第42話

「どうして、わざわざ、僕に、僕が人間ではない、ということを、伝えに来たのですか?」僕は訊きたいことを素直に質問した。


「さあ、どうしてだと思いますか?」


 僕とルルは数秒間黙って見つめ合う。


 リィルに見つめられると、胸の内がとても温かくなるのに、ルルに見つめられても、全然そんな感じはしなかった。


 でも……。


 ルルの視線も、決して嫌いではない。


 彼女は、きっと、彼女なりの優しさのつもりで、今、僕にこうして接してくれている。


 ルルが教えてくれなくても、その答えは僕にも分かった。


 だから、僕はそれ以上は尋ねなかった。


 そう……。


 忘れていたけれど、それが、僕のポリシーというものである。


「貴方は、今日、私の説明を聞いて、自分が人間ではないことを知りました」質問に答える代わりに、ルルは話した。「私の遺志をお伝えするこの音声データの機能が失われれば、貴方は、また、リィルと一緒に暮らすことになります。いえ、正確には、その選択も可能だ、ということです。貴方は、今まで通り、彼女と生活することを望みますか?」


 ずっと緊迫していた空気が、彼女のその一言で、ふっと弛緩したような気がした。


 僕は少し笑って答える。


「たぶん、そうすると思います」


「それは、なぜですか?」


「なぜ、という質問には答えられません」僕は言った。「僕が、そうしたいから、では駄目ですか?」


「それを決めるのは、貴方自身です」ルルは話す。「自分が何者で、何をするのか、何を目的に生きるのか、それは、すべて、貴方が決めることです。たとえ、貴方が、私に作られた人工的な存在だとしても……」


 僕は彼女に試されていると思った。もし、僕がそれらのことを放棄してしまえば、ルルの実験は失敗することになる。なぜなら、それらの決定を自ら行うのが、人間という生き物だからだ。ウッドクロックが人間と等しい存在であるのなら、それらの決定を実行し、自ら自分を規定しなくてはならない。だから、ルルの実験の成功は、僕がどう応えるかにかかっている。


 けれど、僕がその質問に答える時間はなかった。


「時間です」ルルが唐突に言った。


 そして、彼女の胸部にあるウッドクロックが、前方に半透明のディスプレイを投影する。そこには時計の文字盤が表示されていて、長い針はゼロを指していた。


「貴方が、どのような答えを選ぶのか、その確認は、リィルに任せようと思います」


「貴女は、僕に会えてよかったですか?」


「ええ、よかったです」


「僕もです」僕は言った。「またいつか、会えますか?」


「いいえ、もう会えません」ルルは答える。「会えなくても、伝わる関係を、リィルとの間に築いて下さい」


 ルルは最後まで笑顔だった。まるで遠い未来を見つめるように、彼女の表情は終始清々しかった。悩みなど何もなく、自分がやってきたことに自信を持っているような、そんな素晴らしい存在であるように、僕には見えた。


 ルルの目から青色の光が消失し、彼女は椅子から落ちそうになる。


 僕は瞬時に立ち上がって、リィルが床に倒れる前に、彼女の身体を支えた。


 そう……。


 リィルは、その完璧なスタビライザーで、いつでも僕を支えてくれる。


 だから、今は、僕が彼女を支えよう。


 そんな関係が、僕とリィルには相応しい。


 言葉では答えられなかったけれど、最後の最後で、この行動が示す意味が、ルルにも伝わっていればいいな、と僕は思った。


 それに応えるように、目を閉じたまま、リィルは微笑んだ。





 目を覚ますと、部屋のシャッターがすべて開いていた。窓から陽光が差し込み、この閉鎖的な空間をぼんやりと照らし出している。天井に写る影が規則的に揺れ、僕とこの空間との間に、夢心地な境界が存在するような錯覚に囚われる。僕は立ち上がって、影を作る原因であるレースのカーテンを開いて、大量の日の光を部屋の中に取り込んだ。それでも、まだ部屋は薄暗い。朝になったばかりだった。今日は日曜日だ、と僕は何の脈絡もなく思い出す。


 振り返ると、リィルが立っていた。


 彼女は、首を傾げて、僕を見つめている。


「おはよう」


 僕は言った。


 リィルは軽く頷き、それから少し微笑む。


「昨日の話、全部、聞いていた?」


 僕がそう尋ねると、リィルは小さく頷いた。しかし、彼女はそのまま顔を下に向けてしまう。


「まあ、仕方がないよ。というよりも、僕は、むしろ、君が聞いていてくれてよかったと思っている。説明するのも面倒だし、何よりも、一番その話を聞かなくてはいけないのは、君だからね」


 リィルは再度首を傾ける。今度は先ほどよりも角度が大きかった。これは、どういう意味か、と尋ねる際に見せるジェスチャーである。


「うん、つまりね、君の母親の話は、君が聞くべきだ、ということだよ」


 リィルは、僕を指差した。


「何?」


 彼女はその動作を二、三度と繰り返す。


「どうしたの?」


 リィルは軽く溜息を吐いた。僕には、その意味を理解することができない。呆れられているのか、それとも、自分の意思が伝わらなくて、落胆しているのか……。


 ?


 意思が伝わらない?


 どうしてそんなことが起きるのだろう?


 口で話せば良いだけではないか……。


「……あのさ、リィル。それじゃあ、何も伝わらないから、きちんと話してくれないかな」


 僕がそう言うと、リィルは、なんだか悲しそうな顔を僕に向けてくる。


 僕は嫌な予感がした。


「何? どうしたの? 分からないから、口で説明してよ」


 リィルは苦笑いをする。


 僕は唾を飲み込んだ。


 そう……。


 悪い予感は、必ずといって良いほど的中する。


 彼女は口を開いて声を発した。


 けれど……。


 それは、聞くことができても、理解できるものではなかった。


「glbっbg,qbhfrgfhzrvふvgねんっゔぁbんjんんえなんゔぁあqんxrqb」


 彼女の言葉は、文字化けしていた。

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