第43話
*
会話ができないリィルをソファに座らせて、僕たちはなんとか意思を伝え合うことに成功した。彼女に紙とペンを手渡して、文字による筆談を行おうとしたが、なんと、彼女のバグは、筆記される言葉にまで文字化けを引き起こした。だから、僕が一方的に質問して、それに彼女がyesかnoで答える、という方法を採用した。yesなら頷き、noなら首を振ってもらうだけである。そのせいで、いつもなら五分で終了する情報交換に、三十分ほどかかってしまった。
リィルには、ルルが乗り移っていたときのログが完璧に残されていた。ルルの音声データは、彼女のウッドクロックが特定の数値を刻んだタイミングで作動するようになっていて、リィルの頭脳にルルの人格を一時的にポップアウトさせることで、外界との接触を可能にする、というものだった。だから、僕が会話をしたのがルル本人だったかというと、実はそういうわけではない。
リィルに残されたログには、ルルが僕に話した内容が、より詳細に記録されていた。リィルが自身のウッドクロックを展開して、大気中にディスプレイを投影することで、僕はその内容を確認することができた。
そのログには、ルルが話したメインの内容はもちろん、それ以外の、もっと細かいことまで、本当にすべてが記録されていた。たとえば、リィルが僕のもとへスカウトに来る二日前に、トラブルメーカーの幹部がベソゥのもとにやって来た、といった内容がその一例である。十三年前のその日、ベソゥはルルたちからブルースカイシステムを預けられて、例の施設で隔離された生活を始めることになった。その次の日に、テュナがスカウトを受け、そして、さらにその翌日に、僕とリィルが出会った、ということらしい。
そう……。
本当に、僕たちの出会いは、ルルに規定されていたのである。
その規定が、僕たちに、運命、と呼ばれるものを意識させたことは間違いない。
それ以前に、僕がウッドクロックである時点で、僕の人生や、運命は、予め決められていた、といった方が正しいだろう。
それは、きっと、リィルも同じである。彼女は自分がウッドクロックであることを早い段階で悟っていたから、もしかすると、普段からそんなことを意識することが多かったかもしれない。そう思うと、僕は少しだけ寂しいような気持ちになった。
ルルがログとして残したことが、本当に事実であるのか、それを証明する方法はない。しかし、それが記録というものである。観察した事象を記述した瞬間に、事実は事実ではなくなる。その結果、後々辻褄の合わない部分が出てくることもある。それは、多くの場合、情報の不足が原因であるけれど、もっと個人的な、こうだったら良いな、といった種類の願望が関係している場合もある。ルルが意図的に記録を改竄して、僕たちにそれを伝えた可能性もないとはいえない。だからといって、彼女が僕に伝えた内容が、まったく信じられないというわけではなかった。おそらく、その内のほとんどは事実だろう。そうでないと、ルルがわざわざ僕に会いに来た理由が分からなくなる。
ルルは、僕に質問しに来たのかもしれない。
僕は、いったい何者なのか、と……。
考え事をしている僕の隣に、リィルが不機嫌そうな顔で座っている。意思の疎通が上手くいかなかったから、彼女は少々ご立腹の様子だった。肘を自分の膝の上について、窓の外を眺めている。そんなリィルの肩を僕が叩くと、彼女は、肘をついたまま顔をこちらに向けて、黙って一度首を傾げた。
「あのさ、一つ訊いてもいいかな?」僕は尋ねる。
リィルは首を上下に動かして、了承の意思を示した。
「君は、ルルが話したことを、知っていたの?」
リィルは頷く。
「そう……」僕は言った。「えっと、どれくらい? すべて知っていたの? それとも、部分的に知っていただけ?」
僕の質問を受けて、リィルは左右に首を何度か傾ける。暫く首の往復運動が続いた。よく分からないが、おそらく、これは中立を示すジェスチャーだろう。つまり、知っていた部分もあるし、知らなかった部分もある、ということである。
「まあ、分かったよ。でも、気にしなくていいよ。君には、君なりの考えがあって、黙っていたんだろうし……」僕は話す。「それよりも、今考えなくてはならないのは、君の、その……、文字化けを改善する方法について、だ」
僕がそう言うと、リィルは二度頷いた。
リィルの文字化けは、ルルの人格が消えたあとに表れたから、当然、ルルの音声データが何らかの引き金になった、と考えるのが自然である。音声データそのものに原因がないとしても、リィルの内部に予め仕かけられていた何かが、ルルの人格が現れることによって作動したのは間違いない。
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