第37話

 暫くの間、僕と彼女の間に沈黙が下りる。僕は、目の前の彼女がリィルではないという事実を、上手く呑み込むことができなかった。どちらかというと、それは事実というよりも、ルルに見せられている錯覚といった方が正しい。外見がリィルと同じでも、内面がルルとして機能しているのだから、今の彼女は紛れもなくルルである。


 そう考えたとき、自分はリィルの外見と内面の、どちらに心を惹かれたのだろう、と思った。正直に言って、あまり考えたくないことだったが、いずれ、それについて考えなくてはならなくなる。たしかに、外見と内面の両方を合わせて、リィルを好きになったのだ、と言えばそれで良い話だが、僕には、どうしても、自信をもってそんな主張することはできそうにない。なぜなら、僕は、リィルの内面を知る前に、彼女の外見を認識したからだ。つまり、先に外見を認識してしまえば、内面はあとでどのようにでも捏造できる、ということである。


 ルルは、こちらを見て、その青い瞳に僕の姿を映した。


「それでは、それら三つの疑問に答える前に、ウッドクロックの概要についてお話しましょう」ルルが言った。「まず、ウッドクロックは、ご存知の通り、人間をモデルに作られています。これには、私が人間を創造しようと思った過去に、そもそもの原因があります。人間の数は、今や全盛期の頃と比べて、半分近くまで減少しています。そこで、ウッドクロックを作って、表面的な人間の数をキープしよう、と思い立ったのです。それが、私がウッドクロックを生み出した理由です。本当は人間そのものを作りたかったのですが、私の技術力では、ウッドクロックを作るのが限界だった、ということです」


「貴女は、人間に絶滅してほしくなかったのですか?」僕は質問する。


「ええ、そう」ルルは頷いた。「私は、とても、人間が好きなのです」


 そんなことを呟いて、ルルは本当に嬉しそうに微笑む。誰かと再び話せる日を夢見て、このときが来るのを、ずっと待ち望んできたかのように見えた。


「ウッドクロックを人間と同じように作動させるためには、まず、人間に特有な言語を解析する必要がありました」


「言語?」


「そうです。言語といっても、私たちが、今、こうして口に出している言語とは違います。それは、人間というシステムを根底から支える、人間を『人間』として記述するための言語です。私は、それをベーシックと名づけました。人間を規定する最も根本的な言語なので、ベーシックです。そして、このベーシックのいくつかを特定の順序で並べると、そこに『意思』が生じることが確認されました」


「意思って……。それは、つまり、僕たちの意識は、その言語によって支えられている、という意味ですか?」


「そうです。『意思』を生み出すベーシックの配列を、一般的な人間にも知覚可能になるように、アルファベットで表記すると、こうなります」


 そう言って、ルルは、自分の胸部にあるパーツを展開させた。


 僕は、そこに存在するものを、以前見たことがある。


 それは、そう……。


 僕とリィルが、あの丘の上の公園で再会したときに、彼女に見せてもらったものだった。


 円形の窓。木製の枠。そして、その中を一定の周期で回転する三つの針。


 まさしく、ウッドクロック。


 針を覆う透明の文字盤に、英単語が数個並んでいる。


 僕はそれを声に出して読み上げた。


「Who am I?」


 ルルは僕の顔を見て、大きく頷く。


「それが、『意思』を生み出すベーシックの配列です。正確には、先ほどお伝えしたように、ベーシックをアルファベットに置き換えたものになります」


 ルルはウッドクロックを収納し、人間と何一つ変わらない姿に戻った。


 僕は一度黙って考える。


 「意思」を生み出すコードが、”Who am I?”というのは、いったいどういうことだろう?

 なぜ、そうなるのか?


 これは、たとえば、ある特定の物質を生み出すために、必要なDNAの塩基配列を調べてみたら、偶然にも意味の通じる単語になった、というのと同じである。それは偶然かもしれないが、偶然だから、それでお仕舞い、というわけにはいかない。それは、僕が、人間という、意味を認識する生き物だからである。人間を記述するベーシックにこのような性質があるとしたら、それは、人間を生み出した存在が、人間が意味を扱うことを予期していた、というふうにしか考えられなくなる。


 この点については、これ以上は何もいえない。


 ただ、”Who am I?”という問いかけが、人間を支える基盤になる、という事実だけが残される。

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