第五話 ママのひみつ
「月海ちゃん、起きてください」
おばあちゃんがドアをノックする音が聞こえる。
「お、おはよう」
そう言って、寝ぼげまなこの目をこする。
頭上の丸い窓から、木漏れ日が降り注いでいる。床に反射した太陽の光はキラキラと輝いている。家の前の海に降り注ぐ太陽の光も、こんな感じだったっけ。そんなことを思いながら、置き時計を見る。
十時二十七分をさしている。おっといけない、もうこんな時間だ。
急いで階下へと駆け下りる。
「おばあちゃん、おはよう」
「おはよう、月海ちゃん。やっと起きたようね」
コーヒーの良い香りと、トーストの香ばしい香りが漂う。
「私、寝坊しちゃったみたい」
「急ぐ必要はありませんよ。ゆっくりしていけば良いんです」
そう言って、おばあちゃんはこんがりと焼いたバタートーストと、ミルクを出してくれた。
「今日は、これから黒紅の通りへ行って、おうちへ帰るでしょう?」
「うん」
「お母さんと初めて、魔界の話ができますね」
「それが、とっても楽しみなの。黒猫とハリネズミのこと、ミス・カポネのこと、おばあちゃんのことなど、話したいことがたくさんあるよ」
「月海ちゃんの魔界デビューですものね。お母さんも話を聞くのを首を長くして待っていると思いますよ」
朝食を食べ終わったら、二人で後片付けをして、畑の野菜やお花に水やりをした。かかしがまたまた話しかけてきた。
「やあ、おばあちゃんの料理はどうだったかい?」
「とってもおいしかった。ここの野菜も、すごくフレッシュでおいしかったよ」
「おお、それは良かった。また来るんだよ。その時には新しい野菜が生っているよ」
そう言って、かかしが送り出してくれた。
おばあちゃんがくれた黒いローブに身を包み、身支度を済ませると、帰り道についておばあちゃんから提案があった。
「帰り道は、ここの鏡から帰りましょう。この鏡の前に立って、行きたいところ、つまりミス・カポネの店を思い浮かべながら、人差し指を当てるのです」
月海は、二階のおばあちゃんの部屋にかけられた、ピンク色の鏡の前に立っていた。おばあちゃんからもらった黒いローブに身を包み、手にはハリネズミと月の石をもち、隣には黒猫がぴったりとくっついている。
「おばあちゃん、それじゃあ、帰ります。おばあちゃんと会えて、本当に良かったよ」
「私も、こんなに可愛い孫に会えて、うれしかったですよ。またすぐに会いましょう。月海ちゃんが次に来た時に、レストランでどんなお客さんに会えるかは、その時のお楽しみですね」
「うん。じゃあおばあちゃん、またね。大好きよ」
「それじゃあ、また。ミス・カポネとお母さんによろしくね」
それを聞いて、月海は鏡に人差し指をあてた。また、時空がゆがむ音ーー。それとともに、目の前の光景は消えていった。今度は、鏡を通ることが怖くもなかったし、緊張することもなかった。
ふと気がつくと、ミス・カポネの店の洋服だんすの部屋の鏡の前に立っていた。黒猫とハリネズミもちゃんとついてきている。
「ミス・カポネー!今、着きましたー!」
少し大きな声で、呼んでみる。すると、ミス・カポネはすぐにたんすの部屋に飛んできた。
「おや、まあ。おかえりなさい。おばあちゃんはどうだった?」
「おばあちゃんに会えました。とってもすてきなおばあちゃんで、レストランを営んでいるみたいです」
「そうそう、あそこのレストランにはおもしろいお客さんがたくさん来るんだよ。しばらく魔界に来て、あそこへ通ってみるのが良い。お茶でも飲んでおゆき」
そう言って、ミス・カポネはまた黄金色のお茶を出してくれた。今度は湯気が、魚やイルカ、サメの形になってホワホワと消えていく。
「今度は水族館じゃよ」
そう言って、ミス・カポネはいたずらっぽく笑う。
「月の石はどうだった?役に立ったかね?」
「はい、とっても。あかがねの森に降り立った時、おばあちゃんの家まで導いてくれたんです。でも、カラスに追われちゃって……」
そこから始まって、月海はおばあちゃんの家で見たこと、聞いたことを洗いざらい話した。黄金色のお茶はすっかり冷めてしまった。
「なあに、あんた一人前にしっかり楽しんできたんじゃないの。心配することもなかったねえ」
ミス・カポネは、とても満足そうに微笑んだ。
ミス・カポネにお礼を言って店を出ると、月海はまっすぐに不思議をつくるお店へ向かった。黒紅の通りでゆっくり買い物をしたい気もしたが、今日は早くお母さんに会って魔界の話をしたい。不思議をつくるお店を見つけ、ドアを開けると、周りの光景が、ぐにゃりと曲がっていく感覚があった。また時空がゆがみ、今度は魔界から人間界へワープしたようだーー。そして、月海は魔界へくる前にいた場所ー不思議をつくるおじいさんの店に立っていた。おじいさんは、杖をついて月海をじっと見ている。
「こんにちは、魔界へ行ってきました」
「まじないは効いたかね?」
「ええ。おじいさんが粉を振りかけてくれたじゃない?その後に、見える景色が変わったの!れんが造り街の光景が広がっていて、そこを馬車が走っていたわ」
「やはり君は魔女だったのか。今日から、こちらの世界とあちらの世界ー二つの世界が君を待っている。どちらを選ぶのかも君次第。ここは不思議に満ちた二つの世界の狭間の店だから」
「あなたも、もしかして『渡り人』なの?」
「そうとも言える」
「もしかして、おばあちゃんの店には行ったことある?木の家で、レストランを営んでるの」
「ああ、よく行くよ。あそこには『渡り人』が多く集まる。君は、店主の孫じゃの?」
「そうなの。さっき、おばあちゃんに会ってきたところ。これから、人間界の家に帰るのよ」
ふと見ると、黒猫とハリネズミが、√とト音記号に戻ってぷかぷかと店に浮いている。
「黒猫とハリネズミは、ここで自由気ままに漂いたいんじゃ。おつかれさん」
「じゃあ、いったん猫ちゃんとハリネズミとは、ここでお別れね。でも、またすぐに来るわ」
そう言って、月海は店を後にした。少し歩いて立てかけておいた自転車にまたがると、ひとっ飛びで家に向かった。
「おかえりなさーい」
もう時刻は夕方の五時を過ぎており、ピンク色の夕暮れにデコレーションされた空が広がっている。家の前に広がる道路は、帰宅ラッシュで混雑している時間帯だ。車のヘッドライトが光る夕暮れの道路も、幻想的でなかなか美しい。
「お、月ちゃんおかえり!」
メーテル・マーテルで働くかっちゃんが、月海を迎え入れる。
「お母さん、月ちゃん帰ってきたよー」
厨房にそう呼びかけると、お母さんがいそいそと厨房から出てきた。
「月海、おかえり。どうだった?おばあちゃんは」
「えへへー。おばあちゃんと仲良くなったよ」
「その調子だと、パンのお届けはうまくいったみたいね。本当に良かった。店がクローズしたら、ゆっくりお話しを聞くわ。お腹すいてない?クリームパフ食べて少し待っててね」
「うん、ぺこぺこー。お昼まだ食べてないの」
そう言って、月海はクリームパフを持って、メーテル・マーテルの二階にある自分の部屋に上がっていった。そういえば、お母さんには、どこから話そう?お母さんは、魔女の血を引いている。今までそれを、私には言えなかった。でも、私はもうお母さんのひみつを全て知ってしまった……。お母さんに魔界のことを話すのを楽しみにしていたが、いざとなると急にそわそわしてきた。そんな風に待っていると、閉店の七時になった。
お母さんとかっちゃんが、店を早々と切り上げ、夕食の時間だと声をかけてくれた。月海は、おそるおそる食卓につく。いつもどおりに並んだご飯。質素だが、栄養満点のお母さんのお手製のご飯。でも今日は、なんとなく緊張してしまって、胸が波打つ。それに、今日はかっちゃんも一緒だ。魔界の話をかっちゃんの前でしても良いのだろうか?お母さんは、いたってふつうに食事の用意をし、席についた。
「で、おばあちゃんにパンは届けられたの?」
ご飯をよそおいながら、お母さんがさりげなく聞いてきた。
「うん、喜んでいたよ」
「魔界へ行ったの?」
お母さんはまたしてもさりげなく聞いてきたが、魔界という言葉を聞いて、お箸とお茶碗をもつ手が止まってしまった。
「お母さん、かっちゃんもいるよ……」
「大丈夫よ。かっちゃんも、魔女の血をひいているから」
「え、えええ?!かっちゃんも魔界の人だったの?てことは、ここは魔女のパン屋さん?」
「はは、そういうことになるな」
かっちゃんは、愉快そうにそう笑った。
「どうして、言ってくれなかったの〜。って、言えないか。十三歳になるまでは」
「そうなのよ。ずっと話したくて、仕方がなかったけど、それは魔界のルールで話せなかったの。ごめんね、月海。」
「うん……なんだか複雑だけど、事情はわかるよ」
月海はゆっくりとご飯を飲み込んだ。
「これからは話せるから、なんでも聞いて。ね、月海?」
お母さんは月海の手をとった。
「お母さんも、魔界へ行ってるの?」
「お母さんは昔から、月に何度か遠出する時があったでしょう?それはたいてい魔界に行ってたのよ。おばあちゃんに会いに行ったり、パンにいれる調味料を買いに行ったり。おばあちゃんに会うたびに、二人を会わせてあげられないことに胸が痛んだわ」
「お母さんは、妖精を見たことがある?」
「あるわよ。妖精とお話ししたこともあるわ」
「え、妖精って一緒に話せるの?」
「心を通わせるとできるようになるのよ。それにはちょっとしたコツがいるわ。今度、一緒に行って教えてあげる」
「うーん、楽しみ!」
「黒いローブは持っている?今、流行っているみたいなの」
「持ってるわよ。こないだ、黒紅の通りで買ってきた。「メルクレール」っていうブランドが流行ってるんだよね」
「お!メルクレールのローブなら、俺もゲットしたよ。値段は張ったけど、あれは一張羅なんだ」とかっちゃんが話に加わってきた。
「他にも、魔界の流行というと、真珠茶(パールティ)が流行ってるよな。こっちでいうタピオカティーみたいな」
「え、タピオカが真珠なの」
「白いタピオカなんだ。真珠色みたいだから、パールティって呼ばれてる」
「へえ〜魔界にもいろいろな流行があるんだ。また早く黒紅の通りに行きたいなあ」
「黒紅の通りは、魔界の流行の最先端だからね」とかっちゃん。
「でも、こんなふうに月海を交えて、魔界の話ができる日がくるとは、なんだか新鮮」お母さんが、嬉しそうに目を細める。
「お母さん、最後に教えて」
月海は改まってお母さんに向き合った。
「お母さんは、どうして、魔界ではなく人間界に暮らすことにしたの」
お母さんは一瞬間を置いてから、こんなふうに答えた。
「お父さんのことが好きだったの」
「え、十四歳の時からお父さんと知り合ってたの」
「ええ。お父さんとはずっと前から知り合いよ」
「でも、じゃあ、お父さんとはなんで別れちゃったの」
「それは……お父さんが私が魔女だということを、受け入れられなかったから」
お母さんは、言葉を選びながらゆっくりとそう答えた。
気まずい沈黙が流れる。
「お母さん、私もう一度お父さんに会いたい」
「それは、できないわ。お父さんは私たちと縁を切っちゃったから。お父さんは、魔法とか、非現実な出来事が大嫌いなの」
「そんな……それが、お父さんが私たちから離れた理由だったの。でも、悲しいね。だって、お母さんはお父さんのために人間界で生きることを選んだのに、そのお父さんはお母さんが魔女だと知って、離れていくなんて」
「そうなんだよな……」
かっちゃんが、腕をくんで頷く。
「ま、今日のところはこれくらいにしておきましょ。月海が、魔界で楽しい時間を過ごせたことがわかってよかった。また、一緒に行きましょうね」
お母さんは、この話を切り上げたいのか、話をまとめあげた。
「三人で、黒紅の通りに行ってもいいな」
かっちゃんもそれに続く。月海も、うんうん、と言って、お父さんの話はこれで終わりにした。
夜ーー。月海は疲れているはずなのに、ベッドに入ってもなかなか眠れなかった。お母さんのひみつ。お母さんも自分も魔女だったということには驚いたけれど、お父さんがそれが原因で私たちから離れていったことは知らなかった。それに、かっちゃんにも魔女の血が流れていたなんて。魔女って、人間界にも意外に潜んでいるのかもしれない。クラスメイトにも魔女が何人かいたりして。いるんじゃないかな。そんなことを考えていたら、うつらうつらしてきた。世界は不思議で奥深いーー。
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