第20話 錬金術師の提言

「ごめんなさいね、ヘルメス君にまで心配させちゃって」

 こんこんと咳をしながら、ぐったりと寝台に身を横たえて、シルヴィアは見舞いに来たていのヘルメス少年に詫びた。

 熱のせいで顔が赤い。

 少年は、シルヴィアの手首の脈を測り、ひたいに手を当てて熱を確かめ、ようすを確認、ほっと胸をなで下ろす。

 具合はたしかに悪そうだが、予想を超えるような深刻な病気ではないと判断したのだろう。

 てきぱきと、部屋の湿気を保つために暖炉の炎からすこし離れた場所に水の入った鍋をかけたり、欲しいときにすぐに飲めるように枕元に水を用意したり、よく霜に当てて甘くした西洋花梨メドラーの実を剥いて皿に盛ったりと、ひととおり病人の世話を焼いてから、持参した水薬を飲ませた。

「儂の作った薬じゃからの、効き目は保証付きじゃ。咳はしばらくすれば止まるからの、そうしたらよく眠れるじゃろ。ゆっくりとおやすみ。薬は、明日も朝昼夜と、食事のあとに飲むがよかろうて」

 シルヴィアは少年の言葉に殊勝な面持ちで頷き、美味しそうに西洋花梨を一切れ囓ってから、「おやすみなさい」と毛布と上掛けを被って目を閉じた。

 少年は寝台の天蓋の幕を下ろし……気もそぞろな面持ちの青年ふたりに向き直る。

 寝台のほうから、咳が聞こえてくるが、こころなしかシルヴィアの呼吸は穏やかになってきてるようだった。

「言っておくが、嬢ちゃんはただの風邪じゃよ」

 大の男が風邪ぐらいでおたおたしおって、ぬしら、二百年間なにを学んできたんじゃ、とでも言いたげな、うんざりしたまなざしでふたりをめつける。

「とはいえ、風邪は万病のもとと言うからの。しばらくは無理をさせてはならん」

 少年の言葉に、ガルシアが頷いた。

「さっきの薬は?」

 アシエルが問う。

「あれは咳止めじゃよ。いまの嬢ちゃんには眠ることがいちばんの薬じゃから、身体に負担のかからぬ程度に眠り薬も加えてある。よく眠って身体を休めれば、熱はおのずと下がってくるじゃろ。儂の国で使われておった、いまこの世界にはない『逸失技術テクノロジア ディ ペルディータ』で精製したものじゃ。ちまたに出回っとる薬よりは速く効くぞ」

 ぬしら、歳のわりにやることが大人げないからの、出し惜しみはなしじゃ、と、溜息を吐く、少年。

「で、つかぬことを訊くが……嬢ちゃんが本復ほんぷくするまで、嬢ちゃんの食事の世話はだれがするのかの?」

 ヘルメス少年の言葉に、アシエルが目をぱちくりさせ……ガルシアが眉根に皺を寄せた。

「まさか、熱のある嬢ちゃんを底冷えする台所に立たせたり、冷えた汁物や固い麺麭ぱんばかり食べさせようと言うのかの?」

「そうは言っても夜ならともかく……昼間は僕ら、たいしたことできませんしね? ガルシアさま」

 仕方がないですよね、と、目で訴えながら、アシエルはガルシアに同意を求めた。

「ヘルメス王。提案があるなら、聴こう」

 ガルシアはアシエルの視線を一顧だにしない。

 少年の問いかけに込められた含みに対するものか、口の端に浮かぶ幽かな微笑。

「儂の人形を貸してやろうかと思っての。儂の専門は生命の創造と転生の秘術じゃからの、少々、無愛想じゃが仕事はできるぞ。それに、余計なことは考えんから、ぬしら、正体がばれんように気遣う苦労もない」

「それは有り難い申し出だが……その代価は?」

「黄金輝石を、分けてくれんかの?」

 少年の翠玉の瞳が煌めく。

「錬金術の触媒に使う、なかなか便利な鉱石じゃったんじゃがの、ぬしがの地を離れてから……突如、鉱脈が枯れ果てた。儂の知る限り、あの石を産出する鉱山はほかにない。儂の知り合いが山に入って方々探したが、すでに掘り出されて市場に出回っておるものを除けば、ひとかけらも見つけられんかった」

 魔除けの霊石として知られる黄金輝石。

 蒼き峰……ガルシア・アリスタの王国を象徴する石は、錬金術にとっては要石かなめいしのひとつであるらしい。

 ガルシアが開いた右手を、握手を求めるかのように少年の眼前に突きだした。

 おもむろに手のひらを握りしめる。

「いくらでも」

 ふたたび開かれた手のひらから溢れて、星の如く床に零れる黄金輝石の煌めき。

紅玉ルビノでも、水晶でも、塩でも、明礬みょうばんでも、多少、質は落ちますが金銀でも……望むままに。我が王国が産み出せたものならば」

「やはりの」

 少年は、ガルシアがやって見せた『手品』に溜息を吐いた。

「ぬしが取り込んでおったか」

「『蒼き峰』の富は、すべてわたしと我が民のもの。蒼天を駆ける誇り高き山羊のむべき青草を、厚顔魯鈍な羊の群れの好きにさせるなど、許されることではないのですよ」

 穏やかであるが故にひときわ傲岸さの滲む声音でガルシアは言い、優雅に笑って見せる。

「……ごうの深いことじゃの」

 やれやれとばかりに少年が肩を竦めた。

「それはお互いさまと言うものですよ」

 涼しげな表情で、ガルシアは少年の呟きを受け流す。

「たしかにの」

 ヘルメス・トリスメギストス……この世でもっとも年老いた少年が、その秘されたまことよわいにふさわしい、老いた声で呟いた。

「儂もまた……諦めきれん。一夜にして海に沈んだ、儂の民の再興を。長い歳月をかけて肉体の再生には手が届き、儂自身の転生などお手のもの。しかし……儂の民草の魂の復活は、いまだ道なかばというところじゃ」

 少年の言葉は、独白だった。

 だれに聞かせるわけでもない……溜息の如き独白。

「ともあれ、ぬしの持つ黄金輝石があれば、儂の研究も、ちと進むじゃろう」

 少年がゆるゆると頭を横に振りながら独白を締めくくったそのとき、不意に寝台から声がした。

「……ガルシアさん……」

 囁くように……溜息のように……ガルシアの名を呼ぶシルヴィアの声。

 咳は止まったようだったが……薬の効果による眠りのふちで、熱から来る悪寒に、心細さを覚えたのだろうか。

 少年は苦い笑みを頬に刻んだ。

「そういえば、病人の世話にはまるで役に立たんぬしらにもできる、うってつけの仕事があるぞ」

 シルヴィアの譫言うわごとに、なにをどうするべきか……うわべは落ち着いているように取り繕いつつ、しかしながら繕いきれずにそわそわしているのが傍目はためにも分かる青年ふたりに、意地の悪い表情を浮かべるヘルメス少年。

 大の男が小娘の一挙一動におろおろしおって、見苦しい……そう、顔に書いてある。

 が、少年のその皮肉めいた言動すら咎めだてる余裕がないのか……ガルシアとアシエルの、少年の次の言葉をひとことも聞き逃すまいとする、縋るようなまなざし。

 いまなら、『病気を治すのに効果があるから屋根の上で一晩逆立ちしていろ』と言えば、その通りやりかねない。

 少年は、こほん、と咳払いをひとつして、澄ました顔で青年たちに提言した。

「ぬしら、死人でひんやりしておるからの。氷嚢代わりに、添い寝でもしてやるがよかろうて」

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