第9章 陶酔や統帥
第41話
僕は、今まで、ずっと、自分が人間だと思って生きてきた。それは、きっと、ほかの人もそうだと思う。それは疑いようのない事実で、ほかの可能性を考えることすらない、酷く当たり前のこととして、誰しもに受け入れられている。
けれど、それは事実ではなかった。僕は人間ではない。ウッドクロックは人間そっくりな見た目をしているけれど、だからといって、人間と同じものではない。身体はバイオロジカルなパーツだけで構成されているのではないし、世界を認識する方法だって、人間のそれとは明らかに違っている。ただ、人間をモデルに作られたものだから、人間との互換性がある、というだけだ。しかし、その互換性が、僕が誤解する原因となった。ルルに事実を伝えられる前から、僕は薄々気がついていた。いや、それは、気がついていた、という言葉では上手く表せない。そんな可能性を想定していたというだけで、僕も、そんなことはないだろう、と勝手に思い込んでいた。けれど、可能性がある限り、決してありえないわけではない。僕が人間であるか、そうでないか、ということについては、ゼロか一のどちらかでしかない。yesかnoかという問いに対して、僕がnoであることが判明した、ということである。
僕にその事実を告げたルルは、一呼吸置いてから、説明を再開した。
「貴方は、私が生産したウッドクロックの中で、唯一完成した個体でした」ルルは話す。「ベソゥも、テュナも、そしてリィルも、それぞれ何らかの不備を抱えている。ベソゥにはフリーズが起こり、テュナは早熟すぎて死亡してしまった。そして、リィルは、生まれながらにして、自分がウッドクロックであることを悟っていたのです」
「……それは、不備ですか?」
「不備です」僕が質問すると、ルルは何の躊躇も見せずに答えた。「私の目的は、人間と同じようなものに、自分が人間だと思い込ませて、生み出すことでした。彼女は、自分が人間ではないことに気づいてしまった。おそらく、ベーシックの配列に、何らかの誤りがあったのでしょう。詳細は分かりません。……そして、貴方は、自分が人間だと思い込んで、今日まで生きてきた。だから、私にとって、貴方は、唯一の実験の成功例なのです」
「実験って……。……僕は、どうしたらいいんですか?」
僕は、自分で自分が分からなくなるくらいに、現実を理解することができなくなっていた。予想していても、結果を目の当たりにすれば、それに伴って感情も揺れ動く。
「どうしようもありません。人間の人生は、何もないゼロからではなく、自分が存在しているという、一からすべてが始まります。一から百に向かうのか、それとも、ゼロに向かうのか、それは分かりませんが、貴方はすでに存在しているのです。そして、ベーシックの記述によって、貴方には確かにに『意思』も存在している。過去は変えられません」
キッチンには、リィルが落として割れたカップの破片が、そのまま散らばっているだろうな、と、僕は、なぜか、そんな、どうでも良いことを、ぼんやりと、頭の片隅で考えていた。自分でも、意外と客観的に現状を把握できていることに驚く。問題は主観的な視点の方で、そちらは、感情によるシャットアウトが発生したのか、今は正しく作動していなかった。
「さて、そろそろ、私の説明も終わりに差しかかろうとしています。残っているのは、それでは、どうして、リィルは貴方に会いに来たのか、ということです」
僕は、もう口を開かなかった。
駄目だ、何も話せない、と感じる。
「リィルは、貴方に会う一日前に、テュナと会っていました。……そうです。貴方は、テュナが将来的に存続できなかった場合の、保険です」
僕は黙って頷く。
「リィルの本命は、テュナでした。自分が唯一ウッドクロックであることを自覚している彼女には、人間と仲良くなる前の段階として、自分がウッドクロックであることを自覚していない者と、関係を築いてもらう必要がありました。つまり、リィルは、テュナをスカウトしに来た。しかしながら、テュナには先ほど述べた不備があった。そこで、テュナと貴方の二人をスカウトの対象とすることで、どちらかとは確実に関係を築けるようにしたのです」
ルルの青い瞳が僕を見つめる。
「貴方を第一の候補に選ばずに、リスクを負いながらも、テュナを第一の候補にしたのには、理由があります。それは、リィルが、貴方よりも、テュナの方を気に入ったから、というわけではありません。テュナには、もう一つ、特徴がありました。……彼の寿命が平均以上に短いことは、予め分かっていましたが、もし、その予測が外れて、彼が死亡しなかった場合、彼のウッドクロックは半永久機関になる可能性がある、という検査結果が出ていたのです。それが、リィルにテュナを第一の候補として選ばせた理由です。それに対して、貴方には、早熟ながらも、死亡するほどのリスクはなかった。だから、テュナの次に貴方が選ばれた。ベソゥに関しては、先述した致命的な不備が存在していたため、最初の段階で、すでにスカウトの対象から外されていました」
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