第四話 魔女の家

 月海が鏡からワーブして、降り立った場所は、太陽の光が燦々と差し込む明るい森だった。小川が流れるせせらぎの音が聞こえる。ホー、ホケキョといううぐいすの鳴き声や、小鳥がさえずる音も聞こえて来る。そののどかな光景は、まるで桃源郷のようだった。

「ここがあかがねの森……」

√記号から化けた黒猫、ト音記号から化けたハリネズミは、嬉しそうにぴょこぴょこ飛び跳ねている。

この森の奥に行けば、私のおばあちゃんに会えるのだそう。

人間界では十三歳になるまで、魔女のことを話してはいけないそうなので、おばあちゃんの存在自体を私は知らなかった。

この先に行けば、会えるのね。このパンを届けるのは、おばあちゃんに会うのが目的だったみたい。でも、どっちへ進んだら良いのだろう?

何か手がかりはないかと、持ち物を探ってみた。すると、月の石がある方向に向かって光を放っている。

きっと光の先に行けばおばあちゃんがいる、そう直感が示してくれたように思えた。

とりあえず光の射す方へ歩き出した。黒猫とハリネズミもぴょこぴょこ跳ねながらついてくる。

一本道を、落ち葉をかきわけながら進む。落ち葉の上を歩くと、サクサクと小気味良い音がする。月海は、鼻歌を歌いながらリズムをつけて進んで行く。

まっすぐ歩いているけれども、一向に何かが見える気配がない。

迷ってしまったのだろうか。だけど月の石はあいかわらず光を放っている。だから信じるしかないみたいだ。

すると突然、空から何かが襲ってきた!大きなカラスだ。

ワタリガラスは光っている石を狙ってきたのだった。

私はやめて、やめて、とカラスを振り払おうとした。黒猫とハリネズミも一緒になってカラスを追い払おうとする。

だけど一瞬のスキを見せた瞬間、カラスは月の石をついばんで、そのまま取り上げてしまった。

「しまった……」

石が奪われてしまったら、行く先の手がかりも掴めなくなってしまう。このままだと本当に迷子になってしまう。

ワタリガラスが上昇しようとしたその時だった。

「ベル、何してるの?」

見ると、一人のおばあさんが心配そうにこちらを見ている。ベルと呼ばれるそのカラスは、パタパタとおばあさんの方に飛んでいき、月の石をおばあさんに手渡した。

「あら、これ月の石じゃない。ということは、月海ちゃん?」

「へ……?」

突然カラスに襲われて、戸惑っていた月海は、すっとんきょうな声を出してしまった。おばあさんは月海の顔を見て、ふっと笑顔になり、改まって

「大丈夫ですか?」と聞いた。

「ベルはね、決して悪い子じゃないのよ。光るものが大好きなだけなのよ」

おばあさんの声は、小川のせせらぎのように澄んだ声だった。声の聞こえてきた方向を向くと、白髪の髪をアップにした、スラッとしたおばあさんが立っていた。緑色のセーターに、タイトなスラックスがよく似合っている。

「大丈夫です」

月海は軽くお辞儀をしながら、お婆さんにお礼を言った。

「さあ、ついていらっしゃい。私の家に案内して差し上げましょう」

おばあさんはベルを肩にのせ、颯爽と歩き出した。

「お、おばあちゃん……?」

月海は、胸の奥でつかえていた言葉を言い放った。

おばあさんは、振り返るとにっこりと微笑み、ゆっくりとうなずいた。

この人が、私のおばあちゃんなんだ!たしかに、背が高いところや、ヘーゼル色の瞳は月海によく似ている。

「ああ、おばあちゃん、私、おばあちゃんに会えてうれしい!」

月海は今にも、おばあちゃんに抱きつきたい気分だった。

「ねえ、おばあちゃんはどうして私が孫だってわかったの?」

「月の石を見たからですね。でも、だいたいは直感ですよ」

おばあちゃんはそう言って、ニコニコしている。

「月の石?」

「そう、ミス・カポネが月海ちゃんに月の石をもたせたと連絡してくださったのです」

「そうなんだあ。あ、二人は親友だものね」

そんなことを話しながら、おばあちゃんについて歩くと、大きな木が立っていた。その木の真ん中には、なんと大きな丸い窓がついている。長く伸びた枝には、きらめくオーナメントがぶらさげられており、正面には黄色いドアがついていた。この木は家になっているんだ!家の前には、赤いポストが取り付けてあり、その隣にはガーデニングができるほどの小さな畑もある。

おばあちゃんは、この木の家に「どうぞ」と月海を招いた。

木の家に入ると、外観で見たよりはずっと広い様子だった。月海は、あたたかみのある木のにおいを目一杯吸い込むと、あたりを見回した。吹き抜けになっている天井から入り込む、太陽の光がまぶしい。初めて入る木の家が珍しく、キョロキョロと周囲を見渡す。全てが木目調で作られた家のなかは、ぬくぬくとしていて居心地がとても良い。

広いキッチンの前は、カウンターになっており、丸椅子が三つほど置かれている。まるで、こじんまりとしたバーのようだ。キッチンには、大きな壺にグツグツと煮えたぎる紫色の液体。所狭しとテーブルに置かれた数々の調理器具。

空中には数匹のヘ音記号がふわふわと浮かんでダンスをしている。

本棚には、いかにも古めかしい書籍が並んでいて、黒魔術の本、白魔術の本、錬金術の本、料理本、などなど、古今東西の魔術や生活にかかわる本が並んでいたように見える。なんだか風情があって、本物の魔女に出会ったんだ、と改めて月海は胸をわくわくさせる。

「一階は、レストランになっているの。この丸椅子にお客さんに座っていただいて、いろいろなお話をするんですよ。二階も行ってみますか?」

「二階もあるの?行きたい」

「三階まであるんですよ」

おばあちゃんが優しく微笑む。

階段で二階へ向かうと、そこはおばあちゃんの生活空間になっていた。ベッドやドレッサー、洋服だんすなどの家具は、全てアンティークでできていた。そして、頭上には大きな丸い窓ーー。窓からは、木の枝がそよぐのが見える。

「夜は、ここから満点の星が見えるんですよ」

「わあ、おばあちゃん、すてきなお部屋ね」

窓辺には、月海の赤ちゃんの時の写真や、お母さんの写真が写真立てに入れられて飾ってあった。

「夜眠る前に、あなたたちの写真を見てから、眠りにつくのですよ。この窓から見える空は、あなたたちが見ている空とつながっている、と思ってね」

と言うと、おばあちゃんはぎゅっと月海を抱きしめた。

「会いたかったわよ」

「おばあちゃん、私もよ。十三歳になったから、これからはいつでも会えるね」

月海も、おばあちゃんに抱きついた。おばあちゃんからは、どこかなつかしいにおいがした。十三年間の溝を埋めるかのように、二人は長いこと抱き合っていた。

そして三階に登ると、そこはベッドと、洋服だんすが置かれた質素な空間だった。

「ここはお客様用の部屋です。月海ちゃん、今日泊まっていっても良いんですよ」

「ママに聞いてみなきゃ」と言った矢先、そういえば、と月海は思い出したように、パンを入れた袋をお婆ちゃんに見せた。

「これ、お届け物です」

お婆ちゃんは嬉しそうにパンを受け取った。

「あら、届けてくれたのね。ありがとう。待っていたわ」

目的を果たして安心したからか、月海はお腹がグーっと鳴ってしまった。

「少しお腹も空いたことでしょう。ご飯にしましょう。ちょっと表の畑からサツマイモとトマトを取ってきてくださらないかしら」

月海は言われるがまま、黄色のドアから外に出て、ポストの隣にある畑に出た。

日当たり良好の場所で、畑にはサツマイモ、トマトの他にも、レタスやキュウリ、ナスが植えてあった。

畑の前にはカカシが立っている。月海が畑に入ろうとすると、カカシがひょこりと動き出し、話しかけてきた。

「やあ、君はお客さんかい?お婆ちゃんの知り合いかい?」

月海はカカシが突然話しかけてきたので、びくっとしてしまった。

「はい。お婆ちゃんにパンを届けにきたの」

カカシは「そうかい」と答えた。

「ここの野菜は外の世界の野菜なんかよりもずっとおいしい。太陽をたくさん浴びているし、土壌もいい。何より魔界の野菜は、栄養素が詰まっていて健康なのさ」

「そうなのね」 月海はやんわりと返事をした。

「お婆ちゃんはね、レストランを営んでいて、お客さんが来たらいつもこの野菜を振る舞っているんだよ。お客さんはいつも満足して帰ってくれるんだよ」

なるほど、カカシさんの言う通り、ここの野菜は外の世界で見る野菜に比べても色鮮やかで艶がいい。栄養満点というのも納得がいきそうな見た目だ。

お婆ちゃんに頼まれたとおり、植えられていたサツマイモとトマトを2、3個もぎ取ると、木の家に戻った。

お婆ちゃんは台所で目玉焼きを作っていた。ヘ音記号の生き物はぐるっと渦を巻いた部分でナイフを掴みながら、薄く切ったフランスパンにバターを塗っていた。

「サツマイモを焼いてくださいね。あと、トマトを洗って、切ってください」

「はーい」

月海は言われたとおりに調理を始めた。家でも料理はやるので、それなりにうまくできると思っていた。だけど、台所に立つと、様子は違った。

普通のコンロではない。どうやら火をつける部分がないようなのだ。

どうしよう……と悩んでいたら、ひょこひょことランプがコンロに近寄ってきた。ランプの先の部分からボワッと火が噴き出し、コンロに火がついた。

「わあ、素敵!」

月海は何から何まで不思議な世界にいることを実感しながら、調理をし始めたのだった。

調理が無事終わると、おばあちゃんと二人で食卓を囲んで、食事をとった。

サツマイモのキッシュ、チキンのトマト煮に、フランスパンに目玉焼きを乗せて食べた。デザートは、メーテルマーテル特製の、クリームパフだ。

「おばあちゃん、どれもこれもおいしい」

月海があんまりおいしそうに食べるので、おばあちゃんは何度もおかわりを勧めてくれた。

隣では、黒猫とハリネズミも、それぞれのごはんを食べている。幸せな時間だ。


食事が終わって一休みしていると、いよいよ本題の話に入った。

「月海ちゃん、魔界はどう?」

おばあちゃんが、月海を気遣うようにして質問した。

「魔界は不思議が一杯。妖精に出会ったり、鏡のなかに入ったり、かかしがおしゃべりしたり。人間界ではぜったいに起きないことが次々と起こるわ」

「月海ちゃんはそういうの好き?」

「大好き!最初は戸惑ったけれど、その戸惑いが新鮮な気持ちに変わるの。まるで、常識が揺るがされるような」

「それは良かったわ。月海ちゃんが魔界を気に入ってくれたみたいでうれしいです」

おばあちゃんは、そう言ってくすっと笑った。そして、改まってこう言った。

「こちらの普通は、あちらの不思議。あちらの普通はこちらの不思議なのですよ。お互い様ですね。魔女は、それらの不思議を解明するために、存在するのですよ」

「不思議を解明?」

「はい。人間界から見て不思議とされるものを、なぜ不思議とされるのか、よーく観察するのですよ。例えば、月海ちゃんがここへ来る時に入った鏡の中。鏡は人間界では、姿を見るものでしょう?決して中には入れない。けれども、こちらの世界では、鏡は『渡り扉』です。鏡は一つの世界から、他の世界へと私たちをつないでくれる扉の役割を果たすんです。不思議でしょう?鏡は時空を超えるのです。そんな鏡を研究し、自在にあやつっている魔女もいます。

それから、あちらに薬草があるでしょう?薬草は、体が悪くなった時に、いろいろな種類の葉っぱは草を調合して、飲むものです。すると、あら不思議。体がみるみる良くなっていくんですね。けれども、人間界では薬草というものはあまり効果を信じられていない。でも、本当は、すごく効果のあるものなんです。私は少し、薬草の研究もしていますよ。本業ではないけれどね。レストランに来てくれたお客様に薬草を振る舞うこともあります。

あと、そうそう、月海ちゃんが好きな妖精。フェアリーは、お花と密接に結びついています。お花の守護霊のような存在ですね。フラワー・マーリンの店主のマーリンは、妖精について調べています。こんな風にして、魔女は人間から見た不思議を研究していくお仕事をしているんですよ」

「わあ、おもしろそう!皆それぞれ専門があるのね。まるで学者みたいだわ。フェアリーも鏡も、私が初めて経験した不思議よ。それを調べている人たちがいるなんて!」

月海は、魔界の不思議を、自分だけが不思議と感じているのではないことを知り、安心した。

「ねえ、おばあちゃんは何を調べているの?さっき薬草について調べていると言ったわね。でも、本業じゃないんでしょう?本業はなあに?」

「あら、おばあちゃんの本業に興味をもってくれるの。私は、『渡り人』の研究をしているのですよ」

「『渡り人』?初めて聞いた」

「そう、『渡り人』とはね、二つの世界をつなぐ人のことなのです。例えば、人間界と、魔界をつなぐ人がいます。二つの世界に同時に生きて、二つの常識の狭間を知る者。もう少しわかりやすく言うとね、月海ちゃんみたいなハーフも『渡り人』なんですよ。人間界には『国』があるでしょう?『国』とは、魔界から見ると、ものすごくユニークな概念です。地域や言語や人種によって、国境を引いて、国というものを作る。そうすると、そこに住む人は、何人、というように国という単位に所属する人というふうに見られる。ハーフは、一つの国だけに属さないでしょう?国と国をまたいで存在する。時にハーフは、二つの国に同時に生きて、二つの国の常識を知る。そんなわけで、『渡り人』なんです。月海ちゃんも、その『渡り人』なんですよ」

「じゃあ、私はおばあちゃんの研究対象なの」

「そうですとも。ハーフは、魔界に存在しないの。『国』がある人間界だけに存在する。だから、月海ちゃんはとっても貴重な研究対象ですよ」

「わあ、おばあちゃん、なんでも聞いて」

「ありがとう。月海ちゃんが日々体験したこと、感じたこと、なんでも話してくれるとうれしいですよ」

おばあちゃんはそう言って、嬉しそうに目を細めた。

「おばあちゃんは、とっても大切な研究をしているのね。だって、人間界と魔界の二つの世界を生きる人って、あまりいないでしょう?私も、十四歳の誕生日までに、人間界で生きるか、魔界で生きるかを決めなくちゃいけない。両方の国で生きる人って、どんな人たちかしら」

月海が思いを馳せる。

「そういう人たちは、何らかの運命の定めを背負っていることが多いのですよ。おもしろいですよ。でも、それは会ってからのお楽しみ」

「私もそういう人たちに会えるの?」

「会えますとも。このレストランにいらっしゃいな。『渡り人』がたくさんやってきて、お話をしてくれますよ。私はその人たちのお話を聞いて、一緒に悩んでより良い生き方ができるように、日々話し合っているのですよ」

「なるほど〜、おばあちゃん、カウンセラーさんみたい」

「そうそう、そんな感じですよ。時に、おばあちゃんも『渡り人』たちと一緒に、出張にでることがあります」

「出張?まるで冒険みたいね。私もついて行きたい!」

「いらっしゃいな。月海ちゃんには、このレストランでの出会いを通じて、魔界について学んでいってほしいんです。そうして、十四歳になるまでに、魔界で生きるか、人間界で生きるか、答えを出してほしいんです」

「おばあちゃん、私本当に楽しみ。ここへ来て、いろいろな人と出会って、魔界について学べるなんて!どんな人との出会いが待っているのかしら。私は一年後、どちらの世界に住んでいるのかしら。未知のことばかりだわ。でも、それが楽しみなの!」

月海は、心を躍らせた。

「そういえば、月海ちゃん、話は変わるけれど、ローブはほしい?黒紅の通りで皆来ていたでしょう?ちょっととってきますね」

そう言って、おばあちゃんは二階からローブをとってきてくれた。

「これは、魔界の人のよそ行きの衣装ですよ。黒紅の通りでは、黒いローブを着ることが一種の流行ですね。ぜひ来てみてください」

「ありがとう、おばあちゃん。本当に魔界の一員になった気分だわ。お母さんに見せたら、驚くだろうなあ」

「そういえば、今日はもう遅いから泊まって行きなさいな。もう、外が真っ暗だわ。これじゃあ、帰れないわね。お母さんには電報を打っておきましょう」

「この木のお家に、泊まっていけるなんて!今日はゆっくり眠れそう」

「あ、それから今日のおだちん。パンを届けてくれたことと、月海ちゃんが今日魔界に来てくれたことの感謝を込めて」

そう言って、おばあちゃんは二十五マガロンを月海に手渡した。

「私、魔界のお金って初めて。これで、黒紅の通りでお買い物しても良い?」

「もちろんですよ。黒紅の通りは色々なものが売っていて、おもしろかったでしょう?さあ、今日は疲れたでしょう。お風呂へ入って疲れをとってください。三階には、ベッドが整えてありますよ」

「はーい。おばあちゃん、何から何まで本当にありがとう。じゃあ、お風呂に入ってくるね」

そう言って、月海はおばあちゃんの頬にキスをした。

夜、星降る窓の下、月海はふかふかのベッドに入り、今日の出来事を反芻する前にも深い眠りについていた。








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