。

 これは、たぶん『お別れの挨拶』なのだ。

 愛の告白であり、結婚の申し込みでありながら。

 どうして、そうなるのかは分からなくても……彼の微笑は、シルヴィアに告げていた。

 ガルシアとシルヴィアの、曖昧な関係がほどなく終わってしまう……そのことを。

 凪の運河は月の光を受けて、光り輝く黄金の道のようだった。

 天上から下界を見おろせば、今夜の威尼斯は、金のルチルが縦横に煌めく黄金輝石のように見えるかもしれない。

 壮麗な聖マルコ教会も、高い塔を持つ元首宮殿パラッツィオ・ドゥカーレも、運河の輝きのなか、背景の闇に沈んでいる。

 シルヴィアは口を開きかけて、そのくちびるを塞がれた。

 触れられたのは、瞬きひとつほど。

 シルヴィアを味わうガルシアのくちびるは、彼の指先とおなじように冷たく、彼の瞳とおなじように……哀しい。

「わたしはこころから、君に、この首飾りを捧げたい。二百年も前に……本来ならば死すべき運命にあったわたしが、ひとを辞めたことで君に逢えたのなら、わたしの愚かな選択にも、そのあとに続く二百年の無為な時間にも意味があった」

 ガルシアは空いた手でシルヴィアの手を取って、引き寄せる。

 鮮やかな紫に咲く、純白の不凋花アスフォデルス

引き寄せられた指先が、ガルシアの頬に触れた。

 傷ついて、寂しげな微笑を刻む、その冷ややかな頬に。

『……その表情は……反則だと思うわ。ほんとに……困るんだから』

 こちらの都合などお構いなしに告白されて、不意打ちでくちづけを奪われて、もうすこしなんとかならないのかと苦情のひとつも言いたいというのに、結局、なにも言えなくなるではないか。

「けれどもシルヴィア嬢……君はこの首飾りを、受け取ってはいけない。君が、ひとでありつづけたいなら……ね」

 祈るように閉じられた瞳、掠れた声で囁かれたガルシアの言葉に、シルヴィアは目を見開いた。

 その瞳に、当惑を映して。

「君がこれを受け取ってしまったら、わたしは君との約束を守れなくなる」

 淡々とした声音。

 けれど、シルヴィアの手を取るガルシアの手は、微かに震えていた。

 そのこころの動揺を映すかのように、シルヴィアの耳に揺れる黄金輝石が、きり、と幽かに音を立てる。

「わたしは、君の魂が持つ白い翼……君が永遠の眠りについたあとで、神の御許へゆくための恩寵をこの手で引き裂いて、君を永遠に抱き締めていたい。君の首筋に牙を立て、ひととしてのいのちを奪い尽くして、君の魂をわたしの呪いに染めてしまえるなら、わたしはどれほどの安らぎを手に入れられることだろう。わたしが君に与えることができるのは、ときに取り残されていく喪失感と、永劫に満たされることのない血の渇き……それだけでしかないというのに。君がこの首飾りを身につけるなら、わたしは君をわたしとおなじ死者の牢獄に閉じ込めてしまうよ。それで君が幸せになれるはずもないことくらい、百も承知のうえでね」

 自嘲気味にわらうガルシアの口許は、哀しげに歪んでいた。

「だから、君はこの首飾りを受け取ってはいけない」

 ガルシアはシルヴィアを抱き寄せ、頬を重ねる。

 首飾りの箱がシルヴィアの膝から舟底に敷かれた板に落ちたが、それにも構わなかった。

「『受け取らない』、そう君がわたしに告げるなら、それがわたしたちの別れのときになる。それはいますぐでも構わないし、さきでもいい。わたしはいつでも、『そのとき』を受け入れよう。けれど、そのときが来るまでは……わたしたちは、いままでどおりだ。屋敷に住む代わりに、君はわたしに血を提供する。わたしは君の魂を汚さない……そう、最初の契約の通りに……なにひとつ変わることはない」

 『そのとき』を決めるのは君だ、と、ガルシアは娘の耳に囁く。

 どこか夢を見ているような声音だった。

 淡々と……救いのない悪夢を、たったひとりで見続けているような。

 いま、腕のなかにあるぬくもりが、彼の救いになるはずだった。

 ……無垢な魂をひとつ、彼の悪夢に引きずり込み、みずからがひとびとの夜の眠りをおとなう『悪夢』になる覚悟をさせることができるなら。

 ガルシアには、できなかったのだ。

 二百年、彼にとっては身に馴染んだ血染めの牢獄に、娘をいざなうことも、ただ、黙って彼女に別れを告げることも。

「……ずるいわ」

 困惑を隠そうともせずにシルヴィアは呟いた。

 だって、そうじゃない。

 勝手に告白して、受け入れるなって勝手に決めて、それで、いつお別れするか……その時期だけわたしが決めるだなんて。

「わたしはこれで二百年以上存在し続けている……狡猾な人外ひとでなしだからね」

 そう、乾いた声で笑うガルシアの頭を抱いて、シルヴィアは溜息を吐いた。

「でも……そうね、しばらくは、このままね」

 シルヴィアはりきみの抜けた声で、そう言った。

 ガルシアがわずかに身を離し、シルヴィアを見る。

「だって、約束があるでしょう?」

 舟底に落ちた箱を拾い、留め金で箱の内絹に留めてある首飾りを綺麗に飾り直して、シルヴィアは箱の蓋を閉じた。

 落とさないように自分の座っている座椅子の脇に立てかける。

「ほら、二月の仮面祭カルネヴァーレよ。案内するって、約束したわ。だから、すくなくとも……それが終わるまでは……ね?」

 それでいいでしょう?

 そう訴えかけるように微笑むシルヴィアのくちびるに、ガルシアのくちびるが重なる。

 シルヴィアは抗わなかった。

 処女おとめの恥じらいに頬を染め、逞しい青年の腕のちからに安らぎを覚えながら、求められるままに、ガルシアが自分を味わうのを許し続ける。

 金の花咲き乱れるが如き運河にたゆたいながら、ふたりの影はいつまでも寄り添いあっていた。

 まるで……想いの通じ合った、恋人たちのように。

 いつまでも。

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