第28話

「色の三原色が混ざれば、黒になる」僕は言った。「それは、つまり、この世界を構成する基本的な色彩をすべて合わせれば、何も見えなくなるに等しい、ということだ」


「何も見えなくなるんじゃなくて、黒、という色しか見えなくなる、の間違いじゃないの?」


「目を瞑れば、黒しか認識できなくなるけど、それは何も見えていないのと同じなんじゃないかな、と僕は思うけど」


「うん……。まあ、確かに」


 僕とリィルが十三年ぶりに再会して間もない頃、彼女は、自分が黒という色が嫌いであることを僕に説明した。僕は未だにその点が引っかかっていたのである。


 ウッドクロックの体内にその三色の液体が流れていることと、彼女が黒色を避けるということの間には、何らかの関係があるように思える。しかし、それと同時に、彼女は茶色が好きであるとも述べていた。色の三原色をすべて合わせれば黒になるが、赤と黄色を混ぜれば茶色に近い色になる。茶色というよりは橙色といった方が正しいけれど、色彩というものはあくまで主観的なものにすぎないから、もしかすると、それら二つの色が合わさると、彼女には茶色として認識されるのかもしれない。


 もちろん、この理論はこじつけであるといえる。けれど、一度こういった点に着目してしまうと、どうしてもそれらが関係しているように思えてしまう、というのが僕の持ち合わせる特徴の一つだから、仕方がないといえば仕方がない。だから、今のところは、この理論が成り立つものとして話を進めようと思う。


 仮に、彼女が茶色を好むことが、赤と黄色が混ざって橙色になることと関係があるとすると、当然そのほかの混合についても検討してみる必要がある。



 すなわち、



・赤と青が混ざって紫

・青と黄が混ざって緑



 の二つのパターンについても配慮する必要がある、ということである。



「あのさ、リィル」僕は言った。「一つ質問をしてもいいかな?」


 僕がそう言うと、彼女は不思議そうな顔をして首を小さく傾げる。


「うん、いいけど」


「君は、紫と、緑の二色について、どう思う?」


 リィルは目を二度ほど瞬かせて、怪訝そうな表情をさらに曇らせた。可愛らしい仕草だな、と僕は思う。


「どう思うって、どういう意味?」


「えっと、だから……。……つまり、君は、前に、自分は黒が嫌いだって言ってたから……。あと、好きな色は茶色だとも……。だから、今度はその二色に関してはどう感じるのかな、と思ってさ」


 彼女は自身の顎に人差し指を当てる。


「うーん、特に何も思わないけど……」彼女は答えた。「紫も、緑も、どちらも好きだと思うよ、たぶん」


「じゃあ、茶色とその二色だったら、どれが一番好き?」


「どれも等しく好き」


「あ、それじゃあ、その三色と僕だったら、どれが一番好きかな?」


 リィルは僕の顔をじっと見つめ、何かを吟味するように鋭い眼差しをこちらに向ける。普段は比較的だらしのない表情をしている彼女だから、そんなリィルの豹変ぶりを見て、僕は多少なりとも落ち着きを失ってしまいそうになった。


「……それは何かのジョークなの?」


 僕は慌てて手を振る。


「いや、違う」


「じゃあ、どういうつもり?」


「いや、悪かったよ、本当に」僕は素直に謝る。「そんなつもりはなかったんだ」


「まあ、いいけど」リィルは言った。「そんなの、君が一番に決まってるから」


「え、本当に?」


「嘘なんて吐いてどうするの?」


「そんなに簡単に言うようなことかな、それ」


「あ、じゃあ、君も言ってみてよ、私に」


 僕はテーブルの上にあるマグカップを持ち上げ、ゆっくりと時間をかけてほろ苦いコーヒーを堪能する。


 うん、なんて美味しいのだろう。


 自分の家にあるメーカーで淹れたら決して味わうことのできない奥深さ。


 本当に素晴らしい……。


「ねえ、聞いてる?」


「何かな、親友なるリィル殿」


「……友達の、つもりじゃ、なかったんだけど」


「ごめん、間違えた」


「ふざけてるの?」


「いや」僕は真剣な顔で答える。「本気だ」


 リィルは不貞腐れた様子で僕から顔を背けた。


 どういうわけか、僕たちの会話はときどきこういった方向に向かうことがある。理由は分からない。おそらくは僕の方に原因があるのだろうけれど、それが分かっているだけで、それでは、具体的に僕の中のどういった点に原因があるのか、ということについてはまったく分かっていない。彼女の方に原因がある可能性も捨てきれないが、今の場合僕の方から話を逸したわけだから、今回はそういうことで通しておこうと思う。


 注文しておいた料理が運ばれてくる。リィルは飲食をしないので、必然的に僕だけが食事をすることになる。こういうシチュエーションは何度経験しても慣れないものだが、その相手が彼女となると話は別だった。彼女はそもそも「食事」というものを経験したことがないから、僕が彼女に気を遣う必要はないし、反対に、それで彼女が気分を害するようなこともない。要するに、こういった種類の気まずさは、相手が自分と同じ立場である場合にのみ生じる、といえる。動物園に行ってライオンが餌を食べていても、それで自分のお腹が空くことがないのと同じである。

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