第48話

 以前、ウッドクロックについて、ちょっとした閃きを得たことがある。それは、ウッドクロックは、人間の心臓のように、自らの寿命を刻んでいるのではないか、ということだった。つまり、死へのカウントダウンということである。ウッドクロックは秒という単位で時を刻むから、秒と秒の間は存在しないことになる。つまり、それは、ウッドクロックがデジタル表示であるということを示す。人間の場合は拍動だから、どちらかというとアナログに近い。そういう点では、人間とウッドクロックは根本的なシステムが違うといえるかもしれない。


 しかし……。


 そんなことを思い出して、僕は急に底知れぬ不安に襲われたような気がした。


 ウッドクロックが寿命を刻んでいるのなら、そこには、予め定められた制限時間が存在するはずである。人間の拍動にも、同じ意味が含まれている、と考えることもできるが、彼らが人工的な存在であるのなら、そういった意味合いは人間のそれよりも幾分深いかもしれない。


 だから、僕は、リィルが、もう、そのときを迎えようとしているのではないか、と考えてしまった。


 正面で目を瞑るリィルに、僕は少し大きな声で呼びかける。


「……リィル?」


 彼女は答えない。


 けれど、僕の手には秒針が動く気配が確かに伝わってくる。


 まだ、彼女は死んでいない。


「リィル、どうしたの?」


 僕の呼びかけに反応して、リィルはゆっくりと瞼を上げた。


「どういう意味?」


 窓の外に広がる闇。


 彼女は僕に何を伝えようとしているのだろう?


 いや……。


 そうか……。


 僕は自分の掌に神経を集中させる。


 ウッドクロックが秒を最小単位とするデジタル表示であるということは、当然、それ以上細かい単位は存在しない、ということになる。つまり、彼女を規定する最も根本的な単位は秒なのだ。この単位は、人間が時を規定する際に、最も根本的な単位として機能する。したがって、ウッドクロックと人間は、根本的に同じ存在である、といえるかもしれない。もしくは、限りなくそれに近いものである、ということになる。


 リィルが使う言語に文字化けが表れるようになったのは、ルルが現れた直後からだったから、僕は、それが、ルルに原因があるものと考えていた。


 でも、もしそうでないとしたら……。


 そう……。


 ウッドクロックが特定の値を刻んだときに、必然的にそのバグが表れるように設定されていたとしたら、どうだろう?


 つまり、それは……。


「僕の方に原因がある、ということだね?」


 僕の言葉を聞いて、リィルは頷く。


 そうか……。


 本当は……。


 リィルに文字化けが起きたのではなく、彼女の言葉を理解する僕の能力に問題が生じたのだ。


 どうして、それに気がつかなかったのだろう?


 いや、今はそんなことはどうでも良い。


 問題は、それをどうやって解消するか、ということである。


 僕の方に問題があるとすれば、その原因を突き止める必要がある。といっても、考えられる可能性は一つしかない。ルルが現れてから、僕に起きた変化といえば、一つだけ。


 それは、自分で自分をしっかり規定できなくなった、ということ。


 だから、それさえ治せば、この問題を解決できるかもしれない。


 ルルは、きっと、僕がそういう状態になることまで想定して、ウッドクロックに細工を施していた。


 そう……。


 リィルとの意思の疎通を妨害するプログラム。


 僕のウッドクロックには、そのプログラムが存在していた。


 それは、つまり、僕自身で、それを克服する必要がある、というルルからのメッセージであるに等しい。


 自分で自分を規定すること。


 それを、ルルは僕に求めていた。


「分かったよ、リィル」僕は言った。「僕は自分が何者なのか決めればいいんだね?」


 リィルは黙って小さく頷く。言葉が通じない以上、彼女がルルの要求を僕に直接伝える方法はない。だから、リィルは僕が自分で気がつく可能性にかけるしかなかった。けれど、疎い僕は自分ではそれに気がつかなかった。今日がそのタイムリミットだったのである。


 僕は彼女の瞳を見つめる。


 そこには僕の姿が映っていた。


 人間は、鏡を見ただけでは自分が何者なのか分からない。他者に自分の存在を認めてもらって、初めて自分で自分という存在を把握できるようになる。


 僕は答えた。


「僕は僕だよ。人間でも、ウッドクロックでもない」


 リィルのウッドクロックが展開されて、青色の光が室内に充満した。


「そして、私は私」文字化けが解除されて、リィルの言葉が理解できる形で僕に伝わる。「ウッドクロックではない、正真正銘の私」


 彼女のウッドクロックから三本の針がすべてなくなった。


「やっと話せるようになったね」リィルが話す。


「うん……。全然答えに辿り着けなかったけど、僕にしては頑張った方かな」


「それ、冗談のつもり?」


「僕は冗談なんて言わないよ」


「じゃあ、何?」


「君はなんだと思う?」


「うーん、分からないけど……」


「分からなくていいよ。それより、教えてくれてありがとう」


「うん、どういたしまして」


「ルルにも伝えたかったけど、もう、無理かな」


「そうかも……。彼女は、どうして君にそんなことを求めたのかな?」


 僕は考える。やはり、僕には何も分からなかった。ルルがウッドクロックを作ったのは、数が減った人間を補填するためだと言っていたけれど、どうにもほかの理由があるように思える。けれど、それが分かったところでどうこうなる問題ではないし、彼女のお陰で僕は存在しているのだから、まあ、そんなことはどうでも良いだろう、と僕は思った。


 それでも、僕はリィルの質問に答えた。


「自分ではそれができなかったから、じゃないかな」


「それ、どういう意味?」


「気にしなくていいよ」僕は笑った。「さあ、朝ご飯を食べよう」


 太陽がちょうど昇ってくるところだった。硝子戸の隙間から室内に陽光が差し込み、彼女の姿を細い光が薄く照らし出す。


「私、ご飯は食べないの」リィルの声が聞こえた。


「どうして?」


「私の分まで、君がいっぱい食べてくれるから」

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